レヴァラス王国廃止録|第2話 レヴァラス王国、爆散
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レヴァラス王国廃止録は、こちらのマガジンにまとめています。
今後の物語も順番に追加していきますので、よければこちらからどうぞ。
第1話の最後で、オルカは告げました。
「明日の朝、レヴァラス王国は終わる」
第2話は、その翌朝から始まります。
それでは、第2話スタートです。
朝は、思っていたよりも静かだった。
夜のあいだに雨が降ることもなく、嵐が来ることもなかった。空は薄く白み、雲の切れ間から淡い光が差し込んでいる。崩れかけた王城の石壁は、その光を受けて冷たく沈黙していた。
昨日まで、そこは国の中心だった。
今日からは、ただの終わった場所になる。
オルカ・レヴァラスは、王城の正門前に立っていた。身に着けているのは、王がまとうには軽すぎる鎧。腰には短剣。王冠も、重い外套もない。最後の王にしては、あまりにも身軽な姿だった。
その隣で、リフィアが荷袋の紐を結び直している。
保存食。水袋。薬草。わずかな路銀。旅に必要なものは、昨夜のうちにまとめてあった。足りているとは言い難いが、足りないと言い始めれば、この世界ではきりがない。
「眠れましたか」
リフィアが尋ねた。
「三分くらいは」
「それは眠ったに入るのですか」
「目は閉じた」
「では、私は五分です」
「負けたな」
「競うところではありません」
リフィアは小さく息を吐いたが、その表情には笑みがあった。無理に作ったものではない。重い朝を、少しだけ軽くするための笑みだった。
オルカもそれ以上は何も言わず、王城を見上げた。
高い塔。欠けた城壁。色褪せた旗。人の気配が消えた今でも、城はまだ王国の形を保っていた。だからこそ、残せない。形だけが残れば、そこに意味を後から貼りつける者が現れる。
死んだ国は、反論できない。
「本当に、やるのですね」
「ああ」
「撤回するなら、今ですよ」
「撤回する理由がない」
「……でしょうね」
リフィアは正門へ視線を向けた。そこには、かつて兵士達が立っていた。祭の日には花が飾られ、子供達が走り抜け、商人達が荷車を止めて城を見上げていた。
その記憶は、もう声を持たない。
それでも、消えたわけではなかった。
記憶は、残ってしまう。
だからこそ、城の形だけを誰かに奪われることが、ひどく許せなかった。
「案内します」
オルカはそう言って、正門ではなく脇の細い道へ向かった。
「正面からではないのですか」
「正面から壊す趣味はない」
「壊すこと自体は否定しないのですね」
「必要だからな」
「必要という言葉は便利です」
「そうだな。便利すぎるから、使い方には気をつける」
リフィアは少しだけ目を細めた。
軽口の中に、本音が混じっている。オルカはそういう言い方をする。何でもないように言って、決して引かないところだけを静かに置いていく。
二人は城壁沿いの小道を進んだ。
そこは普段、王族や限られた兵だけが使う通路だった。石畳には苔が生え、ところどころにひびが入っている。壁際には古い排水路があり、昨夜の冷えた空気が、地面の隙間からまだ残っていた。
やがて、丘の上に出る。
王城を少し離れたその場所には、古い石碑が立っていた。苔に覆われ、風雨に削られ、文字の多くは読めなくなっている。だが、中央に刻まれた紋様だけは、今もはっきりと残っていた。
リフィアはその石碑を見て、すぐに表情を変えた。
「これは……」
「王城の中枢に触れるための鍵だ」
「鍵、ですか」
「歴代の王だけが使える。そう聞いている」
「聞いている、という言い方が不穏ですね」
「実際に使うのは俺も初めてだ」
「とても不穏です」
リフィアの指輪が、かすかに震えた。
護身用の魔法が込められたその宝石は、普段なら主の危険に反応する。けれど今の震えは、敵意に対するものではなかった。もっと古いものに触れた時の、戸惑いに近い反応だった。
オルカは石碑に手を置いた。
冷えた石の感触が、掌から腕へと染み込んでいく。
何も起きない。
少なくとも、最初の数秒はそう見えた。
だが、沈黙の奥で、何かがこちらを見返した。眠っていた獣が薄く目を開けるような、古い水底に沈んでいた光が揺れるような、言葉にならない気配があった。
リフィアが、わずかに息を呑む。
「……これは、中世魔法ではありませんね」
「違うな」
「古代魔法、ですか」
オルカはすぐには答えなかった。
朝の光が、石碑の割れ目に差し込んでいる。その細い影を見つめながら、彼は一度だけ息を吐いた。
「それよりも古い」
リフィアの指輪が、今度ははっきりと震えた。
彼女が扱う魔剣や護身の術式は、理に沿った魔法だ。現象を描き、魔力を通し、必要な結果を起こす。扱いやすく、安定していて、間違えにくい。
だが、目の前の石碑に眠るものは違った。
これは一人の魔術師が組んだ術式ではない。王城の石、玉座の位置、地下を流れる水脈、城壁の向き、歴代の王が残した印。そのすべてが一つの器になっている。
国そのものに刻まれた、古い鍵だった。
「本当に、残っていたのですね」
「断片だけだ。理解できているとは言えないし、扱えているとも言えない」
「それで起動するのですか」
「鍵は残っている」
「無理はありませんか」
「ある」
「即答しないでください」
「嘘をつく場面でもないだろ」
