物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 4
-レン-
「ノギクさん?」
カリンが、中庭でクコの隣に立つ女に向かって驚きの声を上げた。緑色の官吏服を着ているので、カリンより位は低いことが分かる。
ノギクと呼ばれた女とクコは連れ立って近づいて来た。
新年式の式典が終わり、夜の晩餐会までは特に予定が無いので、レンとカリンはいったん他の化身たちと別れ、クコに挨拶に行こうと思っていたところだった。
「クコがカリンと会う予定だって聞いて、待っていたのよ」
カリンが、クコの妻のノギクだと紹介してくれる。ノギクはレンのことを知っているようだった。
「風の化身殿は有名ですもの」
話しながらも、ころころとよく笑う。
「ノギクさんは厨房室の官吏で、私が晩餐会の手伝いで忙しくて食事を摂る時間が無い時に、別に食事を取り置いてくれていたり、化身の仲間の分の食事を別室に運んでもらったり、色々とお世話になっていたのよ。その後、私がアグィーラを離れた後でクコさんとご一緒になられて、お子様が生まれてお休みされていたの」
「少し前にホップが学校に通い始めたから、今年から復職することにしたのよ。昨日が初日だったの」
「そうなの? 嬉しい。またお城で会えるのね?」
二人の話しぶりから、随分と親しそうな様子が伝わってきた。
そういえば、厨房室に親しい官吏が居るのだということは時々話に聞いていたように思う。それがノギクだったという訳だ。
「先日マカニへ行った時にはもう決まっていたのだが、驚かせたいから黙っていろと言われてな。いや、嘘がつけない性分だから尋ねられたらどうしようかと思った」
「嘘をついてまで黙っていろとは言わなかったでしょう?」
夫婦仲も良さそうだ。少し話しただけだが、見るからに似合いの夫婦だと感じた。見た目は二人とも一般的なアグィーラ人の官吏に見える。アグィーラ人特有の銀髪をひとつに束ね、ノギクは更に、長いそれを綺麗に巻いていた。
クコは研究熱心で、中級官吏と言えど役人臭さは全くない。それはノギクも同様で、レンに対しても気さくに話しかけてきた。
「カリンはね、見てのとおり私より位は上なのだけれど、敬語を使うのを許してくれないのよ。呼び方も『カリン』と呼んでくれって。最初は戸惑ったのだけれど、カリン様なんて呼ぼうものならカリンの方が本当に困った顔をするのが可笑しくって」
「あの、それでは私のことも風の化身ではなくレンとお呼びください」
「承知いたしました。レン殿、良いお名前だわ」
ノギクは挨拶のためだけに待っていてくれたらしく、晩餐会の準備が在るからと言って先に去って行った。レンたちは、クコにその後のマカニの様子を報告するために図書室付近のテーブルに席を取った。カリンはいつものように図書室へ入って行き、おそらくお茶を淹れて戻ってくるのだろう。
レンはいつもの癖で空を見上げる。アグィーラは今日も快晴だった。外はさすがに冷えるが風は強くなく、太陽の光を浴びていると心地良かった。
「マカニの防寒着ならば、アグィーラの冬など余裕であろう?」
先日初めてマカニの冬を体感したクコが尋ねる。専門外なはずだが、クコはその時、マカニの外套を興味深そうに観察していたのだ。マカニの真冬用の外套には、布と布の間に柔らかな羽毛が挟んであり、軽い割に暖かい。
「そうですね。防寒着のおかげなのか、もっと寒い冬に慣れているからなのか、アグィーラの冬が厳しいと感じたことはありません。その代わり暑さには弱くて、ポハクではいつも大変な思いをします。クコ殿はポハクへは行かれたのですか?」
「いや、書簡で申し入れた時点で難色を示されたからなあ。交易室の人間に聞くとポハクの死の砂漠とやらも壮観らしいから、一度訪れてみたいものだ。そこに立ち並ぶ風車も見てみたい」
「書簡は、クコ殿が?」
「マカニの族長殿は面識があったから俺が書いたが、ポハクの族長殿宛の書簡は俺ではなく、建築局の局長であるプリムラ様から送っていただいたのだ。それでも通らなかった」
それでも、というよりは、だからこそ、かも知れない。パキラにとって、位の上の人間から書簡が送られてきたということはそれほど重要ではないだろう。おそらくその書簡だけでは、パキラにとって商人会の反発を退けてまで新しい発電方法を導入する利点が思い浮かばなかっただけなのではないだろうか。クコが直接会いに行って詳しく語れば通るのではないかと思ったが、ちょうどカリンが戻ってきたこともあり、余計な口出しは控えることにした。
「お待たせしました。寒かったでしょう?」
「いや、今日は天気がいいからそれほどでもないが、温かい茶は有難いな……ああ、美味い」
クコは置かれたカップをさっそく手に取り、本当に美味しそうにお茶を飲んだ。レンはカップを手で包み、しばらくの間、冷えた指先を温めていた。
先日設置したマカニの太陽光発電の機器は問題なく稼働しているため、報告すべきことは多くなく、話題はすぐに世間話になった。
「そういえばクコさん、ネリネに会いました?」
