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人の共感を得るための逆張り

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こんにちは、そっちゃそです。今回も、結果的にマニアックになってしまった記事ネタをメルマガ読者向けのコンテンツとして、シェアしたいと思います。

僕は以前、「論理的、合理的な理由を与えられただけでは人は動かない」という話をしました。煙草を吸う人は、「煙草がいかに身体に有害かを示す客観的な理由」を示されても煙草を吸いますし、喫煙というアクションをするかどうかは、「理屈」で決まっているわけではありません。

論理やデータの限界みたいなのがここにあり、人が行動する、あるいはしない理由というのは、客観だけで定まるものではないということです。論理や正解でゴリ押しした結果逆に人から警戒されてしまう「ボウリング場の教え魔」などが象徴的だと思うのですが、正しいことを言えば人は動く、と考えてしまうのは間違っているわけではないのですが、なにかが足りていません。

さて、これまた僕の過去の説明からの引用になるのですが、人は「意味」を見出すとそれをエネルギーにして無限に走り続けます。意味は客観ではなく主観であり、データのようなもので裏打ちされているわけでもありません。「なにかが足りない」の足りてないもののひとつはおそらくこの、「意味」であり、それは外部からではなく内部から主体的に見出されるものです。

われわれが「面白いもの」を鑑賞したり楽しんだりするときに、「満足して終了する」という結果になることはありません。映画好きな人が、「映画を100本鑑賞したら十分だから、それ以降の人生でもう映画鑑賞しなくてもいい」と結論づけることはないですし、収集癖のある人が、「100個集めたら終了しよう」と考えることはないはずです。人は意味を見出すとそれを内発的動機づけにして動くのですが、その動きは基本的に止まらず無限に動き続けます。

記号から意味へのシフト戦略

以前のメルマガでもお伝えしたことなのですが、僕がやっていることは、「論点とポジションを淡々と示すこと」だけです。かつては、「語学学習に役立つ小ネタや知識」みたいなのをXで投稿することをしていましたが、それがなにかに発展することを感じなかったため、今ではほとんどしていません。

というのも、継続的に読んでもらうためには、「論点と意見」の型のほうがいいなと、僕自身が感じ始めたからです。(世間であまり表に出てこない)論点を示して、それにポジションをとるというやり方で何かを言うと、それだけで継続的な読者を集めることができるというのは、もうすでにこちらで確認しています。

世間の人がうすうす感じているであろう違和感を論点を示す形で言葉にして、そこから共感を得る、というのが僕の型なのですが、ここでキーになるなと僕が考えているのが、「少数派になる勇気」です。

多数派の意見を復唱してもなんにもなりません。みんなが言っていることにどこかの誰かが+1しても何にもなりませんが、みんながうすうす感じているであろうことを、少数派として意見することには意味があります。そして、その意見する人は別に有名でも何でもないふつうの、匿名の人でもよく、というのも、逆張りでやることは潮流を変えること、節目をつくることなわけで、でかい声で何かをゴリ押しして叫ぶことではないからです。

違和感を持っている人10人にそっちゃその逆張りの意見が見せられたとして、そのうちの数人がそっちゃそに共感してくれればいいわけです。少数派であるとしても勢いがつくことは間違いないわけですから、共感の力はもともとのすがたよりも強くなります。

ここで、冒頭で触れた「意味を見出す」の話に合流するのですが、共感を得るというのは、他人に意味を見出してもらうことと同じであるはずです。少数派、マイノリティの人に響くことをそっちゃそはしようとしているわけで、「論点とポジションを淡々と示すこと」がそれに有効である、というのが僕の考えです。すでに触れましたが、意味を見出した人は無限に動くようになるわけですから、それは大きなエネルギーをつくること、潮流を変えることにどんどん貢献するはずです。

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