ネコが旅立った日、僕は写真を撮った
ネコと暮らしたくないという気持ち
「あ〜、ネコとの暮らしは当分は遠慮したいねえ…」
2021年の8月14日、僕達夫婦の口から漏れた心からの言葉だ。
ちなみに夫婦揃ってネコは大好きである。
けど、この時はふたりとも心からの言葉だったと思う。
なぜそう思うようになったか、それを語るには、その日から更に13年以上の時を遡らなければならない。
※動物との別れについての記事です。
また、後半にはそういう写真も載せているので、要注意です。

優しい雨のなかで
2008年、梅雨の真っ只中だったろうか。
当時僕たちはとある九州の町で生活をしていた。
突然「あ、ネコと暮らしたい」と思い、気づけば車で30分ほどの場所にある県の動物愛護センターへ向かっていた。
そこで出会ったのが、それから長い時間をともに過ごすことになる口元の黒い模様が特徴的な子猫。
胸にはパンツみたいな模様がついていた。
ハート、とかじゃないよ
パンツだよ。
風邪気味で少し開きづらそうな目を頑張って見開き、カゴ越しに僕を見つめていた。
同意書への記入とかなんとか、色々と手続きをしたきはするけど、結果、気づけばその一時間後にそいつは車のなかでグルグルと喉を鳴らしていた。
風邪で鼻でもつまってるのか、撫でるとたまに「う〜っ」と唸っていたし、フロントガラスに優しくあたる小雨を見て、その子猫のことを優雨(うう)と呼ぶことにした。

手足にカビが生え、塗り薬や目薬も必須のボロ雑巾状態だった

かけがえのない、13年
長い時を共に過ごした。
引き取ってから1年ほどで上京することになった私に、妻(当時は彼女)と一緒に優雨も付いてきてくれた。
熊本から一時的に高知、そして東京と何度も揺れる飛行機に乗ってもらったのだけど、空港でカゴを受け取ったときの隙間から見せる「何?腹減ったんですけど?」みたいな平気そうな顔をみて、強いネコだなあ、と都度、感じたものである。
そこからは12年近く、東京での二人と一匹の生活が続いた。
思い返せば、濃密な時間だったと思う。
子供のいない自分たち夫婦にとって、優雨は子供も同然だった。
いろんな思い出がある。
人間が外にでかけているうちに、腹が減ったからと空っぽになった餌皿(結構重い) を数メートル離れた玄関のど真ん中まで移動させてたりとか、本来ありえないはずなんだけど、妻のUGG のブーツの中にウ◯コをホールインワンさせてたりとか、思い出をあげれば枚挙にいとまがない。
そう、思い通りに生活や仕事が上手く行かないタイミングがあっても、家に優雨がいれば、もうそれだけで楽しかったのだ。

ああ、猫様!それはおやめください!

ああ、猫様! (略
最悪な1月1日
それから時は経ち、忘れもしない2021年1月1日
もう新年2日目を迎えようかという時間帯に、僕たちは世田谷の動物救急病院にいた。
あの日は昼から新年のユルイ空気に包まれ、テレビから聞こえてくる笑い声をBGMに、なんとなく優雨を眺めていた。
そして気づいたのだ。いつもより呼吸が早い、と。
そこからは夢でも見ているようにフワフワしていたように覚えている。
病院に電話をし「すぐに連れてきて」と言われたので、年始のスカスカの環七を急いで車を走らせた。
コロナ禍のせいで夫婦そろって院内には入れず、妻を車内に残して自分だけが医者から詳しく話を聞き、呼吸を整え、妻にラインで報告をした。
「心臓病。いつ心臓が止まってもおかしくないって」
その日は優雨だけ入院することが決まり、人間は一旦帰宅することにした。
病院から少し歩き、駐車場に駐めてあった車のドアをあけると、妻は目元をこすりながら鼻をすすっていた。
車内が寒かったのかな?
それとも、優雨を想って辛いのかな。
どっちもだろう。

最初のうちは、だけど
戦いの日々
そこからはなかなか大変な半年間だった。
心臓病というのは、一度悪くなると回復することは奇跡にちかく、いかに「悪化を抑える」かが鍵になる。
投与に失敗すると致命傷につながる薬を、いかに確実に与えるかに日々、悪戦苦闘していた。
最初はカリカリにシレッと混ぜるだけで一緒に食べていたのだけど、だんだん不審に思ったのか、上手に薬だけ除けるようになった。
ここからは、人間とネコの知恵比べ。そして我慢比べ。
シーバに穴を開け、中のペーストの部分に埋め込んだり、シーバの味そのものに飽きてきたならば、他のカリカリに手作業で穴を開け、他のペーストご飯で蓋をする、なんてこともやってみた。
気づけば「なんの道具がカリカリに効率的に穴を開けられるか」なんて工夫をするようになり、一時はテーブルの上が薬とカリカリ、木工用の穴あけドリルや彫刻刀でいっぱいになるなどという異様な環境になっていた。
カリカリそのものに飽きてしまったら元も子もないので、味やメーカーの違うカリカリの種類が一時期、十数種類ぐらい家に並んでもいた。

一度に10粒程度を一回、それを一日に3回。非常につらい。
最初は2種類だった薬も終盤は6.7種類もあったのだ。それを一日2.3回。
気を抜くと死んでしまう動物の面倒をみるというプレッシャー。
僕たち夫婦もすこしおかしくなっていたんじゃないかと、今では笑える思い出話になっている。
余談だけど、優雨の命が半年以上もった経過と、自分たち夫婦がいろいろと工夫してた様子はお医者さんにとってもなかなかレアケースだったようで、「できれば今後、同じ症状のネコの経過を見る際の治療、飼い主さんへのアドバイスの参考にしたい」といってもらえるほどだった。


