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【あなたの仕掛けは、私のおもちゃ】第3章 「香りは、記憶を揺らす」

第3章テーマは、プルースト効果(Proust Effect)
プルースト効果は【ある香りや味が、過去の記憶や感情を強く呼び起こす現象】というものです

名前の由来は小説家マルセル・プルーストの作品『失われた時を求めて』から

しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります

それでは、第3章 「香りは、記憶を揺らす」をお楽しみ下さい

前回のあらすじ

「桐生さん、こちら、少しお使いになりませんか?」

朝、会議室の隅で、僕はそっと小瓶を差し出した
透明な液体が光を受けて、小さく瞬いている
こよみは首をかしげると、小瓶をつまんで鼻先に近づけた

「これ…すごく甘い香りがしますね」

「ええ、少しお菓子のような香りを調合してみたんです。お疲れの時に、気分が和らぐかと思いまして」

僕は静かに微笑んだ
子どもの頃に食べた焼き菓子のような香りは、きっと彼女の心に懐かしさを呼び起こすはずだ
香りには記憶を揺らす力がある――その効果に、彼女の心はきっと…

「……これ、私の思い出には合わないよ?」

こよみが小さく笑う
口元は柔らかいのに、目だけがまっすぐ僕を射抜いている

「えっ…そうですか?」

僕は思わず声を上ずらせた
彼女は香りを指先でくるくると回し、こちらをじっと見つめる

「でも…真央さんは、どんな香りが好きなんですか?」

「僕は…特にこだわりは…」

「そっかぁ…じゃあ、ちょっと試してみましょうか」

突然、こよみは自分のバッグから小さな香水瓶を取り出した
中からは、ほのかに柑橘とミントが混ざった爽やかな香りが漂う

「これ、私がいつも使ってるやつです。ちょっと失礼しますね〜」

彼女はにっこり笑うと、僕の首元にそっと吹きかけた
冷たい霧が肌に触れた瞬間、呼吸が止まりそうになる
そして、その香りが、僕の頭の奥にある小さな扉を叩いた

――子どもの頃、母が使っていた夏用のボディミスト
真昼の庭で、庭師の父に呼ばれたあの日
振り向いた瞬間、母の笑顔と一緒にふわっと香ったあの匂い

「……っ!」

一瞬、視界がかすむ
冷静さを保とうとするのに、指先まで熱が走る

「んふふ…真央さん、顔赤いですよ?」

こよみはわざとらしく驚いた表情を作りながら、くすっと笑った
まるで、ずっと僕の内側を覗いて遊んでいるような視線

「香りって…便利ですね?」

首を傾げるこよみの声は、甘く、とても無邪気に聞こえる
でも、その無邪気さこそが、僕を完全に翻弄していた

――予定では、彼女の心を揺らすはずだった
なのに、香りに揺れているのは、僕のほうだった

「……恐縮です」

そう絞り出すように言うしかない僕を見て、こよみはさらに微笑んだ
これから先、どんな「香りの仕掛け」が待っているのか
その予感に、足元が少しだけ震えた

「桐生さん、これは…その、少し強すぎる香りかもしれませんね」

僕はなんとか平静を装おうと、机の資料を整理するふりをした
だが、首元に残るあの香りは、僕の意識を掴んで離さない

「え〜?でも、とっても似合ってますよ?」

にこりと笑うこよみは、何事もなかったようにスケッチブックを開く
その横顔を見つめるうちに、胸の奥で妙な高鳴りが生まれてくる
香りに酔っているわけじゃない、いや…もしかしたら少し酔っているのかもしれない

「……恐縮です」

声がかすれてしまった
こよみは鉛筆をくるくると回しながら、ふとこちらに目をやる

「真央さん、今日の香り…どんな気分になりますか?」

「えっ、どんな…」

不意に質問を投げかけられ、思わず言葉を詰まらせる
その沈黙を楽しむように、彼女は机の上に顎を乗せ、こちらをじっと見つめる

「たとえば…子どもの頃に戻った気分とか?」

指先で机を軽く叩くリズムが、僕の鼓動と同じ速さに感じる
心の奥にしまっていた思い出が、あの香りで浮かび上がりそうになる

「……いや、別に…」

「ふふっ、素直じゃないですね?」

彼女の目が笑うたび、背筋がくすぐられるようだ
操作するはずの香りに、自分がすっかり支配されているなんて

「香りって、本当に…強いですよね」

そう言いながら、彼女は資料の上に置いた香水瓶を指先でなぞった
わざとらしく見えないのに、計算され尽くしたその仕草に、視線が奪われる

「でも…こういう使い方、真央さんが思いついたんですか?」

「……はい」

本当は、彼女を揺さぶるつもりだったと告白するような一言
それを聞いて、こよみは一瞬きょとんとした後、ぱっと笑顔を見せた

「んふふ…真央さん、可愛いですね。逆に香りで落とされちゃうなんて」

「……恐縮です」

言葉を返すたびに、自分が小さくなっていく気がする
それでも、この不思議な居心地の悪さは、どこか心地よかった

「次は、もっと面白い香り、試してみませんか?」

「……もっと?」

「たとえば、初恋の香りとか…」

無邪気な提案に、思わず息を飲む
こよみは無防備な笑顔のまま、まるでこちらの奥を探るように目を細める

「楽しみにしてますね、真央さんの“香り作戦”」

「……ええ、次は…もっと、工夫します」

小さな決意を声にすると、こよみは満足そうに頷いた
甘い香りが、今も首元に漂う
それはもう、僕自身の一部になってしまったようだった

「じゃあ、また香りのお話、聞かせてくださいね?」

そう言って彼女が立ち去った後、僕はそっと香りを確かめるように首元に触れた
――この香りに負けている自分が、たまらなく悔しくて、少しだけ嬉しかった

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