リフィアは困ったように眉を寄せた。けれど、止めろとは言わなかった。
彼女も分かっている。
この城を残せば、誰かが使う。王の名を、旗を、玉座を、失われた民の記憶を、後から好きな形に作り替える者が現れる。正義のため。復興のため。救済のため。そう言いながら、死者の沈黙を利用する者が現れる。
それだけは、許してはいけなかった。
「オルカ様」
「大丈夫だ」
オルカは静かに言った。
「これは、壊すための魔法じゃない」
リフィアは王城を見た。
城は朝の中で、まだそこにあった。ひび割れ、沈黙し、空っぽになってもなお、王国の形をしていた。
「では、何のための魔法ですか」
「眠らせるためだ」
石碑に、青白い光が走った。
激しい光ではなかった。夜明けの底に沈んでいた古い水が、ゆっくりと目を覚ますような光だった。石碑に刻まれた紋様から細い線が伸び、丘を下り、城壁へ向かって静かに走っていく。
王城が、応えた。
閉じられていた門の金具が小さく鳴る。塔の窓に残っていた割れた硝子が、朝の光を受けて一瞬だけ白く光る。石壁の奥で、長いあいだ眠っていた術式が、順番に目を開けていく気配がした。
オルカは目を閉じる。
思い出したのは、玉座に座る父の姿だった。
死んだ国を、奴らに使わせるな。
城も残すな。
然るべき時、その瓦礫を以て功を制せ。
最後まで、厄介な王命だった。
けれど、その厄介さこそが父らしかった。
市場の声が、遠くから聞こえた気がした。値切る女達の声。眠そうな門番のあくび。走り回る子供の靴音。鍛冶場から散る火花。パン屋の煙。兄上と呼ぶルアナの声。名前だけが思い出せない母の笑顔。
全部、ここにあった。
そして、全部、もうない。
だから残せない。
誰かがこの城に旗を立てる前に。誰かがこの玉座を利用する前に。死者の名を、次の犠牲の理由にされる前に。
オルカは目を開いた。
「レヴァラス王国最後の王、オルカ・レヴァラスの名において命じる」
青白い光が、王城全体へ広がっていく。
塔へ。
門へ。
城壁へ。
誰も座らなくなった玉座へ。
石が軋む音がした。けれどそれは、悲鳴というより、長く張りつめていたものがようやく緩む音に近かった。
オルカは、最後に一言だけ告げた。
「眠れ」

朝が来た。
その瞬間、王城は内側から光を抱いた。
石壁の隙間から青白い線が滲み、塔の先端が朝焼けの空に溶けるように震えた。城全体を縫うように走った光は、破壊のための刃ではなく、長く閉じられていた封を解いていく指先のように見えた。
轟音は、少し遅れてやって来た。
大地を叩くような音が丘まで届き、足元の草が震える。塔はゆっくりと傾き、城壁には深い亀裂が入り、正門は自ら膝を折るように沈んでいった。色褪せた旗は炎ではなく光に呑まれ、歴代王の肖像が飾られていた廊下は、朝の中で静かに形を失っていく。
それは爆発だった。
けれど、ただの破壊ではなかった。
王国は燃えているのではない。
王国は、眠りに落ちていた。
長く役目を果たした城が、ようやく目を閉じていく。誰にも奪われないために。誰にも掲げられないために。誰にも召喚の祭壇として使わせないために。
オルカは瞬きもせずに見届けていた。
笑わなかった。
泣きもしなかった。
ただ、見ていた。
王として、息子として、この国に残された最後の一人として。
隣でリフィアが胸元に手を当てている。指輪の宝石は震えていたが、彼女の瞳は逸らされていなかった。淡い水色の髪が朝日に透け、崩れゆく城の光を受けて、ほんの少しだけ白く見えた。
「……きれいですね」
リフィアは、小さく言った。
オルカは答えなかった。
きれいだった。
だからこそ、残酷だった。
玉座のあった場所が、最後に光った。父が座していた場所。王達が国を見ていた場所。オルカが最後の王命を受け取った場所。そのすべてが、朝の中で崩れ、石と灰と光に変わっていく。
やがて、城の中心が沈んだ。
止まっていた風が吹いた。
灰が舞い上がり、瓦礫の上を撫でるように流れて、丘の上まで届く。リフィアの髪が揺れ、オルカの青みを帯びた髪も、静かに揺れた。
レヴァラス王城は、もうなかった。
そこに残っていたのは、城の形を失った瓦礫と、朝焼けの光だけだった。
「……終わったのですね」
リフィアが言った。
「ああ」
オルカは短く答えた。
「レヴァラス王国は、終わった」
その言葉を口にした時、胸の奥に穴が空いたような感覚があった。軽くなったわけではない。痛みが消えたわけでもない。ただ、ひとつの役目が終わったのだと思った。
死んだ国を、死んだまま眠らせるための役目が。
リフィアが、そっと隣に並ぶ。
「これから、どうしますか」
「まずは歩く」
「どちらへ?」
「召喚を救済と呼ぶ連中がいる方へ」
「……いきなり物騒ですね」
「平和的な散歩だ」
「短剣に手を置きながら言う台詞ではありません」
「説得力は道中で拾う」
「拾えるものなのですか、それ」
オルカは少しだけ口元を緩めた。
背後では、かつて王城だった瓦礫が、朝の光を受けて静かに沈黙している。風に舞う灰は、もう旗ではなかった。玉座でも、城壁でも、王国の形でもなかった。
リフィアは何も言わず、ただ隣に立っていた。
二人の前には、まだ道がある。
背後には、もう国はない。
レヴァラス王国は、終わった。
そのはずだった。
だが、世界はその終わりを、静かには受け取らなかった。
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