ネコが旅立った日、僕はまた写真を撮った
※また動物との別れについての記事です。
後半にはそういう写真も載せているので、要注意。
「あ〜、ネコとの暮らしは当分は遠慮したいねえ…」
これは、前回のこの記事
↑の最初の一行にして、最後の締めの言葉の一文。
その言葉の通り、僕たち夫婦は大変だった優雨の看取りを終え、ほんのりとした寂しさを抱えつつ、十数年ぶりに夫婦ふたりの生活に戻っていた。
優雨がいなくなるまで、僕はフォトグラファーのくせに、仕事以外で写真を撮る機会が激減していた。
写欲が無くなる、とでも言うのだろうか? 同じ景色で過ぎ去っていく日常に、興味を無くしていたのだ(もちろん、仕事では撮っていた)
コンパクトなGR3 でさえ邪魔だから、とカバンにいれずに日常を過ごしていたほどだった。
しかし優雨が亡くなる前後に日常写真の大事さを痛感し、火葬を終えた1週間後にはちゃんとしたカメラを携帯するようになった。
たしかあの時はSony のα7C だったように思う。一応、軽さメインで。
「もっと日常を撮りまくって、鍛えて、一年後ぐらいにまた新しい家族との出会いを楽しみにしておこう!!」
などと意識高めなことを考えてたら、すぐ後、まったく想像もつかなかった不思議な出会いがあったのだ。

その出会いは突然に
ラブ・ストーリーの様な見出しになってしまったけど、あの日のことを思い出すと、まさにこうとしか形容のしかたがない、出会いだった。
優雨がいなくなって3ヶ月ほど経った2021年の11月、僕は職場であるスタジオから帰宅していた。
自宅玄関のドアを開けるため鍵を差し込んだ瞬間、視界の左下隅、つまりは足元になにやら小さく動く存在を感じた。
日常の動作っていうのは、もう習慣づいているもので、脳が考えるより先に一連の動きをフィニッシュしてしまうらしい。
視界隅の異物に意識が向かいつつも、同時に家に入るために玄関ドアを開けてしまった。
あの時の古くなった金属製の重いドアが「ギキィー!」と軋んだ音さえリアルに覚えている。
右手がドアを開けきった瞬間、僕はその小さな存在と目があった。
「ニャア〜!」
あ、ネコだ。
そう思った瞬間… そいつはスルッと家の中へと吸い込まれていった。
まるで、ここが住み慣れた我が家であるかのように。

神経が図太い。腹が減ってたのだろう、コンビニで急いで買ってきた猫用ミルクとご飯にはガッついた
完全に想定外の侵入者
そう、想定外である。
なんか、うちに突然ネコがやってきた。
自分としては優雨の次に面倒をみることになるネコは、以前のように保護センターか、今度は譲渡会にでもいって保護猫と出会い、運命的に
「君に決めた!」
なんて言いながら引き取っていく絵を想像してたのだけど
まさか向こうからやってくるとは
しかも、子猫のようにやせ細って、上の犬歯(ネコも犬歯っていうんですかね?)が2本とも抜けており、耳も聞こえないボロボロ状態のネコだ。
初見は子猫かと思ったけど、毛並みや爪の感じを確認すると、これ、かなりの老婆だな!
想像してみてほしい、これが人間だったとすれば。
突然玄関から押し入っていた老婆に、ベッドを占拠される側の気持ちを。
おまえ、マジでネコで良かったな!!!

