物語の欠片 金糸雀色の午篇 21
-カリン-
「ただいま!」
訓練場には降りずに、上空を旋回しながら戦士の皆に挨拶をして族長の家へ向かう。すぐにシヴァが追い駆けてくる筈だった。
出迎えてくれたカエデと軽く抱擁を交わしてからポハクで仕入れて来た茶葉を渡す。カエデは目を細めて茶葉の香りを吸い込んだ。
パキラが来ると聞いた族長は、驚いた顔をする代わりに口元に小さく笑みを浮かべた。それが何を意味するのかカリンには分からない。
ポハクからマカニまで翼を使えば二時限半から三時限で辿り着くが、馬では九時限程かかる。午前早くに出発しても到着は夕方か夜だ。シヴァが、最近は日が落ちるのも早いから途中まで迎えに行った方が良いだろうと言ったので、時間を見計らってレンの他二名の戦士が灯りを持って飛ぶことになった。
「マカニの騒動は何処で起きたのですか?」
ポハクとワイでの報告をし終えたレンが族長に尋ねた。
「オオバコとアケビの工房だ。」
確かにオオバコとアケビは彫金の材料となる石や貴金属をポハクから仕入れている。
どうやら怪我をしたのはオオバコの方らしい。落ちて来た商品を守ろうとして金属を固定しておく頑丈な機材に額をしたたかにぶつけた。
傷自体は大したことが無かったが、頭をぶつけて軽い脳震盪のようになったのと、額から流血したのとで傍に居たアケビが酷く動揺して大声を上げたので騒ぎが大きくなった。
オオバコとアケビの工房は店舗も兼ねており、工房の集まる地区ではなく店が多く並ぶに辺りにある為、すぐに人が集まってきたのだろう。
不幸な事故には変わりないが状況が分かると少し安心した。頭をぶつけた後数日経っても容態に変化が無いならもう大丈夫だろう。
何より、族長の声を聞いていると心が落ち着いた。今思うと、パキラやエリカと居る時の自分は彼らの思考について行こうと必死になっているのだと感じる。それに比べて族長と話をする時は、その場に全てを委ねているように思う。
「パキラ様は随分マカニの様子を気にされていました。」
レンの言葉に族長は頷く。
「そうであろうな。しかし、パキラに知らせぬわけにはいくまい。」
「はい。結果的に…あっ。」
「どうした。」
「今回パキラ様はカメリアさんから証言を引き出す為にマカニで騒動を起こした者を利用しました。族長は、そこ迄お考えになった上でパキラ様に事実をお知らせになったのですか?」
「あの時点でパキラがどのような状況に居るかは分からなかったが、そういうやり方もあるのではないかと思ってな。」
「やっぱり族長は凄い。」
「パキラはそなたにも随分感謝をしていた。」
「え?僕は何も…ワイまでお送りしたくらいです。」
「イベリス殿のことだ。長く一緒に居る自分よりもレンの方がずっとイベリスのことを理解していると。」
「ああ…それは…。」
「友とは良いものだな。」
「はい。」
カリンは日の暮れた厩舎の前でイベリスたちの到着を待った。
隣にはガイアが居る。先日パキラの愛馬のカイウを上手く操れなかった際、ガイアが居てくれればと考えたことを思い出して、なんとなく此処で一緒に待ちたくなったのだ。
ガイアとカイウは仲良くなれるだろうか。
パキラが馬でマカニを訪れるのは初めてではないので、カイウが近くの馬房に居たこともあるのだろうが、直接顔を突き合わせてはいない筈だ。今日は、正面から二頭を会わせてみたかった。
秋のマカニは陽が落ちると随分涼しいので、隣に感じるガイアの体温が頼もしかった。
そのガイアの身体がピクリと動く。見ると、片方の耳が微かな音を聞き取ろうとするように吊り橋の方を向いていた。
やがて遠くに灯りが見えた。おそらくレンを先頭に、イベリスとパキラの後方に二名。三つの灯りが少しずつ近づいて来る。
その灯りが吊り橋の向こう側に到着した時、灯りに照らされる二頭の馬とそこに騎乗しているイベリスとパキラの姿が見えた。レンの顔は灯りの影になって見えない。
カリンは駆け寄らずにその場で一行が到着するのを待った。
ガイアは静かだった。
やがて、厩舎側の灯りに全員の姿が映し出され、三人のマカニ族は灯りを消して地面に降りる。
イベリスもパキラもそれとほぼ同時に馬から降りた。
「ご無事で良かった。遠路おつかれさまでした。」
パキラに挨拶をしてからイベリスと抱擁を交わす。パキラはじっとガイアの顔を見詰めていた。
