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映画『フェラーリ』感想:史実を知る者にとっての「答え合わせ」と鎮魂歌

#映画感想文


史実の映画化は、知っている人にはネタバレ


午前中の半休を取って、出社前に映画館へ。(2024年07月10日)
TOHO Wednesdayで1300円。
客層は・・・自分を含め おっさん 。

一応ネタバレ情報は入れずに見に行ったけど、出てくるドライバー全員、どんな死に方をするかの史実を知っているので、序盤にアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵が出てきたところで何を描くか全部わかってしまったという・・・。

最初の「ジャン・ベーラが来たぞ」というのがそんなに脅威だったのかはちょっと疑問。
(当時のライバル社 マセラティのエースドライバーで最大のライバルではあったが)

複雑な人間模様


妻ラウラと、もう一つの家族 エンツォを支える二人の女性の描写も印象的だった。 妻ラウラ・フェラーリは写真でしか見たことがなかったが、ペネロペ・クルスのメイクが驚くほど似ていた。
一方で、フェラーリを継いだピエロ・ラルディ・フェラーリの「ラルディ」が、実は母方の姓であったことはこの映画で改めて知った。彼が婚外子であり、エンツォが本妻ラウラとの間に授かった息子ディーノを亡くした直後という複雑な家庭環境に置かれていたことが、物語に深い影を落としている。
アダム・ドライバーがエンツォを演じるのは少し違和感があった。
ロイック・デュバルに見えたり、白髪にするとデイモン・ヒルっぽかったり……。


1957年、ある時代の終焉

さて。
1957年が舞台。
史実を知っていると、この時点で「ラストはミッレミリアか」とわかってしまう。

時系列で1950年にF1世界選手権が始まり、初期のチャンピオンはアルファロメオだった。翌年1951年にアルファロメオを破ってフェラーリが勝ち、52-53年はアルベルト・アスカリがフェラーリに乗りF1での9連勝を達成。

フェラーリのルマン24時間初制覇は1954年。
その翌年1955年のルマンはメルセデスが観客席に突っ込んで大惨事。
1956年はランチア・フェラーリがF1でチャンピオン。
ミッレミリアは結構フェラーリが毎年勝ってる印象。

という感じなので、
・フェラーリは1956年に年間98台しか売れてなくて金がない
・ミッレミリアでマセラティに勝って宣伝するぞ

がすんなり入ってこない。「そうだったっけ?」という疑問が勝ってしまった。F1も現在と違って規模が小さかった、ということなのか。
史実を知らなければ素直に受け止められたかもしれない。


息子ディーノは何年も前に死んでいるのかと思ったら、前年の1956年死去だったのね。その流れで見ていればよかったのか。


ミッレミリアとは

イタリアの公道を使った1000マイル(1600km)を走破するレース。
公道を全開走行するため危険と隣り合わせだった。
1927年に始まり、スピードレースとしては1957年を最後に終了。
20年後の1977年以降は、クラシックカーの祭典として
規定時間に合わせて走る精度の競技が行われている。
(1957年までに製造された、当時のミッレミリア出場車と同型の車が参加できる)



映画「Ford VS Ferrari」は、1959年のルマン勝者キャロル・シェルビーがFord GTを作ってフェラーリに勝つまでを描いている。その発端には1963年にフェラーリがフォードからの買収を拒否した事件があるが、同じようにフェラーリ社の倒産危機を1957年を舞台にやってるわけで、結局毎年やってる恒例行事だったのね。

「レースに勝ったら車が売れる」
というのも言われているけど、1960年から1965年までルマン24時間を6連覇したフェラーリがフォードに買収されそうになってるのを見ると、いまいち納得感がない。

フィアットのジャンニ・アリエリがエンツォに電話しているが、その決着は今回の映画の中では描かれず。全然別の映画だけど、
「Ford VS Ferrariでやったからそっちを見てね!」っていう感じなのかしら。

映画を観た後に知るとさらに切なくなる史実


エウジェニオ・カステロッティは1957年3月にモデナでのテスト走行中に事故死。
その前年フェラーリに乗りミッレミリアの覇者であった。

1957年のフェラーリチームのドライバーたちは
ピエロ・タルフィ、オリヴィエ・ジャンドビアン、ウォルフガング・フォン・トリップス伯爵、ピーター・コリンズ、そしてアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵。

それぞれがドラマを持っていて、映画では出てこない史実を知っているとまた深い。

タルフィは最後のミッレミリアで勝ち、引退。
その後は日本の船橋サーキットや富士スピードウェイの監修をやったりしている。(1960年代のこと)

ジャンドビアンは1958年と60~62年にルマン24時間優勝。
ジャッキー・イクスが上回るまでルマン最多勝かつ最初の3連覇達成者。
(間の1959年の優勝者は、Ford vs Ferrariの主役、キャロル・シェルビー)

トリップス伯爵は61年のF1でシャークノーズのフェラーリに乗りチャンピオンを争い、イタリアGPモンツァで事故死。ドイツ人のF1チャンピオンはその後1995年のミハエル・シューマッハーまで現れず。

1961年F1イタリアGP トリップス伯爵と観客14人が死亡


コリンズは1956年にランチア・フェラーリに乗りチャンピオンを争ったが、同チームのファンジオにタイトルを譲ったエピソードが有名。
「自分はまだ24歳と若いのでまたチャンピオンのチャンスがある」
と言いながら、2年後のF1ドイツGPで事故死。無冠で散った。

ポルターゴ侯爵はミッレミリアを終焉させる、観客を巻き込み11人が死亡する事故の当事者。


事故死する人ばっかりだ。


そんな彼らをフェラーリチームとしてまとめるエンツォ・フェラーリ。
この映画で映し出されるエンツォは常に冷徹だが、文字通り命をかけて走るレーサーの運命を背負っていたのだ。

そしてこの映画は、偉人の伝記映画ではなく、ある時代の終焉(ミッレミリアの終了)を描いた鎮魂歌だった。



小ネタ


「わたしのガンを返せ!」ってお誘いも。
濡れ場シーンはどれも死亡フラグだった・・・。

エンツォ・フェラーリは独立前はアルファロメオのドライバーだった。
アルファロメオを破った際、
「私は母を殺してしまった」と言ったセリフが有名。


閲覧注意の事故再現シーン


映画では一瞬だったので、多くの人はスルーしたと思うが。
ラストのポルターゴ侯爵の事故シーン。
侯爵はクラッシュの結果、身体を切断されて即死したとの記録が残っている。
公道のレースなので全てのシーンが映像に残っているわけではなく、そのシーンは映っていないのだが、おそらく事故の記録から類推して事故シーンを作り上げたのだろう。
実は、切断された上半身が再現されて映されているので、知った上で見る人は覚悟して観るか目を背けるか選択のこと。


Ford vs Ferrari についても記事にしたので是非ご覧ください。
関連して、「栄光のルマン」や「グラン・プリ」の記事も書きたいな。


この映画を観なおしたい、観てみたいという方はこちら。




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