ずっと寝ていた。
それからの三ヶ月
それから三ヶ月、色々とやった。
まず
1.病院に連れて行った
三ヶ月前まで優雨を半年間ずっと診てくれた動物病院に連れていき、色々と検査をした。
連れて行った瞬間
「は?」
って顔をされたのは今でも脳裏に焼き付いている。
あの半年間が自分たちにとっても、担当の先生にとってもかなり濃密だったので、早速、違うネコを連れてこられても、「は?」だよね。
とりあえず、腎臓の数値がやや悪いということ、呼吸器系が弱いということ、かなり高齢なんじゃないかということ、体重が2キロしかないということ、などなど、いろいろと確認した。弱いな、身体が…。
2.警察に届けた
ネコを探している人がいないか、警察署に確認をしにいった。
そして3ヶ月経っても名乗り出る人がいない場合、家に正式に迎え入れることができるということも、確認した。落とし物と一緒。
3.近所のひとや建物の大家さんに聞いてみた
建物上階に住んでいる大家さんも動物を飼っているので、なにか情報はないか確認。するとご近所の噂話で
汚いネコが数日前からうろついていた
という情報を得た。
アイツだ!
4.ワシらが育てた
ネットスラングでよく見る
「◯◯はワシが育てた」
ってやつを想像してみてほしい。
元ネタは中日の元監督の星野仙一氏とのことだけど、ネットとかではよくネタとして自分が手塩にかけて育てた存在を愛でる際によく使われる表現だ。
けど、僕らは胸を張って言える
ワシらが育てた

右は出会ってから約50日後
2キロから3.3キロへ
決断の時
そして、3ヶ月経った。
結局ネコを探している、と名乗り出る人はいなかった。
規則的には、もうこの老婆を自分たちの家族として迎え入れられるようになった。
ここ3ヶ月、栄養を与えて太らせて、ある程度元気になったものの、老婆っぽいし、気管支炎や肺炎などで呼吸がしづらそうなタイミングがあったり、血液検査で腎臓の数値があまりよくないのもあり、おそらくもう何年も一緒にはいられないかも、という予感はあった。
そして医療費。
こいつと暮らすためには、おそらく週に1〜3回の病院通いが必要になるんじゃないかと、3ヶ月の生活でわかったのだ。
優雨の半年間の治療で、おそらくライカ新品2~3台分は費やしてしまった我が家は、ちょっと金銭的にビビっていた。
なにより、ほんの半年前に13年一緒にいたネコをなくした自分たちにとっては、また悲しい想いをするのも嫌だった。
だが、そんなこんなを考えてみても、この不思議な侵入者を家族にするかどうかを悩むことはなく、もう三ヶ月で既に家族になってしまっていた。

神経が図太い。

思い出は大事になるということ、僕は知っている
人間とは、反省する生き物である
さて、そうなるとそろそろ名前をつけてあげるか、となる。
皆さんは薄々感じてると思うのですが、先代ネコの「優雨」という名前、色々と由来はある(前回記事参照) のですが…
思いませんか?
まあまあなキラキラネームである、と
(ゆう、と読ませるなら全然問題ないですが、うー、と読ませてるところね)
13年前、雨の中でやたらエモい感じで出会ったので
ついつい僕、やっちゃったんですよね。
いや別に?
呼びやすかったし、なんの後悔もしてないんですけど?
ただ、動物病院で呼び出しをうけるたびに、自分の名字のあとに
「◯◯ う〜 ちゃ〜ん!!」
と大声で呼ばれて、都度ちょっと赤面することになるとは思わなかっただけ。
あと、10年以上ずっと妻から名付けのキラキラ感を突っ込まれることになるとは思わなかっただけなんです。
ぴえん。
まあ、そんなこんな反省を活かしつつ、この老婆には見た目からこう名付けました
タワシ
と。

太ったら多少はマシになった
首の鈴は、耳が聞こえなくて動きの読めないタワシの位置を把握するため
日々
それからは、通院は続いたものの、平和な楽しい日々だった。
年寄りのため、日中のほぼ全ての時間を睡眠に費やしてほぼ置物状態だったけど、やはり家にネコがいるというのは、なんとも癒やしになったのだ。
常に人間のベッドの1/4ぐらいのスペースに陣取ってたので、多少寝づらいところはあったけど、枕元にネコの呼吸音を感じるのは幸せだった。
在宅勤務だった妻がいつもほしいタイミングでご飯をあげていたしずっと一緒だったので、ほぼ妻にばかり懐いていたけど、その様子を横からみてて微笑ましかった。
優雨が犬みたいに甘えてくるオスネコだったので、ちょっとドライなタワシを見て
「あ〜、メスのキジトラはこんな感じなのね」
と自分に言い聞かせたり
僕の手からチュールを食べながら、ずっと妻の方を見つめてる姿に
「このク◯ネコが!」と悪態をついて夫婦で笑うのも良い時間だったなあ。

