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第1章『始動』ー第3節:雨を待つ路面 ― アメリア ―【ケンタウルスストーリーイベント】

前回のあらすじ

春日神社を離れる頃、空気がわずかに重くなった
見上げれば雲はまだ薄い。雨の匂いもしない
それでも、私は呼吸の奥に湿り気を感じてしまう

「……降りますかね」

独り言のつもりだった
しかし返事が来た

「降ると思う」

振り向くと、静かなケンタウルスが立っていた
透明な佇まい。声は小さいのに、はっきり耳に届く

「私はアメリア。……アメでいい」

「ヴァイスノヴァです。ノヴァと呼ばれることも」

彼女は頷き、地面へ視線を落とす
私もつられて路面を見る
何も変わっていないはずなのに、アメリアは真剣な顔で確かめるように蹄先をそっと置いた

そして、アメリアは路面に頬を寄せた

「……冷たい」
「ちょっと待ってください。今、地面に……」
「路面の温度、変わってる」

淡々と言い切られて、私は言葉を失った
正直、おかしい
だが彼女は真剣で、眉ひとつ動かさない

「あなたも、やる?」
「いえ、私は……」

断ろうとして、私は自分の蹄を見た
私は“馬のように走りたい”と言って、ここまで来た
路面に頬を寄せるのは……馬の範疇だろうか?

「……私は、足で分かります」

精一杯の合理性を装うと、アメリアは小さく笑った
それが“否定しない”笑いで、余計に居心地が悪い

「雨が降ると、走り方が変わる」
「滑りますから」
「ううん。滑るかどうかは、あと
先に変わるのは……気持ち」

アメリアは空を見ない。路面を見る
まるで、空より地面の方が天気を知っているみたいに

「併走、する?」

彼女の言葉は提案というより、自然現象だった
風が吹いたから、袖を押さえる
そんな類の

「……はい。お願いします」

私が頷くと、彼女は安心したように肩の力を抜いた
それがまた不思議だった
彼女は自分で決めたわけではなく、状況に合わせているはずなのに

そこへ迷子さんが現れる

「いいタイミングね。今回のルート、説明するわ」

迷子さんは淡々と地図を示す

今回のコース

「春日神社から北へ。しばらくは緩い下りね……でも終盤に、急に上りが来るわ」

私は地図を見る
下って、下って、最後に持ち上げられる

「ゴールは―奴国の丘歴史資料館―」

迷子さんは言った

「古い時間の上に建つ場所
雨が降ったら、きっとよく似合う」

アメリアが小さく頷く

「……降る」
「まだ、空は明るいですよ」
「明るいほど、降る」

根拠がないのに、妙に説得力がある
私は自分でもおかしいと思いながら、蹄先で路面を軽く叩いた
音が少し鈍い。さっきより、空気が重い

選択は、私の意思でしているはずだ
けれど、湿度が背中を押してくる

「行きましょう、アメ」
「うん。……雨に追いつかれる前に」

そう言ってアメリアは、もう一度だけ路面に目を落とした
まるで、地面が「行け」と言ったのを聞いたみたいに

私は一拍遅れて、並ぶ

―雨を待つ併走が、始まる―


後編を第1章『始動』のレースBGMと共にお楽しみ下さい


走り出してすぐ、アメリアは妙なことを言った

「……下りは、速く走らない方がいい」
「下りは、脚が楽ですが」
「楽な分、考えなくなる」

彼女はそう言って、わざと歩幅を抑えた
下り坂なのに、速度を落とす
正直、効率は悪い。だが、彼女は真剣だった

私は一拍遅れて並ぶ
脚は前へ出たがっているのに、抑える
それが不思議と、心地よかった

下りが続く
景色が流れ、重心が前へ引かれる
私は一定のペースを保ち、接地を丁寧に選ぶ

隣を見ると、アメリアは走りながら、時々立ち止まりそうになる

「……待って」
「止まりますか」
「止まらない……確かめるだけ」

彼女は走りながら、路面に水滴がないかを探す
ないのに、探す
そして、ないことを確認して、また走る

「……まだ、降っていません」
「うん。でも、もう決まってる」

その言い方が、妙に静かで、私はそれ以上聞かなかった

下りが終わり、長い平坦を抜ける頃、脚に余裕が出る
私は自然と前に出そうになり、踏みとどまった

アメリアは、私を見ていない
前も見ていない
ただ、路面の変化だけを拾っている

「……滑らない」

彼女が言う

「まだです」
「うん。だから、今のうちに走る」

理屈は逆なのに、行動は合理的だった
私は思わず、少しだけ速度を上げる
それに気づいたアメリアが、小さく首を振る

「無理しないで。最後、急坂だから」
「分かっています」
「……分かってても、やるでしょ」

私は返事をしなかった
否定できなかったからだ

やがて、路面が変わる
緩やかな上り
さっきまでの余裕が、嘘のように消える

アメリアの呼吸が、少し乱れる

「……ね」
「はい」
「ここ、雨降ったら、一番やっかい」
「だから、今は降りませんよ」
「ううん……降る前に、ここに来ただけ」

彼女は上りで、速度を落とさない
むしろ、一定を保とうとする
それが一番、脚に来る走り方だと分かっているのに

私は、ほんの少し前に出て、風を切る位置を変えた

「……ノヴァ?」
「風、避けてください」

アメリアは驚いた顔をして、それから小さく笑った

「……ありがとう」

その瞬間、ぽつり、と音がした

一滴
二滴

路面に、はっきりと水の跡が残る

「……ほら」

アメリアは、少しだけ嬉しそうだった

「来た」

雨は、本格的ではない
けれど、確実に世界を変える量だった

蹄が、わずかに滑る
私は重心を下げ、歩幅を詰める

アメリアは、それを見て、同じように調整した
言葉はない
環境が、指示を出している

奴国の丘歴史資料館が見える
雨に濡れ始めた屋根が、鈍く光る

最後の数十メートル、私たちは速度を競わなかった
競う理由が、もうなかった

同時に、脚を止める
雨は、静かに降り続いている

アメリアは、路面を見下ろして言った

「……やっぱり、選ぶ前に決まってた」
「何がですか?」
「ここに来ること」

私は、少し考えてから頷いた

「受け入れられるかどうか、ですね」

アメリアは、満足そうに息を吐いた

「うん。それだけ」

雨音が、会話を終わらせる

私は思う
選択は、いつも自然に先に決められている
それに抗うか、委ねるか

雨に濡れた路面は、もう答えを持っていた

次節へ


*この節の登場ケンタウルスはこちら



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