カリンが尋ねる。
「いや、先ほど遠くからお見かけしたが、声はかけなかった」
「今月中にはアヒへいらっしゃるのでは?」
「そのつもりだが……そうだな、挨拶くらいしておけば良かった」
「呼んできましょうか?」
「それはなんだか申し訳ないな」
晩餐会には、来賓と、出席を許された官吏しか参加しない。ネリネは来賓だから参加するが、クコはおそらく参加しないのだろう。ほとんどの来賓は昨日からアグィーラ入りして明日には帰る二泊三日の日程だから、今日を逃すと時間を調整することが難しくなる。
レンは、席を立とうとしたカリンを制して、自分が迎えに行ってくると告げた。
「カリンはお茶を淹れてきたばかりだし、晩餐会も手伝うかもしれないから、しばらくゆっくりしておきなよ」
「ありがとう。それじゃあお願いするわ」
幸いネリネは部屋に居り、クコとの面会を快諾してくれたので、二人で中庭へと戻った。
「レン殿、すまない。ネリネ殿も、わざわざありがとう」
「いいえ、どうせ暇でしたから。クコ殿とお話していた方が楽しいです」
ネリネはにこやかに答えると、空いている席に腰を下ろした。カリンは結局席を一度立ってネリネの分のお茶を準備してきたらしく、ネリネの前にカップを置き、レンのカップにも温かいお茶を注ぎ足してくれた。
「実証実験の件だが、ネリネ殿にご迷惑はおかけしていないか?」
「いいえ、私は何も。族長は色々と大変そうですけど」
「やはりそうか」
「ネリネ、具体的には何が問題になっているの?」
カリンが尋ねた。
「私もそれほど詳しく聞いているわけではないのだけれど、ひとつはね、今ちょうど掘削中の蒸気井があるの。それをどうするかという問題で揉めている。地熱発電はどうやら効率が悪いらしくて、このまま太陽光発電が期待できるならばすぐに止めるべきだという人と、ここまでの作業が無駄になるという人と」
「作業をしているのは土木師?」
「ええ。……アヒではね、先日の鉄鉱石のこともあるし、今、地下道も拡大させてるしで、結構土木師の仕事は多いのよ。重要な職業のうちのひとつで、発言力も強い。土木師長のオウレンさん、会ったことがあるでしょう?」
「ええ、憶えているわ」
「オウレンさんが上手く取り纏めてくれているから、まだそれほど不満は噴出していないけれど……ふふ、まあ、のんびり屋の族長への不満もそこそこ溜まっていたのではないかなあ」
アヒの土木師長オウレンのことはレンもよく憶えていた。鉄鉱石の問題が起こった時に、族長のアキレアよりも毅然とした態度で問題と責任を引き受け、アヒの中のことを上手く収めてしまった。
なるほど、そのようにしてアキレアを助ける者が多く居ることは良いことだと思っていたが、不満自体は内側で燻っている可能性もあるということか。
「そこがアヒの族長様の良いところなのに、難しいのね。……ひとつは、ということは他にも問題が在るの?」
「ああ、そうそう。あとは、太陽光発電の機材を造るのに珪石を使うのでしょう? それで珪石の値段がつり上がったと、玻璃師たちが嘆いているわ」
「ああそれは……思わぬところに影響が出ているのだな」
クコが、驚いたように口を挟んだ。
「そうなのです。だから、実証実験はともかく、機材を造る施設は難しいかもしれません」
「まあ、それは仕方がない。アヒ族の方が珪石の扱いには慣れているのではないかと思ったのだがな」
「玻璃師が多いのは事実ですが、ガラス細工を作るのとはまた勝手が違うようです」
「それはそうだが……そうか。ありがとう。事前に話を聴けて助かった。歓迎されない条件はなるべくつけない方が良いからな」
駆け引きは苦手なのだろう、クコは大きな溜息を吐いた。
「各種族との交渉もクコさんがされているのですか?」
カリンが、先ほどレンが尋ねたのと似たようなことを尋ねる。
「実証実験については、ほぼそうだな。少なくとも指揮を執るのは俺だ。実際の導入になると別な部隊になるはずだが」
「それは大変ですね」
「ああ……お前、資材室のトレニアは知っているか?」
「いえ、存じ上げません。わたくしは、建築局では建築室くらいか関わりが在りません」
建築室というのはクコが居るところだ。レンは、建築局の下に他にどのような室が在るのかすら知らない。
「玻璃師の姉が居るらしく、俺よりもアヒに詳しかったから、アヒについての交渉事は随分世話になってる。俺は、どうも交渉事は苦手でなあ」
「ふふ。お察しいたします」
「私もお手伝いできれば良いのですけれど……」
「いや、ネリネ殿はアヒ族だ。板挟みになっては気の毒だから、反対に口出ししない方が良いかも知れない」
「お気遣いありがとうございます。少なくとも、皆様がいらっしゃる時のお迎えは申し出るようにしますね」
「ああ、それだけでも有難い」
レンは当然だが、カリンもすぐには手伝えることを思いつかなかったようで、何か手伝えることがあったらご相談くださいと言うにとどめた。
新年式の日は通常の仕事は休みであるはずだが、クコは自分の執務室で仕事の続きをすると言って席を立った。
