【君の歌声は二度恋をさせる】第1章 「似た者同士の錯覚」
第1章テーマは、マッチング仮説(Matching Hypothesis)
マッチング仮説は【人は「自分と同程度の魅力度(容姿・性格・社会的地位など)」を持つ相手を選ぶ傾向がある】という理論です
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第1章 「似た者同士の錯覚」をお楽しみ下さい
序章
コンサートホールの工事現場で、あの日の声を聞いてから、俺は仕事の合間に図書館へ通うようになった。大工が図面を読むみたいに、歌の本を片っ端から読み漁ったのだ
「オペラの基本」「声楽の歴史」「アリアの魅力」――正直、何が何だか半分も理解できなかった。だが、木材の名前を覚えるのと同じ要領で、見慣れないイタリア語を口に出して覚えていくうちに、俺はすっかりその気になっていた
そして今日、リハーサルを終えて楽屋へ向かう玲奈を見つけ、俺は勢いよく駆け寄った
「お、お疲れさま! あの、その“ベルカント唱法”ってやつ、やっぱ喉じゃなくて身体全体で響かせるんだよな?」
自分でも何を言ってるのかよく分からない。ただ、せっかく覚えた単語を披露したくて仕方なかった
玲奈は足を止めて、少し目を瞬かせた
「……ええ、そうですね。身体の共鳴を大切にしています」
上品に微笑んだその顔に、俺はさらに勢いづく
「やっぱりな! 俺も現場で金槌振るとき、全身で打ち込むんだ。声も同じだよな! 響かせるには体幹だ!」
――言った瞬間、場違いさに気づいた。だが引き返せない
玲奈は困ったように眉を下げ、やがてふっと笑った
「なるほど……そういう解釈も、面白いですね」
その笑顔に、俺の胸はさらに熱くなる。まるで“分かり合えた”と錯覚してしまう
それからも、俺は必死に仕入れた知識を投げかけ続けた。
「ヴェルディってのは情熱的な建築家みたいなもんだろ?」
「アリアは、いわば梁を支える大黒柱だな!」
「モーツァルトの和声ってのは、きっと現場のリズム刻むハンマー音だ!」
現場比喩だらけの素人解釈
冷静に考えればおかしいのに、そのときの俺は真剣そのものだった
玲奈は最初こそ「ふふっ」と上品に笑っていたが、やがて肩を震わせて笑いをこらえるようになった
「工藤さん……意外に勉強熱心なのですね。大工さんなのに、こんなに音楽のことを」
その言葉を聞いた瞬間、心の奥が熱くなる
俺の必死さが、ちゃんと届いている
勘違いかもしれないが、その“意外性”に惹かれてもらえたなら――
彼女の背中が去っていく廊下で、俺は拳を握りしめた
「……よし、釣り合ってる。俺だって同じ舞台に立てる」
その自信は、冷静に考えればただの思い込みだ
けれど、俺はその錯覚にすがりつくしかなかった

「……よし、釣り合ってる。俺だって同じ舞台に立てる」
そう拳を握りしめた翌週、俺はまた舞台に立っていた――ただし、観客席側で
先輩に連れられて入ったライブハウスは、ホールの荘厳さとは真逆の世界だった。狭い空間に押し寄せる熱気、壁を震わせる轟音、汗と煙とビールの匂い
その中央で、ひときわ鋭い声を張り上げている女がいた
「うおおおおおおおおお!」
ステージで叫ぶその姿に、俺は思わず目を見開いた
黒いレザージャケットに破れたジーンズ、乱れ飛ぶ髪。マイクを握る手は力強く、足を踏み鳴らすたびに床まで揺れる
……白川玲奈だった
昼間に“癒しの女神”みたいな微笑みを浮かべていた彼女が、今は観客を煽る“破壊神”になっていた
俺の胸は二度目の衝撃で震えた
――これが同じ女なのか?
ステージが終わるや否や、観客の中に飛び込んでいく玲奈。その背中を見て、俺も思わず拳を握った
「俺だって同じ舞台に立てる!」
次の瞬間、俺はモッシュの渦へと身を投じていた
体ごとぶつかり、押し返し、汗と汗をぶつけ合う
「うおおおお! 俺も同じ世界の人間だ!」
全力で叫びながら、見えない彼女にアピールしていた
……気がつけば、体は傷だらけだった。だが、痛みよりも胸の高鳴りのほうが勝っていた
ライブが終わり、息も絶え絶えでフロアから出てきた俺を見て、玲奈はタオルで汗を拭いながら爆笑した
「なにしてるの、あんた。本気で突っ込んでたでしょ!」
「当たり前だ! お前のステージに並ぶには、俺も体で証明しなきゃならない!」
俺が真顔で言い放つと、玲奈はしばらく笑いすぎて声も出せない様子だった
やがて肩で息をしながら、ニヤリと口角を上げる
「……クラシックの時は“梁がどうの”って語ってたのに、今度は体当たり? あんた、頭おかしいわね」
その一言に、顔が真っ赤にな
だが同時に、心臓が高鳴った。彼女に“頭おかしい”と笑われても、真剣にぶつかったことが伝わったのなら、それでいい
玲奈はタオルを肩にかけ直し、荒々しく髪をかき上げた
「でも……本気でやるやつは嫌いじゃない。あんたみたいにバカ正直なのは、ちょっと面白いわ」
その声は、昼の彼女の柔らかさとはまるで別物だった
低く、鋭く、心を突き刺すような響き
俺はその言葉を噛みしめるように受け止め、拳を握った
――クラシックの舞台でも、メタルのライブでも
俺は、この女に二度恋をした
そして心の奥で、確信した
「似た者同士だ、俺たちは」
……そう思い込んでいる俺自身が、一番滑稽なのかもしれない
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↓最後に、第1章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓
