「無理に戻さない支援」は将来につながっているのか―不安を抱えながら考える、校内フリースクールのゴール―
「無理に戻さない支援」は、本当に生徒の将来につながっているのか?
「無理に戻さない支援」
今は受け入れているし、それでいいと思っている。
心のエネルギーを蓄える時間も必要だし、
周りが思うほど、簡単に動けないこともわかっている。
それでも、ふとした瞬間に、こんな思いがよぎる。
「これくらいの負担に耐えられなくて、この先、大丈夫なのだろうか」
「教師として、今は現状を見守り、関係性を保つことが、
本当にこの子の将来に責任をもつことにつながっているのだろうか」
高校では、今よりも負荷は上がる。
社会に出れば、選べない環境も増える。
そんなときに、
折れてしまわないだろうか。
逃げきれなくなってしまうのではないだろうか。
決して、甘やかしているわけではない。
本人にとって、今は必要な時間だと受け入れている。
それでも、
「負荷とどう向き合っていくのかという力の育成を、
先送りしてしまっているのではないか」
そんな不安が、心のどこかに残り続ける。
それはきっと、
その子のことを本心から心配しているからこそ生まれる思いです。
だからこそ、今は口には出せませんし、あえて出さないという選択をしているのだと思います。
同じような不安を抱えながら、
生徒に寄り添っている先生や、保護者の方もいるのではないでしょうか。
本稿では、
「無理に戻さない支援」は本当に将来につながるのか、という問いを、
校内フリースクールで過ごす時間や進路との接続、
そして支援のゴールという視点から、あらためて整理していきます。
正解を示すためではありません。
不安を抱えながら支援に向き合う私自身が、
考え続けるための土台をつくることを目的としています。
1.不安の正体
「将来の負荷に耐えられるのか?」という教師側の問い
「無理に戻さない支援」を選択するとき、
教師の中には、次のような問いが残り続けます。
「この子は、将来待ち受ける負荷に耐えられるのだろうか」
という問いです。
私自身も、この問いから解放されているわけではありません。
支援として必要だと理解していながら、
ふとした瞬間に、この不安が頭をよぎることがあります。
ここで言う負荷とは、
単に勉強量が増えることや、登校日数が増えることだけを指しているわけではなく
・決められた時間に沿って動くこと
・自分のペースでは進まない集団に身を置くこと
・思うようにいかない場面でも、その場にとどまること
そうした、学校や社会の中で避けられない「負担」全体を含んでいると思います。
今は、本人の状態を理解し、
無理に戻さない判断ができている。
それ自体は、間違いなく大切な支援です。
それでも、
「今、この負荷を避けていることで、
この先、もっと大きな負荷に直面したときに、
かえって苦しくなってしまうのではないか」
そんな思いが浮かび
「支援がぶれているのではないか」と悩むことがあります。
これは、支援を疑っているというよりも
むしろ、
将来まで含めて、この子の人生を考えようとしているからこそ生まれる問い
なのだと思い、本稿で整理してみたいと考えました。
2.視点の転換
問われているのは「負荷耐性」ではなく、「負荷との向き合い方」
この不安と向き合う中で、
私自身、何度も考え直してきたことがあります。
それは、
私たちが不安に感じているのは、
本当に「負荷に耐えられるかどうか」なのだろうか、という点です。
同じ負荷であっても、
・誰かに相談できるか
・調整する余地があるか
・逃げ場が用意されているか
によって、受け止め方は大きく変わります。
このように考えると
不安の正体が少し違って見えてきました。
問われているのは負荷の大きさそのものではなく、
負荷とどう向き合う力が育っているかなのではないか、
という視点です。
・つらくなったときに、立ち止まっていいと判断できる
・自分の状態を言葉にして伝えられる
・助けを求める選択肢を知っている
こうした力は、
負荷を一気に乗り越える「強さ」とは異なります。
そして、
これらの力は、負荷をかけ続ける中だけで育つものではない、
と私は思っています。
「耐えさせること」と「育てること」は、同じではありません。
今、目の前の生徒が過ごしている時間が、
負荷から逃げている時間なのか、(逃げる時間も必要だと思います)
それとも、将来に向けた準備の時間なのか。
私自身、その見極めに迷い続けながら、向き合っています。
3.校内フリースクールの時間の意味
止まっているのか/準備しているのか
校内フリースクールで過ごす時間は、
外から見ると「止まっている時間」のように見えることがあります。
授業には出ていない。
成績に直結する学習が進んでいるわけでもない。
目に見える成果が、すぐに現れるわけでもありません。
だからこそ、
「この時間は、本当に意味があるのだろうか」
「将来につながっているのだろうか」
という問いが、頭を離れなくなることがあります。
私自身も、
この問いに何度も悩みました。
一方で、校内フリースクールで過ごす生徒の姿を、
もう少し近くで見ていると、
「止まっている」とは言い切れない時間が流れていることにも気づかされます。
・人のいる空間に、少しずついられるようになる
・自分の状態を、言葉や態度で表現しようとする
・誰かと関わる中で、距離の取り方をつかんできている
それは、テストや出席日数では測れない変化です。
ただ、ここで大切なのは、
校内フリースクールにいれば自動的に何かが育つ、
と考えないことだと思っています。
「何もしないで過ごす時間」と、
「回復や準備のための時間」は、似ているようで違います。
