物語の欠片 緋色の山篇 12
-レン-
温暖なフエゴ地方に居る間はそれ程でもなかったが、やはり冬の雨に打たれた身体は少しずつ冷えてきた。アグィーラの上空を通過する頃には手の感覚が鈍くなっていることに気がつく。幸い雨雲は振り切ったようだが、このままエルビエント山脈へ向かったら身体が凍り付いてしまうかもしれないと考え、ヨシュアの家へ寄らせてもらうことにした。
突然ひとりで訪ねてきたレンを、ヨシュアは快く迎え入れてくれた。雨に濡れた姿を見て乾いた布を渡すと、暖炉の前に椅子を置いてくれる。レンは身体を拭きながら簡単にこれまでの経緯を説明した。
とはいえ、ヨシュアがカリンやレンがやっていることに口出しすることはほとんどない。今回も、相槌を打ちながら聞き終えるとひと言、大変そうだな、と言った。
「そういえば時々城へ納品に行く時に、ポハクの商人とすれ違うことがあるよ。」
「へぇ。僕はこれまで何度も城へ行っているのに、一度も見かけたことが無いな。きっとその方が不思議だね。城下町ではたまに見かけるけれど。」
「レンは王族の住居に近い所しか行かないからじゃないのかな。彼らが居るのは交易室に近い辺りだから。」
「ああ、なるほど。城は大きいもんね。僕は本当に一部しか知らないんだ。ポハクの商人って裕福そう?」
「そうだなあ。身なりはしっかりしている。それはそうだろう。アグィーラの交易室に出入りする商人は身元がしっかりしていなければ受け入れてもらえない。」
アキレアの話を思い出しながら尋ねてみたのだが、そう考えるとポハクの商人が生活に困窮してポハクの鉄鉱石を盗んだかもしれないという可能性は低くなるのではないだろうか。
勿論ポハクの商人の中でも、城の交易室を通さず、アグィーラで直接商売している者たちも居る。しかし鉄鉱石は一般の客には売れないだろう。先ず鉄鉱石の販売経路を確保できる時点で、ある程度商人としても成功している者でなければならないということになる。
掘り出した鉄鉱石を商人に売る採掘工であれば可能性はなくはないが、イベリスは採掘工が掘ったようには見えないと言った。やはりポハクの商人が必要以上に利益を上げようとしてやっているようにしか思えない。
あまりゆっくりもしていられなかったので、ヨシュアの淹れてくれた温かいお茶を飲み終えるとすぐに暇乞いをした。勿論ヨシュアは引き留めることもない。気をつけてな、と笑顔で送り出してくれた。まるで本物の父親のように。
濡れた衣服はすっかり乾き、身体も芯から温まった。これなら大きな危険なくマカニまで飛べそうだ。
ヨシュアの所へ寄って良かった。そう思ったのはアルカン湖の丁度中ごろまで飛んだ時だった。エルビエント山脈からの冷たい風が吹き下ろしてくる。あのまま飛んで来ていれば翼が凍り付いてしまっていたかもしれない。マカニにはまだ冬の終わる兆しはない。むしろこのままずっと冬のままなのではないかというくらいどんどん冬が深まっていた。
一体どうしてしまったのだろう。
いつも楽観的なレンですら微かに不安を覚えた。ラプラヤの地揺れ、エルアグアの旱魃、フエゴ火山の噴火。大地は全て繋がっている。エルビエントにも何か起きる前兆だろうか。いや、エルビエントの大雪。自然の歪みは既に始まっているのかもしれない。
不安な気持ちを追いやって族長の家まで飛んだレンの心は、族長のいつもの穏やかな表情に救われた。
「ご苦労だったな。お前が報告に戻るということは状況はあまり思わしくないらしい。」
「はい。どうやら相手に我々の存在が知られてしまったようです。」
カエデの淹れてくれたお茶をひと口飲み、いつも通り順を追って報告をする。族長に向かって報告をしていると、不思議と自分の心も整ってくる。報告を終える頃には先程心に浮かんだ不安は消えていた。
「…というわけで、アキレア様には一度マカニ族は引き揚げると申し上げていますが、実際は見張りを続けます。マカニ族の工房の人間がアヒの村を訪れる可能性を考えて一度報告に戻りました。」
「良い判断だったと思う。」
「有難うございます。マカニの方はその後いかがですか?」
「こちらは何とかやっておるから心配は不要だ。大吊り橋が落ちた以上のことも起こってはおらぬ。」
「良かったというべきか…。しかし相変わらず雪は深いですね。夜中の雪降しをしてもこれ。いつまで続くのか。皆の士気が心配です。」
「皆、よくやっておるよ。お前の代わりに私が動いているのが別の意味でも功を奏しておるようだ。良い誤算だったな。」
「ああそうか。族長が自分たちと一緒に働いてくれていると思ったら、それは士気は上がりますね。族長はそこまで考えておられたのではないですか?」
「誤算と言ったはずだ。」
族長はそう言って笑い、すぐにその笑いを引っ込めた。しかしそうか…。と呟く。
「どうかしましたか?」
「いや、アキレア殿のことだ。元々争いごとは嫌いなたちだとは思っていたが、よもやそこまでとは思わなかった。」
「アヒの村ではその分周りが族長を支えているようです。ああいう族長の在り方もあるのかと新鮮な思いでした。」
「私とてお前たちに支えられておる。」
「しかし、行き先を示して下さるのは族長です。僕は未だに最後は族長が何とかしてくれると思っています。」
「最後の砦は意外と楽なのだ。そこの責任だけ引き取れば良いからな。その覚悟だけは失わずに在りたいとは思っておるが、あくまでも、そこまで頑張っておるのはお前でありシヴァであり、村の皆だ。それぞれ葛藤があろう。」
「はい。」
「アキレア殿のやり方は、それぞれの葛藤を理解しようとするやり方でもある。ある意味大変やもしれぬ。それが自らの村の外まで及ぶとなると…そうだな、想定外のことが起きてもおかしくはない。」
「想定外のこと?」
「種族が違えば常識が違う。アキレア殿に理解しきれぬことも多かろう。」
「それは…。」
やはりポハク族が関わっているということなのだろうか。族長にはおそらく既に何か見えているのだ。
「すまぬが、フエゴに戻る前にパキラの所へ行き、同じ話をしてやってくれ。」
「はい…。」
「どうした?」
「あ、いえ。カリンは解っていたのかなと思って。僕に報告に戻るように勧めたのはカリンなんです。僕でなければ、パキラ様の所へは行きずらいですよね。」
「そうかも知れぬな。」
「族長といい、カリンといい、相変わらず僕には全く考えが及びません。」
「そうでもなかろう。」
「まあこれは考えても仕方がないのでそのまま受け入れます。」
レンは笑顔でそう言い、慌ただしく族長の部屋を後にした。ポハクに寄るとなると、急がなければ今日中にフエゴに戻れなくなる。訓練場を覗いてシヴァに声を掛けようかとも思ったがそれも止めた。今自分がやることは戦士の仲間たちのことを心配することではない。仲間を信じて自分のやるべきことをやることだ。
予想していたことだが、ポハクは今日も暑かった。温暖なフエゴからアグィーラを経由して極寒のマカニ。そこからのポハクは、予想以上にきつい。うんざりした表情をしていたのだろう。たまたま在宅していたイベリスはレンの顔を見るなり声を出して笑った。
「お前は分かりやすいな。」
「それ、戦士としては最悪じゃないか。」
「そうでもないさ。」
「あ、それ、さっき族長にも言われた。」
「へぇ。あの族長殿が。」
「そう。みんなして僕を励ましてくれるんだ。」
「拗ねるなよ。」
「拗ねてないよ。」
「まあ入れよ。ここで倒れられても困る。それに、父上がお待ちかねだ。」
「え?」
「昨日戻ってフエゴでの報告をしたら、近々マカニから遣いが来るんじゃないかって言ってた。」
パキラにも何か分っているのだろうか。しかし、訪ねてきたレンを見て、パキラは少し驚いたような、それから愉快そうな表情をした。
「思った以上に早かった。それに、まさかレン殿が来るとは思わなかった。これだからマカニは面白い。エンジュが呼び戻すはずはないから、レン殿が自発的にマカニへ戻ったか、それともカリン殿か。いずれにせよ、面白い。」
「マカニへ戻ったのはカリンの勧めです。ポハクへ行けと言ったのは族長です。」
レンの返事に頷いたパキラは、早速の報告を求めた。閃光弾のこと、レンたちが一度引き揚げたように見せることまではすでにイベリスから報告が言っていると思い、主にアキレアの様子について報告をするとパキラはなお一層愉快そうな表情になった。しかしパキラの心中が表情から伺い知れないことをレンは学習済みだ。何を考えているかは分からない。
「ふむ。なるほど。よく解った。確かに厄介だ。レン殿、礼を言う。」
「私には、まだ何が何やら。」
「そうか。まあ仕方がない。俺はレン殿よりもずっとポハクの商人を理解しているからな。」
「やはり、ポハクの商人が関係しているのですか?」
「おそらく。ただ、そんなに単純な話じゃないのだ。閃光弾が使われたと言ったな。まず、採掘工が閃光弾を手に入れるのは難しいが商人なら容易だ。やつらはそれをアグィーラに売りに行っている。ポハクの閃光弾は性能がいいのだ。マカニでは、閃光弾は容易に手に入れられるか?」
「いえ。造っている技師と一部の戦士だけです。そもそもマカニ族は空を飛ぶので閃光弾を使うことはあまりありません。」
そこまで言ってレンは、フエゴの採掘場で閃光弾の破片らしきものを拾ったことを思い出した。パキラに差し出すとパキラはそれはポハクのものだと即答した。
「これで少なくとも閃光弾を使ったのはポハク族もしくはアグィーラ人であることが確定した。」
「アグィーラ人が関わっている可能性もあるのですね。それはまた厄介だ。…しかしパキラ様は何故ポハク族が関わっていることが確実だと?」
「アヒ族の土木師が山でポハク族を見たと言ったのだろう?」
「しかしそれはポハク族に見せかけたアグィーラ人だったかもしれません。」
「いや、それでは筋が通らないのだ。」
パキラは妙にはっきりとそう言ったが、やはりレンには未だ全貌が見えない。イベリスの方をに目をやると、イベリスは肩を竦めて見せた。イベリスにも見えていないらしい。
とりあえず冷たい茶でも飲んだらどうだとパキラに勧められ、話に集中し過ぎて出されたお茶を飲んでいないことに気がつく。途端にひどい喉の渇きを覚え、目の前のお茶を飲み干した。まだ十分に冷たかったそれはレンの頭と身体を内側から冷やす。
朝から、冷えた身体に温かいお茶を飲んでほっとしたり、熱された身体を冷たいお茶で冷やしたり、目まぐるしい状況の変化とと話の展開に軽く眩暈がした。
パキラの館の明るい中庭には明るい緑がきらきらと輝いている。その光に勇気づけられ、レンはパキラの話の続きを聞く心の準備を整えた。
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