風が運ぶ記憶|シロクマ文芸部
風が吹く。
波打ち際の波のように、レースのカーテンが不規則に揺れる。柔らかく膨らみ引く姿は、まるで呼吸しているかのようだ。春の日差しを纏いながら揺れる様子に我を忘れて見惚れていると、不意に大きくはためいた。
高校二年から三年の受験まで、大好きだった国語教諭に小論文の添削をお願いした。
「職業科から四年制大学への進学は、落ちるから止めた方がいい。」
その慣習を破り、私たちのクラスから合格した生徒は複数いた。
卒業後は就職するつもりで選んだ職業科だった。それでも進学を諦めきれず、推薦入試で一校だけ受験し、落ちたら就職するつもりだった。
二、三年の担任は国語科の教諭だった。進学校の忙しさから逃れて田舎の公立高校へ来たことを、後に知った。目が虚ろで、心を置き去りにして生きているような人だった。
私は「この人に、自分の人生を預けたくない」そう思った。
一年時に国語担当だった先生に添削を頼み、断られた。
「あなたの担任は国語の先生でしょう。担任に頼むのが筋です。」
それでも私は引き下がらなかった。
「あんな人に頼みたくありません。先生に見てもらえなければ、私は大学に落ちます。」
生意気な生徒だったに違いない。
先生が折れて添削してくれることになった提出条件は、
「他の教員に見つからないように、朝早く先生の靴箱に入れること」だった。五時台の汽車に乗り提出した小論文は、受験までに百回を超えた。
あの時、先生が見放さずに添削してくれた原稿用紙の束は、大人になった後も私の宝物だった。今はもう手元に残っていないのだが。

風が吹く。
遠い記憶が寄せては返す波のように、あの日の出来事と混ざり合う。
三年間持ち上がりのクラスで、男子の中で優しかったあの子は、近所の人を助けるために戻り、津波に飲まれて命を落としたと、助かった友達が教えてくれた。
「彼らしい...…よね。」
そう言い合って、柔らかい笑顔を思い出すことしかできなかった。
松原付近の家を流された友達は、海向かいの避難所で
「海が見守ってくれるから大丈夫だよ」そう言っていた。
「何も困ることはないから大丈夫」と言っていた友達が、本当はヘアブラシが何日も手に入らずに困っていたことや、キャベツ1玉を買うのに寒い中で四時間も並んで苦労したことを、後で教えてくれた。
家も家族も無事だった山の方の友達は、自分たちが助かったことへの罪悪感に苛まれていた。家が無くなった人の苦しみも、家族が亡くなった人の悲しみも、どちらがどうとは言えなくて、と苦しんでいた。それぞれが心の内に抱えている辛さに、優劣はないとしか言えなかった。
津波発生から一か月後に訪れた母校の校舎で、音楽室付近に楽譜が落ちていた。私たちの頃は、毎年卒業式に合唱部の伝統で、校舎前で校歌を歌った。
水と空との連なれる
高田の海の八重の汐
轟とひびく松原に
はまなすの花ほの赤し
風が吹く。
記憶の中で海鳴りと共に校歌がこだまする。
失われた松原に新たな命が芽吹き、
私の身長を越えて、今、天を仰いでいる。

今回もお遊び企画に参加させて頂き、ありがとうございました。
いつか地元のことを自分なりに書こうと思っていたので、良い機会に恵まれ感謝しております🙏
母校のnoteをリンクしておきます🔗