・本人が、自分の状態を少しでも振り返れているか
・大人が、その変化を言葉にして返しているか
・次の一歩を急がず、でも意識から消していないか
そうした関わりがあってはじめて、
この時間は「準備の時間」になっていくのだと思います。
校内フリースクールの時間は、
前に進むための助走期間なのかもしれません。
立ち止まっているように見えて、
実は、転び方や立ち上がり方を学んでいる途中なのかもしれません。
そう考えると、
この時間をどう位置づけるかは、
次に待っている進路の話と切り離せない問いになっていきます。
4.進路との接続
高校進学・社会移行で本当に問われる力は何か
校内フリースクールで過ごす時間が「準備の時間」だとすると、
次にどうしても浮かび上がってくるのが、進路の問題です。
「このままで、高校には進学できるのだろうか」
「進学できたとして、その先でつまずいてしまわないだろうか」
これは、教師や保護者だけでなく、
生徒本人も、どこかのタイミングで向き合う問いです。
進路を考えるとき、どうしても
出席日数や成績といった、目に見える指標に目が向きがちです。
それらは確かに、制度上、無視できない要素でもあります。
一方で、
高校生活や、その先の社会生活を思い浮かべると、
本当に問われる力は、もう少し別のところにあるようにも感じます。
・自分の状態が崩れたときに、立て直そうとする力
・困ったときに、誰かに助けを求められる力
・環境に合わせて、距離の取り方を調整する力
これらは、教科の成績としては表れにくい力です。
しかし、環境が変わる場面では、
むしろこういった力の有無が、その後のしんどさを左右することがあります。
校内フリースクールでの時間は、
こうした力を育んだり小さく試す機会になり得ます。
・今日はどこまでできそうかを、自分で考える
・無理なときは、無理だと伝える
・少し挑戦できそうな日は、一歩だけ踏み出してみる
成功体験ばかりではありません。
うまくいかない日もありますし、後戻りすることもあります。
それでも、
「崩れても、立て直せた経験」
「助けを求めて、関係が切れなかった経験」
こうした積み重ねが
高校進学や社会に出た後の場面で、支えになると思っています。
だからこそ、
今、どこに通っているかよりも、
どんな力を身につけつつあるのかを、
丁寧に見ていく必要があるのだと思います。
5.ゴールの再定義
「戻す」でも「戻さない」でもない支援のゴール
ここまで考えてくると、
「無理に戻さない支援」のゴールは、
単に“戻すか、戻さないか”という二択では語れないと感じます。
登校や教室復帰は、
あくまで一つの選択肢であって、
それ自体がゴールになるわけではありません。
私自身、
「今は戻さない」という判断をしながら、
ではこの先、何を目指しているのかと、
立ち止まって考えることがあります。
その中で、
少しずつ言葉にできるようになってきたのは、
支援のゴールは場所ではなく、
状態なのではないか、ということです。
・自分の状態を、ある程度把握できている
・つらくなったときに、立て直す手立てを知っている
・一人で抱え込まず、人とつながり続けられる
こうした状態に近づいているかどうかが、
支援のゴールを考えるうえで、
一つの指標になるのではないでしょうか。
それは、
「どこにいるか」よりも、
「どう在ろうとしているか」という視点です。
だからこそ、
登校や教室復帰が実現したとしても、
それで終わりではありませんし、
実現していなくても、支援が失敗だったとは限りません。
「戻すこと」でも
「戻さないこと」でもなく、
その子が、自分の力で環境と向き合っていける状態を支えること。
それが、
私が今、目指したい支援のゴールです。
6.結び
不安を抱えながら支援に向き合っておられる方へ
「無理に戻さない支援」は、
決して、迷いのない支援ではありません。
むしろ、
不安や葛藤を抱えながら選び続ける、
とても負荷の高いことだと日々感じています。
「これでよかったのだろうか」
「将来、困らせてしまうことにならないだろうか」
そんな問いが頭をよぎるのは、
その子のことを本気で考えている証でもあります。
だから、
不安を感じてしまう自分を、
否定しなくていいのだと思います。
大切なのは、
不安があるかどうかではなく、
その不安を抱えたまま、
生徒との関係を手放さずにいられているかどうか。
完璧な支援はありませんし、
将来をすべて見通すこともできません。
それでも、
生徒がつまずいたとき、
「ここに戻ってきてもいい場所がある」
「自分のことを気にかけ続けてくれる大人がいる」
その感覚は、
高校進学の場面でも、
社会に出るタイミングでも、
確かな支えになるはずです。
無理に戻さない支援は、
「何もしない支援」ではありません。
そして、
「将来を考えていない支援」でもありません。
迷いながら、立ち止まりながら、
それでも生徒のそばに居続けようとすること。
それ自体が、
すでに将来につながる支援なのだと、
私は今、そう考えています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
私自身がよく頭に浮かぶ
「無理に戻さない支援がその子の将来につながっているのか」
「校内フリースクールで過ごして進路保証ができるのか」
「校内フリースクールのゴールとは」
といった問いを整理してみようと思い本稿を書きました。
それぞれの立場で考える視点が異なると思いますが
支援に向き合っていらっしゃる方の参考になれば嬉しいです。
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