「選択肢のない強制(と矯正)」が如何にうっとおしいか。ってフレーズはかねてより考えていたものだけど、そこから「北海道道」でやってた氷室冴子特集の話にでも繋げるか。
「選択肢のない強制(と矯正)」が如何にうっとおしいか。
ってフレーズはかねてより考えていたものだけど、そこから
「北海道道」でやってた氷室冴子特集の話にでも繋げるか。
一応氷室冴子研究は一通りやってて、大体そのあたりは一部
を除いてかねきょさんのイラスト看板を掲げてる。
ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに
~前段として・「1/2ブックセンター」型古本屋の興亡史|torov|note
これが唯一の例外。
「読書の秋2022」の概要と審査基準、参加者がある程度見えてきたの
で、戦略を練り直す。①|torov|note
この関連はここにインデックスがあるのでそちらからどうぞ
(外伝で天狗まんじゅうも扱ってます)。
進捗としては部屋のダンジョンを発掘しつつ、先行研究してた
「SSMGの日記」で「恋する女たち」まで辿り着ければ
いいのですが。現行では下記の記事が最新になります。
(4)シリーズ再開。「ライジング!」②~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに|torov|note
まあコバルト文庫のあとがきから「あとがき文化」を形成。
(新井素子、氷室冴子以前のコバルト文庫にはまだあとがき
を書いて読者と意見交換する文化がなかった)
「青春と読書」方面に筆を伸ばしたのと、角川文庫メインの
『プレイバックへようこそ』シリーズの文化が正当に継承
されていればここまで後生の人達が元資料をかき集めるのに
苦労することもなかったのかなと主にゼロ年代中心にチャリ
乗り回して氷室冴子のコバルト文庫を蒐集してた人としては
考える次第ですが。
まあ、それを似たような部分で書いてた橋本治の言説に
リンケージしてみるのがまず妙薬なのかもしれない。
ま、冒頭の一節からつい道民だと「ニジデスヨ」に何が
わかる、と思えるし。如何にもな厚顔無恥の、癇に
障るインチキ臭いヒラメ顔がしがちなしたり顔が
思い出されてつい脳内ででもムカついてしまうような代物なのですが。
ばかぼんぼんがいつまでもばかぼんぼんでいられるのか、
といえばつまるところ「カウンターパンチで殴られない」
ことに起因するごくごく自然な認知症だから無敵感たっぷり
の無知無双がひけらかされるものであり、かつ厄介な紛れ
文句は間違いなく「起源を知らずにパクリ呼ばわり」して
片付けようとする「関口宏的振る舞い」(三桂的無様な
マナー)をカマそうとすることがよくあるからなお厄介な
害虫扱いされても仕方がない、になるんですけどね。
橋本治の場合はこう説く。
(別の例も見つけてたけど、まずはこれでいいか。)
だからなんなのか?
聞く耳を持たぬまま危機を理解しない独善者に、未来はない。
それだけである。
(朝日新聞社,2005.06,914.6/ハ)p122
で、最初に見つけていたヒントの箇所は、これかな。
モンペを諸悪の根元に至らしめるこのテのカンタンキョーハク語の一種。
モンペとはいろんな人を「Out of 眼中」にしてきた人生を
送って来た人の成れの果て。野性爆弾の「くっきーさんは
今、みんなが思ってるくっきー像を演じてるだけだ」に限り
なく近くて、観方によっては大恥ずかしい。でもモンペの
ままだとそれにすら気づけない。|torov|note
ストレスの元は「勉強」にはなく、「勉強をしろ」と言う、
教育の外にいる親の方にあったのです。
しかし、それは自覚されません。
(集英社新書423,2007.12)p103
これが「勉強」から「結婚」に代わると、かつての創造的な
クリエイターで宝塚の従軍記者としても鳴らした「戦場帰り」
にはさぞかしキツいストレスになったことは否めない。
自覚されても、大人達には、理解しにくかったかもしれません。
まあそこにおける因循姑息な価値観は断絶しか「膿まない」
って不幸な種しか実らないワケですが。
むしろ現在の働き方の主流が「嫌煙」を含みながらも
家族制度に依存したハラスメントをなるべく除去していく
方向性に向かっているのは掬われてる一面でもある。
まあ「選択肢のない強制(と矯正)」が如何にうっとおしいか。
そのストレスの海の上に「自己責任」を被せてきた
自覚症状すらない「ヘボ貴族」のことなんざ知ったことでは
ない、と取捨選択出来るのか、が多分これからの未来なのか、
それともいつもの産廃処理になるのかは、ってトコなの
でしょうけれども。
萩尾望都、町田そのこ、佐原ひかり、藤田和子と納得の
人選もあって見易かったですし、第一人者の嵯峨景子さんの
インタビューもあり内容は濃厚だったかと。
「選択肢のない強制(と矯正)」が如何にうっとおしいか、
でした。