枕元でやられると大変

なんだよ、その顔は

猫の神様に嫌われている
我が家に正式に迎えてから約1年。2023年の3月なかごろ。
毎週のように病院に通っていたけど、呼吸器も安定している期間もあって、意外と長生きするんじゃ? と思っていたある日、病院帰りの妻から報告をうけた
「肺に大きな影があるって」
また、である。
1年かけて食事療法をして、せっかく腎臓の数値はやや高めで安定できてたし、最近は呼吸も落ち着いてたのに。
肺て。
しかも、ガンて。
ネコの肺ガンというのはかなり珍しいらしい。
ネコの神様がもしいるとすれば、僕ら夫婦は感謝されこそすれ、なんでこんな酷い目に合わせるんだろう…。
どういう猫生を送ってきたかさっぱりわからないタワシだけど、ボロボロの状態でなんとか自力で我が家までたどり着いて、なんとか体力も回復して、病気と戦いつつも生きていっているのに
「はい、残念でした!」
とばかりに試練を与えるとか。
何も、誰も悪くないんだろうけど、やるせない。
見守る、看取る
年齢を考えると手術はできない。
おそらく、ここからは徐々に呼吸が苦しくなっていくタワシを見ていることしかできない。
あっという間の一ヶ月半だった。
確実に食事量は減り、呼吸は乱れ、動けない時間が徐々に増えていった。
優雨の時は、閉じ込められるのを嫌がったので全然役に立たなかったペット用の酸素室も、ここにいるのが明らかに楽なのか、すんなり、というか自分から入っていった。
猫にも性格がやっぱりあるんだな〜などと、微笑ましくもなったり、もう、気軽に撫でてあげることもできなくなった事実に寂しくなったりした。

呼吸機能が落ちた猫には、かなり楽だったろう
ガンというのは進行性なので、手術や投薬という手段がとれなければ、もう弱っていくのを見ているしかない。なるべく楽に、けど、生きる意志があるうちはなるべく長く、つらくないように逝かせてあげることにした。


もう、自分で体勢を変えることもできなかった。
そして、5月2日朝、何度目かの呼吸困難を乗り越え、タワシは旅立った。
たまたま仕事のない日だったので、またしても夫婦揃ったタイミングで看取れた。
数日間、ギリギリのずっと辛い様子を見ていたので、呼吸が止まってから最初に思ったのが、悲しい、よりも「楽になれたな。良かったな」だった。
おつかれさま。
写真で、送る
2年ぐらい前に同じことをしたので、後は慣れたものである。
タワシを冷やしてあげて、お花を添えてあげて、火葬場に連絡、だ。
何を慣れとんねん。

火葬場に飾るタワシの写真は、妻が撮ったものを選んだ。
少し不機嫌そうな、ムッとした表情。
もっと可愛い表情の写真はいっぱいあったんだけど、タワシはいつも
「老獪な魔女」的な雰囲気を漂わせてた。
人間になびかなかった。
必要がなければ甘えなかった。
特に僕には。
ぴえん。
なので、この、ちょっとムッとしたような表情のイメージ。
これで良い。
これが良い。

そして、火葬場へ。
優雨の時と同様、最後の姿まで、しっかり残してあげたいと思った。

これで顎をなでてあげると、とても気持ちよさそうだった。
猫と共に生きたということ
さて、まさかの二年も経たずに、2匹目の家族を送ることになったわけですが…。
ここには載せてない写真も大量にある。
なんなら、他のスナップ写真なんかと一緒に混じっているので、写真を時系列の一覧で見るとここ一年、どの時期でも常にタワシの姿がでてくるので、シンミリしてしまう(フォルダを分ければいいだけだけど)
そろそろタワシが旅立って2ヶ月。
日が経ってないからか、大量の写真が思い出として眼の前にあるからなのかわからないけど、まだ、落ち着かない日々が続く。
けどやっぱり、写真は撮っておいてよかった。
優雨の姿も、タワシの姿も、いつも目の前に僕の思い出と共にあるのだ。
けど流石に
ネコとの暮らしは当分は遠慮したいぞ
おわり

という表情
