【50代】1986年、世界はマラドーナと言う一人の天才に支配されていた
いよいよ今日からワールドカップが始まります。
4年に一度のお祭りです。
普段サッカーを見ない人も、
この期間だけは深夜までテレビにかじりつき、
気が付けば日本代表に一喜一憂している。
そして試合が終われば、
みんな急に監督になる。
「あそこで交代だろ」
「いや、3バックだろ」
なんて言いながら、
次の試合を楽しみに待つ。
そんな空気も含めて、
ワールドカップなんだと思います。
そんな熱狂の余韻に浸っていると、
昔の記憶も一緒に蘇ってくるんですよね。
そこで今回は、4年に一度のお祭りを楽しみながら、
過去のワールドカップを旅してみようと思います。
リアルタイムの速報や、
戦術を細かく分析した記事なら、
もっと詳しい人がたくさんいます。
これは、あくまでも50代の記憶の旅です。
あの頃、誰に憧れていたのか。
どのゴールに興奮したのか。
誰とテレビを見ていたのか。
そんなことを思い出しながら、
ゆっくり振り返ってみようと思います。
どうも、子供の頃サッカー少年だった
紅鮭の幻影です。
私がなぜ「紅鮭の幻影」になったのかはこちらから。
サッカー少年だった頃のあだ名は、
なんと「ジーコ」です。
あの神様ジーコ
確かに間違いではありません。
ボールを持てば黄色い歓声が上がる。
スター選手でした。
・・・チームの中では。
ただ、プレースタイルはまるで違います。
ポジションは当時流行っていたリベロ。
私が大好きだったのは、
ローター・マテウスです。
今思えば、
あだ名を付けるならジーコよりマテウスの方が近かった気がします。
日本で言えば井原正巳。
キャプテン翼で言えば・・・
誰なんでしょう?
そもそもキャプテン翼の世界って、
今考えると結構すごくないですか。
超攻撃特化型。
石崎君の顔面ブロックに象徴されるように、
守備は気合い。
そして最後は、
「若林くん、頼んだ!」
スーパーGK頼みです。
戦術もへったくれもありません。
豪快である。
大人になってから思い返すと、
結構笑えます。
でも当時のサッカー少年にとって、
キャプテン翼はバイブルでした。
私がゴールキーパーというポジションが好きになったのも、
若林くんの影響かもしれません。
そんな紅鮭の記憶に残る
最初のワールドカップは1986年メキシコ大会でした。
当時の出場国は24カ国。
今回の48カ国と比べるとちょうど半分です。
もちろん単純比較はできません。
しかし、当時のワールドカップには、
今とは違う特別感がありました。
ワールドカップに出場する。
それだけで価値があった。
そんな時代です。
そして1986年。
世界は一人の天才に支配される。
マラドーナである。
しかし、大会前の前評判は決して高くありませんでした。
世界が注目していたのは、三年連続バロンドールのプラティニ率いるフランス。
そしてジーコを中心とした王国ブラジルです。
アルゼンチンは前回1982年スペイン大会で無残な敗退を喫し、
一つの時代の終わりを感じさせていました。
監督のビラルドでさえ、
「アルゼンチンはマラドーナ次第だ」
と公言するほどです。
後に、
「天才と10人の仲間」
と揶揄されるチームでした。
しかし50代になった今、改めて振り返ると少し印象が違います。
3-4-2-1。
7人で守り、3人で攻める。
強固な守備ブロックというキャンバスを用意し、その上で一人の天才を自由に暴れさせる。
組織が個を縛るのではない。
組織が個を解放する。
そんなチームでした。
<初戦の韓国戦>
今なら何枚レッドカードが出るのか分かりません。
入れ替わり立ち代わり、全員でマラドーナを削りに来ます。
後に本人が、この試合を「テコンドー」と皮肉ったほどでした。
それでもアルゼンチンの3得点全てに絡みます。
削られても立ち上がる。
蹴られても止まらない。
今思えば、この試合が怪物を完全に目覚めさせたのかもしれません。
そして迎えた
<準々決勝イングランド戦>
そして、世界は伝説を目撃する。
4年前のフォークランド紛争。
アルゼンチンVSイングランド
因縁の対決です。
後にマラドーナは、
「俺なりに戦場で戦った」
と語っています。
後半6分
ここから彼は、サッカーの歴史、いや、人間の歴史に残る
二つのゴールを決めます。
一つ目は「神の手」

ハンドという反則、つまり倫理を超越した「ずる賢さ」で奪った一点。
それから4分後の出来事
今度は誰も文句を言えない。
マラドーナが自陣でボールを受ける、
ここからでした。
飛び跳ねるような独特のリズム。
低い重心。
まるでボールが足に吸い付いているかのようなドリブル。
対するイングランドの選手達も、止めなければいけない。
分かっている。
分かっているはずなのに。
そのプレーに魅了されたかのように、
一人。
二人。
三人。
四人。
スローモーションでも見ているかのように、するすると抜かれていく。
そして最後は、ゴールキーパーさえもかわした。

アステカ・スタジアムが揺れる。
実況は絶叫する。
そしてテレビの前の少年達もまた、口を開けたまま動けなかった。
なんだ今の・・・
そんな言葉しか出てきません。
サッカー史上最高のゴール。
後からそう呼ばれることになります。
しかし当時の私達には、そんなことは分かりませんでした。
ただ一つ。
とんでもないものを見てしまった。
それだけは分かっていました。
悪魔のような神の手。
神様のような5人抜き。
ずる賢さと美しさ。
厚かましさと純粋さ。
その両方を90分でやってしまった。
だから1986年はマラドーナの大会だった。
決勝の相手は西ドイツ。
2点を先行しながら、執念の西ドイツは追いついてきます。
そして84分。
マラドーナは中盤のわずかな空白を見逃しませんでした。
ブルチャガへのラストパス。
それが決勝点になります。
決勝で得点こそありませんでした。
しかし最後に勝負を決めたのも、やはりマラドーナでした。
今大会アルゼンチンの14得点中、13得点に直接関与。
「天才と10人の仲間」ではなかった。
10人の仲間がいたからこそ、天才は天才であり続けられた。
そしてマラドーナ自身も後にこう語っています。
「俺一人では絶対に勝てなかった」
<1986メキシコワールドカップ結果>
決勝
アルゼンチン 3-2 西ドイツ
優勝 アルゼンチン
得点王
ゲーリー・リネカー(イングランド)
MVP
ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)
そして最後に。
紅鮭的1986ベストイレブンです。
GK
シューマッハー(西ドイツ)
DF
テリー・ブッチャー(イングランド)
ジュリオ・セザール(ブラジル)
オスカル・ルジェリ(アルゼンチン)
マニュエル・アモロス(フランス)
MF
ミカエル・ラウドルップ(デンマーク)
ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)
ミシェル・プラティニ(フランス)
ローター・マテウス(西ドイツ)
FW
ゲーリー・リネカー(イングランド)
イーゴリ・ベラノフ(ソ連)
異論は認めます。
というより、異論しかないかもしれません。
でも、これが1986年。
テレビの前で夢中になっていた、少年紅鮭の記憶の中のベストイレブンです。
1986年。
世界は、一人の男に熱狂していました。
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ
そして決勝の相手は西ドイツでした。
この時はまだ知る由もありません。
イタリアで、4年後に起きる
物語の続きを
そして世界は、もう一人の男の名前を知ることになります。
今日はここまで。
次回は、1990年イタリアワールドカップのお話しです。
飾らない、ありのままの紅鮭の幻影の世界観を。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
