【黒き孤独の中で見つけた白墨】第2章 「彼女がいると……」
第2章テーマは、存在論的安全基地の誤帰属(Existential Secure Base Misattribution)
存在論的安全基地の誤帰属は【安心の原因を相手の人格そのものに結びつける錯覚】というものです
しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります
それでは、第2章 「彼女がいると……」をイメージ楽曲と共にお楽しみ下さい
↓第2章のイメージ楽曲↓
前回のあらすじ
私は、鷹宮家の会議室で一人、資料を広げていた
新規事業の投資判断
金額は大きく、失敗すれば、家の名に傷が付く
だが、成功すれば、さらに評価は上がる
自信はある
だが……安心はない
市場分析も妥当
リスクも把握している
判断する能力も、覚悟もある
これまでだって、そうしてきた
一人で決め
一人で責任を負い
一人で耐える
会議を終え、最終決裁の書類を机に置いたまま、私は執務室に戻る
夜は深い
窓の外は暗く、部屋の灯りだけが、妙に白い
そのとき、通知が鳴った
『今日は、少し静かですね』
いつもの、短い一文
私は、返事を書こうとして、手が止まった
―話す必要はない―
これは仕事の話だ。家の判断で、友達に相談するような種類ではない
そもそも、相談する関係でもない
彼女は、ただの友達だ
そう思って、スマホを伏せた
数秒後、胸の奥がざわつく
何かを言い忘れたような……
呼吸を一拍分、止められたような感覚
理屈ではない。体が落ち着かないのだ
私は、ため息をつき、スマホを裏返した
『少し……考え事をしていました』
送信して、背もたれに寄りかかる
数分後、返信が来る
『そう……なんですね。ここにいますので、落ち着くまで考えて下さい』
私は、画面を見つめた
“ここにいます”
慰めではない
励ましでもない
ただの存在宣言
彼女は今、ここにはいない
おそらく自室にいるのだろう
なのに、その一文が表示されている間だけ、部屋の空気がわずかに軽くなる
おかしいだろう、と私は思う
状況は何も解決していない
投資の是非も
家の将来も、変わっていない
責任も同じままだ
それでも……不安が膨らまない
私は、ふと試してみたくなった
スマホを机の端に立てかけたまま、資料をもう一度開く
画面には、彼女のメッセージが表示されたままだ
“ここにいます”
私は、わざと難しい箇所を読み返す
リスクの項目
最悪の場合の損失額
普通なら、胃の奥が重くなる
……ならない
完全に消えるわけではない
だが、暴れない。静かにそこにある
私は、またおかしなことを始めた
資料を読みながら、定期的に画面を見る
メッセージが消えていないか確認する
まるで、部屋に誰かがいるか確かめる子どものように……
自分でやっておいて、少し笑ってしまう
「何をしているんだ、私は」
それでも、やめない
決裁の書類に目を通し、ペンを持つ
署名欄に、ゆっくりと自分の名を書く
いつもなら、書いた瞬間に、肩が重くなる
決断の重さが、胸に落ちる
けれど今夜は……違った
重さは……ある。だが、心は揺れない
私は、椅子に深く座り、目を閉じる
彼女は、何もしていない
解決もしていない
支えてもいない
ただ、“いる”と言っただけだ
私は、スマホを枕元に置いてベッドに入った
天井を見つめながら、気づく
「……彼女とメッセージしている夜は、よく眠れる」
理由は分からない。理屈も立たない
だが、その夜も、私は静かに眠りに落ちた

私は、最終決裁の書類を提出した
数字は整っている
予測も妥当だ
家としても、問題はない
会議室を出るとき、周囲は「さすがですね」と言った
いつも通りの評価だ
正しい判断だった
それでも……胸の奥に、小さな空白がある
達成感とも違う
後悔でもない
決断のあとに残る、妙な静けさ
これまでなら、その静けさはゆっくりと孤独に変わった
重さを増し、濃度を上げ、息を詰まらせる
だが今日は違う
私は執務室の椅子に腰を下ろし、ふと呟いた
「……静かだな」
孤独ではない。ただ……静か
その違いに、私はまだ名前を付けられない
夜。いつもの時間に通知が鳴った
『こんばんは』
それだけ
私は、迷わず返す
『こんばんは』
この後、数往復会話が続く……
天気の話
最近読んだ本の一節
季節の変わり目は体調を崩しやすい
という当たり障りのない会話
取るに足らない、特別な話題はひとつもない会話
やり取りが終わり、画面が暗くなる
そのとき、私はふと気づいた
今日も、仕事以外で誰とも個人的な話をしていない
会話はあった
だが、それは役割としての私に向けられたものだ
……彼女を除いては
私は天井を見上げ、考える
「今日が平穏なのはなぜだ?」
慣れているからか?
疲れているからか?
判断を終えて気が抜けただけなのか?
……違う
真白さんと話した“後”から、胸が安定している
私は、無意識に結論を出しかける
「彼女が……いるからか?」
口に出してみると、少し滑稽だ
いつもたった数行のメッセージだ
電話でもないし、会ってもいない
それでも、私は確かめたくなった
『こうして話すの、迷惑ではないですか?』
送信して、妙に落ち着かない
送る必要は無い内容だ。だが、聞いておきたかった
返信はすぐに来た
『いえ迷惑ではありません。だって……友達ですから』
淡々としている
続けて、もう一文
『でも……必要がなくなれば、自然に減りますよ』
私は、その文章を何度も読み返した
重い
友達という言葉に、覚悟が混ざっている
だが、縛られている感じはしない
「必要がなくなれば」と、逃げ道も置いている
それでも、私は引っかかる
必要がなくなれば……減る?
つまり―今は、必要があるということだ―
私にも……
そして、彼女にも……
私は、机の上の書類に視線を落とす
家の名
数字
印鑑
それらとは別に、ただ“続いている”やり取りがある
成果でもない
契約でもない
評価でもない
ただ、続いているもの
その事実が、なぜか心を落ち着かせる
私は、ようやく気づく
「彼女は、私自身を見てくれているのかもしれない」
根拠はない
ただ、会話が途切れていないだけだ
それでも、私はそう思ってしまう
おかしな話だ。私はこれまで、家や立場や成果を通して人と繋がってきた
けど今は……たった数行の文字に、拠点のようなものを感じている
私はスマホを机の中央に置いた
まるで、それが部屋の中心であるかのように
その夜、私は久しぶりにぐっすりと眠れた
目覚ましが鳴る前に目が覚める。天井が白い。朝の光が薄く差し込む
最初に浮かんだのは……
仕事でも
鷹宮家でも
予定でもない
―桐谷真白―彼女だった
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