「カリン殿の馬を近くでじっくり拝見するのは初めてだな。…いい馬だ。」
「先日カイウをお借りした時、パキラ様は気難しい馬だと仰っていましたが、実際わたくしも少々手を焼きました。」
「そうか。」
「ガイアは人間に対しては気難しい馬ですが、馬に対してはそうではないので、もしかしたら気が合うのではないかと思って一緒に待っていたのです。」
「ふむ。それは面白いな。」
パキラはゆっくりとガイアに近づくと、鼻先に手を近づけ、少し距離を置いて動きを止めた。
ガイアは微動だにしない。
代わりにカイウが鋭く嘶いた。
それを聞いてパキラはくつくつと笑う。カイウの嘶きに驚いたダリアとネトルが慌てた様子で厩舎から出て来た。
「カイウ、お前よりガイアの方が上だ。黙って言うことを聞いておけ。」
パキラはそう言って難なくガイアの鼻先を軽く撫でると、ガイアの傍を離れた。ガイアは僅かに緊張した表情を見せたが、大きく身動きはしなかった。
パキラの言うとおり、ガイアはパキラのこともカイウのことも受け入れたらしかった。
カリンは安心してそのまま二頭の馬をダリアとネトルに預けた。二人はさすがに慣れた様子で、ガイアを含め三頭の馬を連れて厩舎へ戻って行った。
「遅い時間にすまなかった。どうしても今日中に此処へ来たくてな。」
「構わぬ。遠い所ご苦労だったな。夕食を準備させてある。話は食べながらにしよう。…レンとカリンも同席すると良い。」
カエデが準備したのだろう。ホオズキは既に自宅に戻っていた。どうやらシヴァも今日は帰されたようだった。
この面々だけで食卓につくのは初めてかもしれない。前回パキラがマカニを訪れたのは、サフィニアが企てた謀反が落ち着いた昨年の夏のことだった。レフアの生誕祭に出席する前にイベリスと二人でマカニへ寄ったのだ。その際にはシヴァと、応援の為にしばらくポハクに滞在していたスグリも一緒に食事をした。
「やはり驚かなかったか。悔しいな。」
言葉とは裏腹にパキラは愉快そうな表情だ。
「お前ならやりかねない。報告を聞いて、寧ろお前らしいと思った。今回はゆっくりできるのか?」
「そうだな、今日がもうこの時間だし、三泊はしたいと考えている。」
やった、とイベリスが小さく声を上げる。
「そうか。偶にはゆっくりするといい。宿はどうする?此処に泊まっても構わぬが宿の方が落ち着くならば宿を取ろう。」
「俺が此処に泊まったらカエデ殿が気を遣うだろう。」
「いえ、私は歓迎致します。」
「…だそうだが?」
「夜通しお前を付き合わせるかも知れぬぞ。」
「偶にはそれも良かろう。」
パキラは益々愉快そうな表情になり葡萄酒の注がれたグラスを干すと、では世話になろう、と言った。それからイベリスの方を見やる。
「お前はどうする?」
「父上が此方で世話になるなら、俺はレンたちの家へ行きます。」
「うむ。それが良いだろう。決まりだな。ああ久しぶりに心底愉快だ。」
カリンには、族長も何処となくいつもより和やかであるように感じられた。先程見た小さな笑みが、喜びを表しているのならば良いなと思う。
自分に少しずつ心を許せる存在が増えているのと同様に、族長にもそのような存在が増えたら良いと願うのは自分の我儘だろうか。
「ポハクはどうだった?報告ではなくそなたらの素直な感想が聞きたい。」
だから族長のその言葉にカリンは真っ先に、新しい友達ができました、と答えた。
「ほう。」
族長は優しい笑みを浮かべる。
「イベリスも、ね?」
「ま、まあな。」
「ほう。」
パキラがイベリスに興味深げな表情を向け、その視線を気まずそうに受け止めたイベリスがカエデに話を振る。
「あ。そうだ。カエデさんてマカニに友達は居るんですか?」
「友達…か。そうだな。仲間は沢山居るが、友達との差は何だろう。」
カエデが珍しく首を傾げ、レンが言葉を引き取る。
「マカニはね、村全体が仲間みたいな感じだから、あまり友達という感覚は無いんじゃないかな。僕もそうだった。だからイベリスが初めての友人だったんだ。差は…未だに僕もよく分からないけど、イベリスのことを言い表すなら仲間じゃなくて友人だな。二人きりでも成立する間柄だからかな?…ただ、少なくともカエデさんが族長の息子だから特別っていうのはあまりなかったと思うよ。」
「ふうん。そうなのか。」