動物の医療には相当なお金がかかると、共に暮す人には覚悟してほしい。
優雨は白血病のキャリアだったので保険は入れなかったけど、保険は必要かと。
そして迎えた、8月13日
予感はあった。
もう2、3日前から人間から無理やり飲み込まされる投薬用カプセル(ありったけの薬を詰め込んだ) しか口にしていなかったのだ。
優雨は最後に大きな病気をしてしまったけど、とても丈夫なネコだった、これまでほとんど身体を壊すことはなかったし、最後の一日も自分でトイレにいけるぐらい動けていた。
心臓病にさえならなかったら、かなり長くいきていたかもなあ。
それこそ20歳とか越えて生きれていた気さえする。
けど、その日、触れるだけでわかった。
生きているのに、身体がね、徐々に冷たくなっていってるって。
呼吸が苦しそうだったので、最後に胸水を抜きに病院にいった。
胸の内側に漏れ出した真っ赤な水が、250cc は抜けていたと思う。
限界だった。医者からもそう伝えられた。
帰宅後、これ以上身体が冷めないように、もう夏前だというのに最大温度に設定した電気毛布を敷き詰めた酸素室に優雨をいれた。
そこにいると呼吸は明らかに楽なはずなのに、ドアを引っ掻いて外に出たがった。
そうだなあ、こんな狭い家だけど、ずっと自由に家中をのんびりと動き回ってたもんなあ。
酸素室から出してあげると、なにかを確かめるようにベランダの窓の方へトボトボと歩いていった。

このすぐ後、旅立つことになるとは思えないぐらい、しっかりした顔つきをしていた
しかし、それから数十分後に突然、優雨のいた方から、数メートル離れていてもわかる、激しく荒く、細かい呼吸音が聞こえてきた。
ああ、ついに来たか…と覚悟をした。
妻はしゃがみ込み、胸に優雨を抱え、頭を優しく撫でてあげていた。
自分はもう無意味だとはわかっていたけど、ボンベ式の酸素を口元にあてておいてあげた。
それからはほんの1~2分だったと思う。
最期に優雨は「う〜っ!!」と隣の家にまで届くんじゃないかと思うぐらいの大きな唸り声をあげて、そして、そのまま静かになった。
人間がかけた言葉は「おつかれさま」と「ありがとう」だったと思う。
写真を、撮った
なるべく一緒にいたい、しかし、キレイなままの姿で送ってあげたい。
そう思っていたので、まだ初夏だというのに冷房をガンガンきかせた部屋で、人間は凍えながら一緒に一晩を寝て過ごした。
僕は写真を撮る際にアレコレと考えてしまうタイプなので、もう動かなくなった優雨を写真に撮るのに少し躊躇してしまった。
けど、いまなら思う。本当に最期の姿を撮っておいてよかったと。
生きた証、というと大げさなのかもしれないけど、優雨が僕らと共に長い時を過ごし、最期にこういう姿で思い出を残して行ってくれたという事実、それは確かなものだし、いつだってすぐに、眺めるだけで触れる様な距離にいるかのように思い出せるのが写真なのだ。
スマホだろうが一眼だろうが、デジタルだろうがフィルムだろうがなんでも良い。写真が大事、なのだ。

鰹節が大好きだった
優雨は、そこにいた
そして8月14日、火葬場へ向かった。
車のフロントガラスには、あの日のように、優しい雨がポツポツと落ちていた
火葬場でも写真を撮った。

ちゃんと送ってあげたという記憶と記録にもなり、それを見て人間の心も落ち着かせることができる。
人間の自己満足かもしれない。けど、正直それでもいい。
そして超ダイエットした優雨を抱え、帰宅。

家に足を踏み入れ思った。
ここにはもう、動くネコはいない
けど、そこら中の床に散らばる抜け毛、人間の服に絡まった毛、爪の後、カリカリの匂い、薬の残骸、最後に用をたしたままの猫トイレ、なにより数え切れないぐらいの思い出はあるのだ。
そしてもちろん、写真も、ある。

半年欠かさず続けていたけど、8月13日で止まったまま
これも、思い出

お腹いっぱい
その半年間、夫婦揃ってやりきった感はあった (在宅勤務の妻は特に大変そうだった)
悲しかったけど、それほど悲壮感はなかったように思う。
なんなら火葬したその日の夜に
「なんか、ガッツリすき焼きとか食べたくね?」
と、ネコのカリカリと薬と木工用ドリルでゴチャゴチャになったテーブルの上を一掃し、すき焼き鍋をつついていたくらいだからだ。
1月1日からアルコールを断っていたので、この日、半年ぶりぐらいに酒も飲んだなあ。
優雨との楽しい13年と半年近くのキツイ看病によって、夫婦はだいぶお腹いっぱいになっていたのだ (すき焼きじゃなくてね)
そして口から漏れ出てきたのが、冒頭の言葉なのである。
「あー〜、ネコと暮らすのは当分は遠慮したいねえ…」
「そうね、1年ぐらい経って、なにか縁があったらまた、次の家族を考えましょう」
そんな感じでゆるく考えていたのですが…。
(まさかの) つづく
※ 2023/0702追記 ↓続きです

