レヴァラス王国廃止録|前日譚 最後の王命
あらすじ
勇者召喚は、世界を救う奇跡だと信じられていた。
異なる世界から勇者を呼び、魔を討ち、国を救う。
それは多くの国で、女神の導きであり、救済であり、希望として語られてきた。
けれど、その召喚の代償を払っていたのは誰だったのか。
世界を救うための光が、別のどこかの命を削っていたとしたら。
勇者と呼ばれた者達が、何も知らないまま誰かの国を滅ぼしていたとしたら。
旧レヴァラス王国の王、オルカ・レヴァラスは知っていた。
この世界は、滅びに近づいているのではない。
もう、すでに滅びの中にあるのだと。
民を失い、家族を失い、王国の意味さえ失った若き王は、亡国の姫リフィアと共に一つの決断を下す。
王国を復興するのではない。
再建するのでもない。
延命するのでもない。
レヴァラス王国を、廃止する。
これは、勇者を憎む物語ではない。
勇者召喚を救済と偽った国々と、その構造を解体していく物語である。
前日譚 始めます。
玉座の間は、雨の音に沈んでいた。
本来なら、晴れているはずの日だった。
けれど、この国の空は、もう何年も不安定だった。晴れているはずの日に雨が降り、雨が降るはずのない季節に雷が鳴る。民はそれを不吉と呼び、神官達は女神の御心だと説いた。
オルカ・レヴァラスは、その言葉を信じていなかった。
信じていなかったが、無視もしていなかった。
玉座に座る父王は、ひどく痩せていた。
それでも、その目だけは鈍っていない。
病に侵され、死の影を背負いながらなお、王は王だった。
「……さて、我が息子よ」
父王は、静かに言った。
「我が国を継ぐ者よ」
「父上」
オルカは、玉座の前で膝をついたまま顔を上げる。
「その呼び方は、まだ早いのではありませんか。あなたはまだ生きている」
「生きておるとも」
父王は小さく笑った。
「だが、国はもう長くない」
雨音が強くなる。
オルカは、父王の顔を見た。
「前線の話ですか」
「違う」
「民の消失事故ですか」
「違う」
「では、何が」
「世界だ」
父王は、肘掛けに置いた指をゆっくりと握った。
「この世界は、滅びに近づいているのではない」
その声は、ひどく静かだった。
「もう、すでに滅んでいる」
玉座の間に、沈黙が落ちた。
普通の者なら、その言葉に取り乱したかもしれない。
けれどオルカは、ただ一度だけ瞬きをした。
「……女神ですか」
父王の眉が、わずかに動いた。
「ほう」
「夢で、何度か言われました」
「何をじゃ」
「世界は壊れている。境界は薄くなっている。召喚の光を、信じてはいけないと」
父王は、天井を見上げた。
「儂より先に喋りおったか、あやつ」
「女神ですから」
「便利な言葉じゃな」
「ええ。だいたいのことは、それで済みます」
二人は少しだけ笑った。
だが、その笑みはすぐに消える。
「夢では足りぬ」
父王は言った。
「今から話すのは、この国が記録した現実じゃ」
「はい」
「勇者召喚による死者は、数千万を超えた」
オルカの表情が消えた。
「数千万」
「数えられたものだけで、それじゃ。数えられぬ死者まで含めれば、もはや誰にも分からぬ」
「誰が数えたのですか」
「数えねばならぬ者がいた」
「地獄のような役目です」
「そうじゃな」
父王は静かに頷いた。
「召喚陣は、無から人を呼ぶ奇跡ではない。世界の境界に穴を開け、異なる世界から存在を引きずり込む禁術じゃ。その穴を開けるには、膨大な代償がいる」
「召喚する国が払っているのでは?」
「表向きはな」
「実際は」
「遠く離れたどこかの民が、払わされている」
雨音が、玉座の間に落ちる。
「名も知られぬ村。地図にも残らぬ町。辺境の民。国境沿いの集落。そういった場所から、少しずつ命が削られる」
「……民の消失事故」
「事故ではない」
父王の声が低くなる。
「意図された召喚魔術の代償じゃ」
オルカは返事をしなかった。
怒りより先に、理解が追いつかなかった。
民が消える。
ある日、家族がいなくなる。
名簿から名前が消え、家だけが残り、誰も理由を説明しない。
それを神官達は、神の思し召しと呼んだ。
「神の思し召しとは、便利な言葉ですね」
「便利だから使われる」
「便利な言葉を使う者ほど、ろくでもない」
「その通りじゃ」
父王は、目を細める。
「軍事国家アルバライン」
その名が出た瞬間、空気が変わった。
「召喚の禁忌を、常に犯し続ける犯罪国家。勇者召喚を救済と呼び、世界を守るためと偽り、民の命を代償にして他世界の人間を呼び続けている」
「全ての元凶ですか」
「いいや」
父王は首を振った。
「全てではない。だが、最初に壊すべき歪みじゃ」
「なるほど」
オルカは小さく息を吐いた。
「勇者が召喚される時、誰がその代償を払っているのか」
「そうじゃ」
「世界を救うための召喚が、別のどこかを壊していた」
「そうじゃ」
「救済と呼ばれた光が、誰かにとっては災害だった」
「そうじゃ」
オルカは、ゆっくりと拳を握った。
「分かりました」
「早いな」
「遅いくらいです」
父王は、しばらく息子を見つめていた。
「怒っておるか」
「怒っていますよ」
「静かじゃな」
「静かな怒りの方が長持ちします」
父王は、苦く笑う。
「嫌な育ち方をしたものじゃ」
「誰の教育でしょうね」
「儂ではないな」
「そうですね」
二人は少しだけ笑った。
けれど、それもすぐに沈む。
父王は、次の言葉を選ぶように黙った。
オルカは急かさなかった。
雨音だけが、二人の間に落ちている。
「お前の母も」
父王は言った。
「お前の妹も」
オルカの呼吸が止まる。
「場所は違えど、勇者によって殺された」
雨音が遠くなる。
オルカは、父王の顔を見ていた。
「遺体は」
「無い」
「そうですか」
「木端微塵じゃ。灰燼に帰した」
オルカは、何も言わなかった。
言葉が出ないのではない。
出してはいけないと思った。
今ここで吐き出せば、そのまま剣を抜いてしまう。
怒りはあった。
憎しみもあった。
だが、父王はそれを望んでいない。
「許せぬか」
「当然でしょう」
「勇者を殺したいか」
「殺したいですね」
「では、なぜ動かぬ」
「一人殺しても、終わらないからです」
父王は、わずかに目を細めた。
オルカは低く言った。
「怒りで殺せるのは、人だけです。構造は殺せない」
父王は、静かに笑った。
「そこまで見えているなら、話は早い」
「話が早いのは結構ですが、内容が重すぎますね」
「王とはそういうものじゃ」
「嫌な職業です」
「今さら気づいたか」
「前から気づいていましたよ」
二人はまた、ほんの少しだけ笑った。
笑わなければ、壊れてしまう話だった。
父王は、玉座の肘掛けに手を置く。
「儂の死後、お前は王となれ」
「はい」
「亡国の姫と結ばれよ」
オルカは、そこで少しだけ困った顔をした。
「結婚、ですか」
「嫌か」
「いえ」
少し考えてから、肩を竦める。
「あの子のことは、相当気に入っていますし」
「ほう」
「お互いに食事をする仲にまではなりました」
「……そうじゃったのか」
「結婚か……覚悟を決めないといけないようですね」
父王は、しばらく黙っていた。
その沈黙は、王としてのものではなかった。
「誰にも言えないですもん。そんな事」
「そうか……」
父王は、どこか安心したように目を細めた。
それ以上は聞かなかった。
王としてではなく。
一人の父親として。
ただ、その事実を受け止めた。
けれど、柔らかな時間は長く続かない。
父王は再び王の顔に戻った。
「そして、時が来たなら国を畳め」
「……はい」
「死んだ国を、奴らに使わせるな」
「はい」
「レヴァラスの名は旗になる。旗は大義になる。大義は、次の犠牲を呼ぶ」
父王の声が、低く響いた。
「死者の名を、召喚の口実にさせるな」
「はい」
「城も残すな」
「城は?」
父王は笑った。
病人とは思えないほど、楽しそうに。
「我が息子よ」
「はい」
「盛大に破壊せよ」
オルカは数秒黙った。
「王城ですよね?」
「王城じゃ」
「普通は守れと言いません?」
「普通の王ならな」
父王は喉の奥で笑う。
「王国の象徴など、残せば必ず誰かに利用される。救済の聖地にされるか、復興の旗にされるか、勇者召喚の祭壇にされるか。どれにせよ、ろくな使われ方はせぬ」
「ならば、残すな」
「そうじゃ。お前の手で葬れ」
雨が、玉座の間を叩いている。
「ただし、忘れるな。破壊とは終わりではない。王の破壊は、次の一手でなければならぬ」
「次の一手」
「然るべき時、その瓦礫を以て功を制せ」
オルカは笑った。
ああ。
やはりこの人は、最後まで自分の父親なのだ。
「父よ」
「なんじゃ」
「これまで教わった事を糧に頑張りますよ」
「うむ」
「なので最期は安らかに寝てくださいね」
父王は数秒固まった。
「オルカよ」
「はい」
「儂を殺すな」
「違うんですか?」
「違う」
「そうなんですか」
「そうなんじゃ」
二人は、静かに笑った。
世界が滅びようとしているというのに。
勇者が災害となり、国々が死に続けているというのに。
その時だけは。
そこにいたのは、王と後継者ではなかった。
ただの父と息子だった。
やがて父王は、最後に言った。
「オルカ・レヴァラス」
「はい」
「召喚されたことは罪ではない。知らなかったことも罪ではない」
「はい」
「だが、真実を知った後に振るった剣は、その者自身の罪となる」
オルカは、ゆっくりと頭を垂れた。
その言葉を、王命として受け取るために。
「勇者も、国家も、民も。全てを一つに括るな。見極めよ。選べ。そして、斬るべきものを斬れ」
父王の声が、玉座の間に響く。
「お前は復讐者で終わるな」
雨が止んだ。
ほんの一瞬だけ。
空が、息を止めたように静かになった。
父王は言った。
「歪みを破壊せよ」
オルカは、深く頭を下げた。
「承知しました」
その後も、父と息子はしばらく言葉を交わした。
世界のこと。
王国のこと。
亡き母と妹のこと。
そして、これからの未来のこと。
それが王としての会話だったのか。
父と息子としての最後の雑談だったのか。
今となっては分からない。
ただ一つ確かなことがある。
この日、オルカ・レヴァラスは全てを知った。
世界が既に滅びの中にあることを。
勇者召喚が救済ではなく、災害でもあることを。
母と妹が、救済の名を掲げた剣によって奪われたことを。
そして、自らに課せられた役目を。
やがて時は流れる。
父王は世を去り、レヴァラス王国はさらに衰退し、世界は終焉へ向かって歩み続けた。
そして一年後。
若き王は、一つの決断を下す。
復興ではない。
再建でもない。
延命でもない。
王国の終焉。
誰よりも国を愛した王が。
誰よりも国の死を理解していた王が。
自らの手で、その歴史に幕を下ろす。
これは、その始まりの記録である。
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