【記録される私と、変わっていく私】第1章 「意味のない努力と、まっすぐな視線」
第1章テーマは、シグナリング理論(Signaling Theory)
シグナリング理論は【相手に対して自分の情報や価値を“信頼できる形”で伝えるための信号(シグナル)を送る」ことを扱う理論】というものです
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第1章 「意味のない努力と、まっすぐな視線」をお楽しみ下さい
序章
教室の隅は、私の安全地帯だった
黒板から少し斜めにずれた位置。窓際でもなく、廊下側でもない。視界の端にだけ人が映る場所
そこで私は、なるべく目立たないように過ごしていた。ノートに文字を並べ、休み時間は読書。クラスのざわめきは、遠くの海鳴りみたいに聞こえるだけ
なのに、ある日から、その海鳴りの中に一つの視線が混ざった
廻——となりの席の、少し変わった男子
彼は毎日、開きかけた自由帳に何かを書き込んでいる。最初は宿題でもしているのかと思った。けれど、ふと目が合ったとき、彼は「……今日、三秒」とぼそり
「え?」と聞き返す前に、ノートにまた何かを記した
後で分かった
どうやら彼は、私が笑った秒数や、目を合わせた時間を毎日記録しているらしい。しかも秒単位で
雨の日、彼はなぜか傘を二本持ってきた
「一本、折りたたみで軽いやつ。もう一本は……ほら、柄がキラキラしてる」
差し出されたのは、どう見ても子供用のピンクの傘だった。断っても、「いや、こっちのほうが絶対似合う」と真剣な顔。結局、帰り道に半ば押しつけられる形でさして帰った
給食では、毎回パンを半分交換しようとする
コッペパンの日も、黒糖パンの日も、半分こ
「別にパンが嫌いってわけじゃない。ただ、半分持って帰ると重さが均等になるから」
理由が意味不明だ。でも、その律儀さが妙におかしかった
廻の行動は、周りから見れば完全に“変わり者”だ
クラスメイトが「またやってるよ」と笑っても、彼は気にせず続ける。ノートの端には小さな線グラフまで描かれているらしく、私がちょっと長く笑った日は折れ線がぐんと上がるらしい
私はそんな彼を、知らないふりをしながらも、気づけば探していた
昼休みに窓際で傘を点検している姿。廊下でパンを真っ二つにしている姿。自由帳を膝に乗せ、真剣に鉛筆を走らせる姿
——どうして、こんなに手間のかかることを続けられるんだろう
理由は分からない。だけど、その不器用なほどまっすぐな視線は、私の「安全地帯」の壁を少しずつ揺らしていた

わざわざ机の位置を測ったらしく、定規が筆箱からはみ出していた
昼休み、廊下で靴紐を結び直していると、廻が突然、手作りらしい紙のメジャーを取り出した
「昨日より、笑ったときの口角、ちょっと上がった」
「……何測ってるのよ」
「記録」
即答。私がため息をつくと、彼はまるで大発見でもしたように嬉しそうにノートへ書き込む
雨上がりの日には、校庭の隅で地面を指差しながら待っていた
「ほら、ここ。昨日、君が笑った時間と同じ分、日なたの跡が長くなってる」
もちろんそんなはずはない。でも、真剣に説明する顔に、笑うよりも先に呆れてしまう
給食の時間になると、また半分こ作戦。
今日はツイストパンだ。ねじれを数えながら半分に割る姿は、妙に職人めいている
「これ、ねじり回数が奇数だから、真ん中決めるの難しいんだよな」
「どうでもいいでしょ、それ」
「いや、大事」
パンを慎重に置き、彼は満足そうに頷いた
そんな無駄なこだわりを続けるうちに、私の中の警戒心は、いつの間にか緩んでいった
特別な言葉をくれるわけでもない。ただ、毎日同じ場所から、同じ調子で私を見て、何かを記録し続ける人
放課後、帰り支度をしていると、廻が傘を持ってやってきた。今日は晴れているのに
「一応、予備」
「降らないでしょ」
「でも、君が濡れる確率はゼロにしたい」
相変わらず意味はよく分からない。それでも、傘の柄を握る彼の手は本気だった
その日、教室を出るとき、私はほんの少しだけ足を止めた
「……今日の記録、増やしといて」
「え?」
振り返った廻の前で、私は小さく笑った
きっと、彼はその瞬間を秒単位で覚えているだろう。
そして私もまた、「変わらず見続ける人」として、彼を覚えていくのだと思った
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↓最後に、音葉(小学生)のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓
