商業主義的な英語教材から逃げよう
言語は生き物であり、時間がたつに従い徐々に、自然にアップデートされるのですが、そのスピードはとても遅いです。言い換えると、数十年前の「英語の知識」は、今でもふつうに通用するということであり、知識が極端に古びたり陳腐化することはありません。高齢のおじいさん、おばあさんと小学生の子供が意思の疎通を行えるという事実からもわかるように、数世代を隔てても何かが極端に変わることはないです。
たとえば、shouldの現在形shallはほぼ死語であり、現代では、契約書を書くときか、だれかをダンスに誘うときくらいにしか使いません。shallが死にかけの語になったことは当然、過去のアップデートの流れのなかで出てきた結果なのですが、この変化は数世紀単位の長いタイムスパンで起きたものです。
その一方で、今の英語学習界隈の景色を見てみると、なんだかとても忙しそうというか、騒がしい雰囲気みたいなのを感じませんか。(存在するはずがない)最短最速・究極の英語学習や、まったく新しい学習法がほとんど毎日のように生産されており、「アップデートがとても遅い」という自然言語の特徴とは対照的です。今回はこのあたりの話を、「商業主義的な語学教材」という言葉とからめてざっくばらんに話してみたいと思います。
売れない情報は表に出てこない
まず、どこかの出版社から書籍を出す場合、ある程度の部数が見込まれる内容でなければなりません。数千部しか売れない見込みであるというのはお話にならず、数万部単位で売れることではじめて、出版社にとってのプラスになります。
そして、最も悲しいこととして、学習者に真摯に寄り添えば寄り添うほど売れなくなります。結果的に、学習者人口の大半を占める初学者の「ラクして英語を学びたい」という怠惰な心理に付け入る、以下のような特徴を備えた、オモチャのような子供だましでつまらないコンテンツが湧いてくることになります。
奇をてらった内容をアピールする
タレントを広告塔にしてイメージを固める
簡単であることをアピールする。やらなくてもいいことをアピールする
いままでの方法よりも時間がかからないことをアピールする
いずれも、注目をひくことありきであり、学習者に寄り添うという態度が感じられません。
YouTubeなども同じで、違いは、発行部数が「再生数」という指標に置き換わっただけです。マスを動かせば動かすほどその YouTuber の収益は比例的に伸びますから、必然的に、だれでも理解した気分になれるコンテンツが表に出てきやすくなります。具体的には、「教科書英語」と「ネイティブ英語」を交互に披露するショート動画のような、深入りして解説することのないコンテンツなどです。
X(Twitter)でもやはり、ぱっと見でわかった気分になれるコンテンツが伸びやすいです。イラストを出して説明をまったく加えない、「一撃で理解!」系のコンテンツなども、上記であげた例と特徴が酷似しています。
ルールがない現実
日本には、景品表示法などの優良誤認表示をさせないための法律があるため、「最高」とか、「ナンバーワン」などの文言を広告などのメッセージングで根拠なく使用することはできません。マンションなどの訴求コピー(いわゆるマンションポエム)などてはとくに規制が厳しく、事実や根拠のないコピーは書けないことになっています。その目的は当然、情報の非対称性によってもたらされる、売り手の買い手のパワーバランスの不均衡を正すためであり、情報にもとづいて消費者が何を選び、何を買うかを決めるさいの判断に役立てられます。
一方、「YouTube動画そのもの」は値札のついた商品ではないため、景品表示法などが適用されない、「ありあり、なんでもあり」の世界になります。言っていいことに関してのグレーゾーンの範囲が有償の財やサービスと比較して広い(=ナンバーワン、究極、最高などの言葉を使用しても適法の範囲に当然収まる)ため、「やっていいこと」の幅でいうとYouTubeのほうが圧倒的にforgivingです。YouTubeには、(地上波のテレビではとても流せなそうな)過激なネタの動画もありますが、ここにも同じ事情があります。
YouTubeの中にも、真摯な態度でよいコンテンツを作っている人はいるのですが、やはり、YouTubeで大きく勝つのは、大衆の心をつかんだ人です。ことYouTubeにかんしていえば、「もっとも過激なことを言った人の勝者総取り」になります。やはり、「結果的に奇をてらった方向に流れてしまう」という、構造上の問題を感じることができます。
「知れば知るほど謙虚になるのがふつう」という話を別の記事でしているのですが、これと今回の話は関連します。「過激な発言ありき」で何か言ってしまう、そして、それで人を集めてしまうというのは、「私は現実を見ていません、謙虚ではありません」と白状しているようなものです。
みんががいいねと思う情報は、あなたにとっていいねと思える情報では必ずしもありません。あなたにとってはたいしてよくない情報が噴出している場所で徘徊するのは、あまり筋のいい試みではないように思えます。
価値の高い情報ほど売れない
繰り返しになりますが、学習者に真に寄り添った情報であるほど、目立ちません。ですから、学習者目線で、商業主義的な教材に翻弄されることなく学習を進めるには、なるべく目立たない場所にある情報を探るようにする必要があります。
語学ネタに関する「最新」の情報がなぜ温泉のように湧いてくるのかという疑問については、やはり、英語学習産業のビジネス色がつよくなった結果でしょう。日本の書店の学習参考書コーナーが(他の諸外国一般と比較して)異様に充実しているのも、ビジネス色が強いという日本の景色の結果のひとつだと思います。
大衆の欲望を無限に満たし続ける、つまり、「(ホントは存在しない)画期的な語学学習の方法」をちらつかせることをして、それがあってほしいと望む大衆をいい気分にさせる、という構図は、「甘やかされた子供」という言葉でオルテガが表現したすがたとよく重なります:
現代の景色はそのように、人々のもろい欲望に無限に対応し、よい気分にさせるだけのビジネスになっています。実をいうとこれはビジネス側にとっては都合のいいことで、というのも、画期的とか、革新的とか、まったく新しいみたいなラベルがついた人参を無限にぶらさげて、人を無限に動かすことができてしまうからです。
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