【焦げた香りが連れてきた再会】第1章 「焦げの記憶」
第1章テーマは、プロピンキティ効果(Proximity Effect)
プロピンキティ効果は【物理的に 距離が近い人ほど好意を持ちやすくなる という効果。同じ職場・教室・通路・よく会う場所など、“繰り返し接触する相手”に、人は自然に親近感を抱く】というものです
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第1章 「焦げの記憶」をお楽しみ下さい
序章
誤作動の対応なんて、珍しいことじゃない
けれど、喫茶店「ル・ミエル」だけは別だった
店の前に着くたび、胸の奥が微妙にざわつく
あの再会のせいだろうか。いや、たぶん違う……はずだ
自動ドアが開くと、今日も美月が飛び出してきた
制服のエプロンを押さえながら、息を切らしている
「あ、早見くん! ごめんね、また鳴っちゃって……!」
「……また、ね」
ぼそっと返したら、美月が胸に手を当てて安心したように笑う
その笑顔が近い
距離、近い
煙は出ていないのに、胸の奥が少しあたたまるのが腹立たしい
「だってね、今日はちゃんとプリン作ったの。前より焦がしてないよ?」
言われると、あの家庭科室の景色がほんの一瞬、頭をかすめる
薄くしたはずの思い出が、また色を取り戻す
「……それ、誇るとこじゃない」
「え、違うの? だって前よりは……ねっ?」
なぜか自信満々だ
その明るさに、逆らえない自分が悔しい
店内を一通り確認して、問題がないと判断する
美月は俺の後ろを、ひょこひょことついてくる
距離が、また近い
すれ違うたびに、胸元のリボンがかすかに揺れて視界に入る
「ほんと、ごめんね。早見くんのこと、呼びすぎじゃない?
あ、でもね、最近ね、早見くん来ると安心するの。変かな?」
変だ。変だけど言えない
俺は言葉より先に歩いてしまう
彼女は小走りでついてくる
誤作動は機械の癖か、彼女の癖か
わからないまま三度目の出動があったのは、それから数日後だった
「早見くん〜っ! 今日は本当に本当に違うの!
あのね、ミルク温めてただけなの! なのに、なんか……」
「……なんか、って何」
「説明できないけど……鳴った!」
説明になってない
けれど、店内に焦げはなく、客たちはのんびりしている
誤作動で間違いないだろう
俺が確認を終えると、美月が肩越しに覗き込んできた
「ねぇ、今日も来てくれてありがとう。助かったよ」
その距離の近さに、思わず目をそらす
耳の横で揺れてるピアスが、光を跳ね返してきらっとした
その一瞬だけ、なぜか心臓の音が強くなる
「……仕事だから」
「うん、でも来てくれると嬉しいんだよ?」
こんな真面目な顔でそんなこと言うな
俺はまた言葉に詰まり、代わりに短く咳をひとつだけした
その翌日。用事もないのに、その近くを通った
いや、正しくは「近くを通る道を選んだ」
ただの通勤路のはずが、少しだけ遠回りになっていた
店の前を歩くだけ
中を見るつもりなんてない
……そう思っていたのに
「早見くん!? え、どうしたの? 今日は火災報知器鳴ってないよ!?」
なぜか嬉しそうに駆け寄ってきた
そうじゃない、俺はただ歩いただけだ
「……近く通っただけ」
「そうなんだ! えへへ、なんか嬉しいね。もしかしてさ――」
彼女が何を言うつもりだったのかは聞いていない
というか聞けなかった
距離がまた、気づけば手を伸ばせば触れそうなところまで近づいていて
慣れてるはずの空気が、妙に息苦しくなる
「ちょっと休んでいく? 新しい紅茶入れたんだよ
私、さっきまで味見してて……あっ」
「……あっ、て何」
「またちょっと焦がしたかも」
少しだけ、店の奥からミルクが焦げたような匂いが漂ってきた
ほんの微量
その瞬間だけ、胸の奥がわずかにざわつく
昔の記憶に触れられたような、懐かしさに似た揺れ
彼女は気づかず、にこにこしながら紙コップを差し出してきた
「飲む? 捨てるのもったいなくてさ!」
「いや……」
「いいからいいから! ほら!」
