【“好き”って、つまりどういうことかと言いますと――】第1章 「初対面の印象は、値札のように」
第1章テーマは、アンカリング効果(Anchoring Effect)
アンカリング効果は【最初に提示された情報(「アンカー」)が、以後の判断や評価に大きな影響を与える心理現象】というものです
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第1章 「初対面の印象は、値札のように」をお楽しみ下さい
序章
「――それでは、放送委員会の藤宮くん、よろしくお願いします」
学年集会が終わる間際、壇上に呼ばれた男子がマイクの前に立った。
柔らかい黒髪に、ゆるく着こなされた制服。話し出す前から、場の空気がふわっと和らぐような、不思議な雰囲気をまとっていた
「……以上で、本日の予定は終了です。皆さん、忘れ物のないように気をつけてください」
それだけ。短くて、落ち着いた声だった。でも耳に残った。
私はそこで、思ったのだ
この人――人気出る
いや、厳密には「第一印象って、9割くらい最初の30秒で決まるから!」という自論が働いただけなのだけれど
しかも、運が良いことに、私たちはこの春から同じクラスになった
これは…いわば、新学期限定のボーナスタイム!
印象という“値札”を貼るなら、いま貼らずしていつ貼る!
私は、静かに机の中から準備していたファイルを取り出す
自己紹介カード。クラス替え直後に配られた、例のやつ
「趣味・特技・自分のことをひとことで」……この欄の回答に、私は全力を注いでいた
趣味:辞書を読むこと
特技:語源の説明。早口言葉(例:新設診察室視察中)
ひとこと:私は説明が長くなりがちですが、それは“ちゃんと伝えたい”という気持ちのあらわれです。ご容赦ください
全力の“自分プレゼン”
最初が肝心だと信じていた。真剣だった
でも、あろうことか――
「この子、自己紹介カードで目立ちすぎてて、逆に怖いって男子の間で話題になってたよ」
「えっ」
放課後、仲良くなったクラスメイトの沙耶に聞かされた言葉に、私は固まった
「“語源が趣味”って書いてる子、怖くない?って…。あ、ごめん! でも、私はめっちゃ好き!」
沙耶のフォローが染みる。でも、それ以上に衝撃だった
完璧に仕上げたはずの“第一印象”が、想定外の方向に飛んでいった
しかも、それを見たはずの藤宮くんが、なんの反応も示してこない
そもそも覚えてない可能性も――
そのときだった
「あの、鳴海さん?」
背後からかけられた声に、心臓が跳ねた
振り返ると、本人だった。藤宮颯太くん
「これ、落とし物。机の下にあったよ」
彼の手には、私の“予備用自己紹介カード”が
(なんで2枚あるの!?)と自分にツッコみたくなったけれど、そんなことよりも、今この瞬間に集中しなければ
私は慌ててそれを受け取り、そして、咄嗟に口を開いた
「ありがとうございます! 自己紹介カードって、実は江戸時代の“名乗り”文化にも通じていて、つまり人間関係のスタート地点でして――」
あ、またやってしまった、と思ったけれど
彼は、遮らなかった
黙って、頷きながら、全部聞いてくれた
……その顔に、困惑の色はなかった
逆に、最後にふっと笑って、こう言った
「面白いね」
その言葉が、嬉しくて仕方なかった
翌日。私は決意していた
――印象は上書きできる
昨日の“語源が趣味で自己紹介カード2枚持ってる女”というレッテルを、少しでも“ちゃんとしてる人”に更新すべく、私は準備を整えた
朝の教室、まだ誰もいない時間
私は自分の机に一枚の紙を置いた
『本日のトピック:ありがとうの語源と、その発展的使い方』
……なんだこれは
あとで思えば私自身もそうツッコみたくなるのだけど、そのときの私は本気だった
「“ありがとう”だけじゃ、伝わらない。だから私は、“なぜありがとうと思ったか”も添えて伝えるべきだと思うんです」
――そう言っていた自分の姿が、脳内にしっかり残っている
問題は、彼がそれを読んでいたということだ
休み時間、ふと見ると、藤宮くんが私の机の上の紙を手に取っていた
ひええ、やめて! それは“準備用の草案”で! 本番用はまだ印刷してないんですけど!?
「……これ、君が書いたの?」
「あっ、そ、それは、その……練習でっ!」
誤魔化すように机に戻って紙を引っ込めようとすると、彼はゆっくり返してくれた
「俺、そういうの好きだよ」
「えっ」
「言葉にするの、難しいけど。ちゃんと考えて話してくれるの、いいと思う」
頬が熱くなるのが自分でもわかる。…でも、違う、これは照れてるんじゃなくて、単に教室が暑いだけで
「そ、そうですよね! 言葉って大事ですもんね! 例えば“好き”って言葉だって、定義を明確にしないと誤解を生むし、辞書には“心がひかれること”ってあるけど、それってつまり――」
「鳴海さん」
「はいっ!」
「俺、保健室行ってくるね」
「えっ!?」
「なんか、ちょっと…疲れた」
それはそれは静かな“緊急離脱”だった
私はその日一日、穴があったら語源から埋めたい気分だった
でも
放課後、帰り支度をしていた私のところへ、彼がふらりと寄ってきて、
おもむろにこう言った
「明日、昼一緒に食べない?」
「えっ、わたしと、ですか?」
「うん。なんか、話してると頭フル回転になるけど、それが面白いから」
私は、少し考えてから、頷いた
そして、なぜかその返事にも全力を注いだ
「はい。ぜひ。ちなみにお弁当は冷凍食品を使う割合が60%程度ですが、冷凍って実は“味が落ちる”というより“食感の再現性”の問題でして、むしろ最近は技術が――」
「わかった、楽しみにしてる」
静かに笑って、彼は帰っていった
私はひとり、教室に残って思う
……第一印象って、きっと一回じゃ決まらない
私はまだ、彼の中に“鳴海美琴”のラベルを貼れていない
でも、貼るチャンスはもらえた。なら、私の言葉でちゃんと伝えたい
彼の隣にいても、うるさくない人になりたい
たとえ“語源がうるさい人”でも、彼の中では“なんか面白い人”になれるかもしれないから
次章へ
↓第1章のオマケ動画を公開 内容はこの章のイメージ錯視画像について!↓
