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言語の習得には「文化の理解」が重要だ

前回の記事で、英単語の和訳を覚えるという語彙力強化方法はあまりおすすめできないという話をしました。

またその中で、「日本語には日本語の、英語には英語の文化や都合がある」という話をしました。今回はこの話に関連して、語彙に限らず、文法や発音においてもその国の感じ方捉え方を(可能な限り)尊重し、自国の言葉の文化をなるべく混入させないように努めることが重要であることを説明します。

言語と文化には密接な関係がある

言語はその国の文化やものごとに対する捉え方の傾向を反映しています。日本語には日本語独自の表現方法、英語には英語独自の表現方法があり、そのため、まったく同じ事象・現象を記述しようとするにしても、その表現のされ方は言語ごとに大きく異なります。

たとえば、How language shapes the way we think という有名な TED トークでも、同じ現象を記述するにしても、言語ごとにさまざまな表現のされ方がなされる、という説明があります。男性がうっかり花瓶を割ってしまった場合、英語では。A guy (accidentally) broke the vase. と記述する傾向がありますが、対して日本語の場合、花瓶が割れちゃった、など、花瓶を主語にして説明する傾向があります。

他にも、相対時制と絶対時制の違いに代表されるような、時間に対する捉え方の違い、数、単位性、計数に対する捉え方の違いなど、いろいろな例を挙げることができます。

また、その人たちがなにに「美学」を感じているかなどといった、センスの問題もあります。

たとえば、氷や雪が身近で生活の一部としてあたりまえのように浸透しているエスキモーの言葉には「雪」を表現する言葉が何十種類もあるといいます。日本語でも粉雪とかみぞれとか、雪を表現するための豊富な言葉を備えていますが、エスキモーの言葉と比べた場合、日本語の雪に対する感性は乏しいと言えるかもしれません。

他にも、タイ語の場合、借りると貸すという言葉はเช่าとให้เช่าに対応します。タイ語は、「貸す」に相当するピンポイントの語句を持っておらず、使役のให้を使用して複合語をつくり、「借りさせる」という形で貸すに相当する意味を出します。個人的には、「借りたいけど貸したくない」というタイ人の心理(感性)を反映しているんじゃないかと疑っています。

身近なたとえで例を示すことも可能で、たとえば、バイクが好きな人は自分の愛車を単に「バイク」とは呼びません。「明日バイクで行くよ」ではなく、「明日僕のCB400スーフォアで行くよ」と言うと思います。これ単なる言い方の問題ではなく、「僕のスーフォア」は単なるバイクではないオンリーワンの存在である、という、「感性」が言葉ににじみ出たと解釈できます。

哲学的な話になりますが、事実(実在)はただ一つであり、これは間違いありませんが、事実をどのようにとらえ、解釈し、理解するかについては無限のパターンがあります。バートランド・ラッセルの言葉を借りるならば、ただひとつの実在から与えられる感覚与件(sense data)は人それぞれであり、ある人の感覚与件が別の人のそれと重なることはない、ということです。

それぞれの感覚与件は実在する事実を原因として生じるものであり、感覚与件からただひとつの実在を類推することはできますが、感覚与件には「オリジナリティ」という唯一無二の個性が出てきます。これが冒頭で述べた見かた感じかたの話につながるものであり、これは、個人あるいは話者集団の文化的背景、属性などとリンクしています。

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