押しつけられるように渡されたカップ
温度がやけに強い
俺はため息と一緒に、ほんの少しだけ笑ってしまった
「……お前、ほんと変なとこで頑張るな」
「え、褒めてる? 褒めてるよね?」
褒めてない
でも、否定するのも面倒だった
その日の帰り道
カップの残り香が、指先に微かに残っていた
それは焦げでも甘さでもなく、ただ――彼女に会った日の匂いだった
気づけば
“近くを通る道”を、無意識にまた探していた

ル・ミエルの前を通る回数が、気づけば増えていた
仕事の帰り、ほんの数分遠回りするだけ
理由なんてない……と言いたいけれど、胸のどこかで、店の灯りを確かめている自分がいた
「……寄らないぞ」
小さく呟く
けれど、意志とは別に足が止まる
自動ドアの向こう、美月がテーブルを拭いているのが見えた
彼女はふと顔を上げ、目が合った
その瞬間、笑顔で手を振られる
逃げ場は消えた
「早見くんだ! すごい、今日も来たんだね!」
「……来てない。通っただけ」
「じゃあ通ったついでに入ってってよ!」
有無を言わせない明るさ
断りづらいのは昔から変わっていない
席に座ると、美月がカウンターの奥で何かを温め始めた
レンジの電子音が鳴るたび、胸のどこかが警戒する
―数秒後、案の定―
「うわっ、あちっ……!」
焦げではない
けれど、カフェオレの湯気が立ち昇る匂いに、短い記憶が揺らぐ
家庭科室の甘い焦げ
泣きそうな顔で笑っていた、美月の横顔
「……気をつけろよ」
「だ、大丈夫! ちょっと熱かっただけだから!」
嘘だろ、と心の中でだけ突っ込む
彼女の指先はうっすら赤い
テーブルにカップを置きながら、美月が身を乗り出してくる
距離がまた近い
途端に息が詰まる
「ねぇねぇ、最近よく来てくれるよね。嬉しいよ」
「……仕事のついでだ」
「その“ついで”がすごく嬉しいの」
素直すぎる声に、言葉が飲み込まれる
俺の沈黙を、どう捉えているんだろう
「ねぇ、これ……味見してほしいんだ」
差し出されたのは、小さなプリン
表面が微妙に波打っていて、嫌な予感しかしない
「また……作ったのか」
「うん! だって早見くん、プリン好きでしょ?」
「……好きって言ったか?」
「あれ? 言ってない? でもなんかそんな顔だったよ!」
どんな顔だ
俺はそんなにプリン顔なのか
いや、そもそもプリン顔って何だ
「一口でいいから。ね?」
紙スプーンを握らされる
ここまで来たら逃げられない
一口食べた
……無言になる味だった
「ど、どう……?」
「……がんばったな」
「えへへっ! つまりおいしいってことだよね!」
違うが言えない
美月は肩を震わせて笑った
その笑顔が、不思議と胸に残る
帰り際、外はすっかり暗くなっていた
店を出ようとすると、美月が慌てて走ってきた
「早見くん! 今日さ……あの……ありがとね!」
「……何が」
「えっと……全部!」
意味のわからない“全部”
でも、嬉しそうだから深く聞かない
店の前の街灯の下、彼女はなぜか俺の周りをぐるっと回った
「……何してんだ」
「えへへ、今日の早見くんの気配……覚えとこうと思って」
意味がさらにわからない
けれど、彼女は真剣だった
おかしいのに、まっすぐすぎて、笑いそうになる
「じゃあ、またね!」
差し出された手を振り返す前に、彼女は走り去った
見送る俺の指先に、プリンの甘さとカフェオレの温度がまだ残っている
歩き出すと、ふと気づいた
今日、俺は“ついで”じゃなくて来たんだと
店の灯りが、遠くで小さく揺れている
視線が自然と戻った
……また、近くを通ってしまう気がした
ル・ミエルの看板を背にしながら、胸の奥が静かに熱を帯びる
焦げでも煙でもない、新しい何かに触れたような感覚だった
―そして気づけば―
次に来る理由を、もう探していた
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↓最後に、第1章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓
