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【歌詞鑑賞】ビーチ・ボーイズ「少しの間」(アルバム「ペットサウンズ」1966年、6曲目)

序説

この楽曲は、分析的に聞けば、三部構成に分けることができる。

明るいとも暗いとも言えない、何となくざわざわするのに、奇妙に静かなアルペジオから楽曲は始まる。静けさの底に、次の展開を可能にする、確かな潜在力があるのを感じる。それは段々と姿を現し、音量を増し、やがて絶頂に達する。(~1:02:第一部)

静けさを破った先で、再び静けさに包まれる。今度の静けさは、前回と比べて、明らかにセンチメンタルな質感を強めている。ある種の「かよわさ」すら感じさせる。このまま行くのかと思いきや、突如として壮大な波が押し寄せて来て、「かよわさ」を一気に呑み込んでしまう。(~1:32:第二部)

そして、どうなるのか?楽曲は壮大な波を引き連れて、一体どこに行くのか?無情にも、聞き手に無限の余韻を残して、そのまま楽曲はフェードアウトしてゆく。(~2:35:第三部)

鑑賞

ペットサウンズ六曲目は、Let's go away for a while。邦題は、「少しの間」。

歌詞を鑑賞しようにも、インストゥルメンタル(歌がない楽曲)なので、どうにも出来ない。タイトルを直訳すれば、「ちょっと外に出ないか」。

感想

ペットサウンズになくてはならない曲で、正真正銘の名曲だと思う。ポップ・ソングの範疇を越えてしまっている、とは思うものの。

この曲に近い味わいを探そうとすると、クロード・ドビュッシー(1862-1918)の交響詩「海」(1903-1905)くらいしか思い浮かばない。しかし、向こうは30分を超える大曲で、こちらはわずか3分弱の小曲である。

久しぶりに集中して聞いてみたが、歌詞がないぶん、聞き手が想像を働かす自由が多く、豊かなイマジネーションが浮かぶ曲だと再認識した。何が浮かぶかはタイミングと聞き手によりけりで、今日の私の場合、スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)の小説、「グレート・ギャツビー」(1925)のある場面が浮かんで来た。

パーティの喧騒から逃れたくなり、表情を見たところ同じ気持ちでいるに違いない友に、「ちょっと外に出ないか」と誘う。近くに海があるから、そこまで歩くことにする。二人は黙って歩く。しばらくは、耳にパーティの残響が残っていて、心がざわざわする。(ここまで第一部)

海辺に着いて、適当に腰かける。海岸線の湾曲した先に灯りが見える。それが、ついさっきまで自分たちもいたパーティ会場とは、嘘みたいな心地がする。波の音はうるさすぎず、二人の沈黙を気まずいものにしないように、寄り添ってくれている。

誘った方が、唐突に彼の過去を語り始めた。伝えたところで理解される保証もない、でも誰かに伝えずにはいられない、彼の人生の告白を。誘われた方は、ただ聞いた。すぐに共感を表明すれば済まされるほど、かんたんな話ではないことを悟って黙っていた。(ここまで第二部)

二人に、再び長い沈黙が訪れた。この沈黙は、人生の不思議さ、動かしがたさ、巨大な宿命の存在、それらを前にした人間側の沈黙であり、目の前に広がる壮大な夜の海は、宿命の巨大さの暗示でもあれば、人生の告白の最良の聞き手でもあった。(ここまで第三部)

・・・歌詞がない曲の鑑賞なのに、つい語りすぎてしまった。でも、狙いとしては、ブライアン・ウィルソン自身がフェイバリットに挙げているこの曲が持つ、大変強い連想力を具体的に示したかったのである。追悼の意図に免じてご寛恕ねがいたい。

つづく



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