「それは多分な、マカニとポハクの族長の在り方にも関係していると思うぞ。エンジュはまあ、こんな感じだが村人とは普通に話すだろう?ポハクは元々恐怖政治だったから、族長は絶対的存在で民は普通に話はできなかった。族長は世襲制だったから勿論一族全部だ。以前の族長一族は友が欲しければ友になることを命じれば良かった。本来の意味は置いておいてな。」
「ああ…なるほど。」
「俺がそれを嫌って半端にしきたりを変えたから、お前はその狭間に落ちたんだよ。そこは悪かった。」
「いや、俺も特に昔の族長一族のような状況を欲しがってはいません。今の方がよっぽどいい。…それでも友人と呼べる奴が数名できました。俺にはそれで十分だ。寧ろ、父上の方が心配です。」
「ほう。俺のことを心配してくれるのか。」
「昨日カメリアに、父上の気持ちを解っているのかと訊かれました。正直自信は全くない。だからこれは俺の気持ちの押し付けでしかないかもしれません。でも、単純な俺にはこれしかできないから、今の俺の素直な気持ちを伝えます。」
ずっと考えていたことなのだろう。きっと二人きりの時には伝えられなかったのだ。手元のグラスの葡萄酒を一気に煽ったイベリスは、溢れ出した言葉が止まらないというように続けた。
「母が…突然姿を消して、俺は当然その直前に姿を現した父上のせいだと思った。…いや、事実もそうだったとしても、俺の気持ちだけで考えると、俺が父上を憎んだのは、俺の唯一の理解者だった母上を奪われたと思ったからです。」
「それもその通りだろう?何の間違いがある?」
「母は、俺が他の人間と親しく交わるのをあまり良しとしなかった。父上の耳に俺の存在が届くのを嫌ったからかもしれない。いずれにせよ俺には小さい頃から親しい人が母以外には居なかった。人と親しくする方法が分からなかったんです。それは悲しいけど、母のせいだと言えなくもない。そんなわけで、俺はレンに出会うまで、自分から親しい人を作ろうとも、父上のことを知ろうともせずに、俺から最愛の人を奪った父上に対して不満ばかり募らせてきた。」
パキラは口を挟むのを止めたらしく、いつものように茶化すような表情も浮かべずに、じっとイベリスの顔を見詰めた。
「…でも、レンとカリンのおかげで父上に対する誤解が解けて、父上の方が先に俺を受け入れてくれた。…いや、きっと父上はずっと前から受け入れて下さっていたのかもしれない。でも、俺が反発していたからそれをそのままにしていただけなのだと思います。…俺は、急に父上が近くに来て混乱しました。それでも、父上の『お前は自由だ。何処へでも行け』というお言葉に対して、族長補佐として傍に居たいと反射的に回答していた。俺自身の心の底の寂しさが…親を求める気持ちが、父上の存在を必要としていたのだと思います。」
カエデがそっと席を立つ。きっとお茶を淹れに行ったのだ。
「今は、父上が居なくなることが何より恐ろしい。それに俺は、父上にもできるだけ幸せでいてほしいのです。そうでないと、俺が辛い。」
俺の我儘です、とイベリスは最後に笑った。
レンが、おつかれ、というようにイベリスの前のグラスを満たすと、イベリスはレンに小さく乾杯を求めた。
「イベリス、お前、俺が不幸に見えるか?」
少ししてからパキラが問うと、イベリスは小さく首を傾げる。
「…大変そうには見えます。」
「やはりお前は何も解ってないな。…今の俺は俺の人生の中では比較的幸せな方だ。」
そう言って幽かにイベリスの方へグラスを傾けると、満足そうに中身を飲み干した。
思ったとおりカエデが人数分のカップとポットを持って現れる。
「今日は移動で疲れただろう。そろそろこの場はお開きとしよう。」
族長が言うと、パキラがずいっと族長の方へ身を乗り出した。
「この場は、な。お前はこの後俺に付き合え。」
「勿論だ。お前の気が済むまで付き合おう。」
片付けを手伝ってから族長の家を後にして三人で階段を歩いて上る。
月の明るい夜だった。
最後に飲んだカエデのお茶が胸の辺りを暖かくしていた。
パキラとの会話を噛み締めるかのように無言だったイベリスが突然駆け出して、階段がひと段落下あたりで足を止めて振り返る。
「おい、お前ら遅いぞ。家に着いたら飲み直しだ。」
月よりも明るいその笑顔に、カリンとレンは顔を見合わせてからイベリスの後を追った。
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