物語の欠片 緋色の山篇 1
-カリン-
雪深いマカニの村の階段を診療所に向けて上りながら、カリンは辺りを見渡した。いくつかの家では、屋根に積もった雪を降ろしている人々の姿が見えた。翼を持つマカニ族にとって雪降しはさほど大変な作業ではないが、昨夜の大雪で屋根の上の雪は厚い。庭や畑もすっかり雪に埋もれてしまっていた。元々厳しい山の冬だが、今年は特に雪が多い。明日のアグィーラ行きも、馬での山道には注意が必要そうだ。
薄曇りの中、雪に足を取られながらなんとか診療所までたどり着くと、中でココが待っていた。
「出かけていたの?今日は特別寒いね。」
「シャクナゲさんの所に薬を届けてきたの。この雪の中ここまで来てもらうのは大変だから。ココはもう訓練終わったの?」
シャクナゲはラウレル亡き後、村で一番高齢の老女だった。夫も健在だが二人とも高齢なので、翼があるとしても大雪の中の外出は少ないに越したことはない。
「シヴァさんとレンが族長に呼ばれて行っちゃったからあとは自主訓練だって。手がかじかんで弓引くのもままならないから僕は早めに切り上げてきたんだ。こんなんじゃあ、弓が上達する前に怪我するよ。」
「そうね、今年の寒さは少し異常だわ。族長様…何かあったのかしら。」
「さあ、詳しくは知らないよ。レンに聞けば?」
「うん…。とりあえず温かいお茶でも淹れようか。」
「やったあ。それを期待してきたんだ。」
ココはカリンの淹れたお茶を美味しそうに飲みながら、先日の初任務のことについて語っている。アオイを乗せてアグィーラからアルカンの森まで往復したのだ。カリンも一緒だった。常々自分が戦士であることに疑問を呈しているココだったが、初任務で自信がついたのは喜ばしいことだと思った。
カリンはその話を聞きながら族長がレンたちを呼んだ理由について考えていた。もしかして、エリカから何か連絡が来たのだろうか。
その後のワイ族の動向は耳に入って来なかった。エリカは先日の事件に関して、結局誰も罰しなかったということは聞いたが、それきりだった。努めて気にしないようにしていたが、族長に動きがあるとついつい気になってしまう。明日アグィーラへ行ったらレフアにワイから報告が入っていないかどうか尋ねてみようと心に決め、ココの話に注意を戻す。
「不思議な森だったね。」
「アルカンの中の森のこと?」
「そう。びっくりしたよ。あの、森の主だっけ。カリンちゃんは子供の頃からずっとあそこに通っていたの?」
「そうよ。小さな子供の頃の私にとっては唯一の居場所だったの。主様は私にとって、本物の両親よりも肉親に近い存在。」
「ふうん。でも、今はマカニがあるでしょう?」
「そうね。アグィーラにもヨシュアさんが居て、マカニにも居場所ができた。本当に幸せよ。」
「僕はカリンちゃんが幸せならそれでいいや。」
「うふふ。有難う。ココは幸せ?」
「もっちろん。こうやって毎日のようにカリンちゃんとお茶を飲めるようになるなんて思わなかったもんね。」
「それなら良かった。いつでも来てね。」
ココは本当に毎日のように訓練終わりに診療所へやってくる。時間にもよるが、こうやってお茶を飲んだり、ただ一言二言会話を交わして帰って行ったり色々だ。カリンにとっては仲の良い弟ができたみたいだった。
血の繋がっていない父親に、血の繋がっていない弟。人生において一緒に居る人は選べるのだということを教わった。勿論相手の意向もあるけれど。
そんなことを考えていたら、ドアの開く音がしてレンが入ってきた。忘れてはならない、カリンにとって一番大切な存在。
「あ、良かった。まだ居た。」
「レン、どうしたの?」
「族長の話が意外と早く終わったから、迎えに来たんだよ。雪の中歩いて帰るの大変だろう?」
「有難う。今日はもう誰も来ないと思うから、そろそろ閉めようかな。」
「レン、結局族長の話は何だったのさ。僕にはまだ話せないこと?」
口を挟んだココの言葉にレンは笑顔で首を振る。
「話せないことではないよ。女王から族長宛に書簡が届いて、明日のカリンのアグィーラ行きに僕も同行させるようにって。まさか大雪だからってことじゃないと思うけど、詳しいことはアグィーラに行ってみないと分からないんだ。」
「ふうん。いいなあレンはしょっちゅうアグィーラに行けて。…いいよ、言われなくても分かってる。羨ましがらないで頼られる人になるように頑張れって言うんだろう?」
「僕がココにそんなこと言ったことあったっけ?」
「ない。」
「ないのにそう感じるのはえらい。…カリン、どうかした?」
「レフアがレンを呼ぶって何かなと思って。」
「さあ。明日行ってみれば分かるんじゃない?今ここで考えても仕方が無いよ。」
レンはその場ではそう言ったが、診療所を閉めてココと別れると話の続きをしてくれた。
族長宛の書簡には、アヒ族の村で最近不可思議な現象が起こっていること、そのことに関してネリネをアグィーラに召喚したこと、おそらくマカニ族の力が必要となるのでカリンとレンにも一緒に話を聞いて欲しいということが書かれてあったという。
「僕が呼ばれるってことは多分翼が必要なんだね。」
「不可思議な現象としか書いてなかったのね。」
「そう。族長もそれを読んだだけでは何も分からなかったって。僕もシヴァさんも思い当たる節は無し。だから結局行ってみなければ分からないということになって、話が早く終わった。」
外は再び吹雪き始めていた。ここのところ毎晩、夕方辺りから吹雪き始め、夜中はブリザードのようになる。叫ぶような風の音を聞きながら眠りにつくと、翌朝には前日の雪掻きや雪降しを嘲笑うかのように前日以上の雪が積もっているのだった。
幸い、日中帯は天気が悪いことはあっても吹雪かない。明日は問題なくアグィーラまで飛べるだろう。カリンはいつも通りガイアに乗って行き、レンに近くを飛んでもらう選択肢もあるにはあるが、ガイアは置いていった方が良いかもしれない。
「今日も吹雪きそうだね。」
「そうね。今年はどうしてしまったのかしら。こんな冬、あった?」
「少なくとも僕の物心がついてからは無いかな。…ああ、でも、多分僕の両親が死んだのはこんな冬だったのだと思う。いつもより積雪が多くて、それで雪崩に巻き込まれた。」
それはつまり、レンが生まれた年のことだ。
「嫌なこと思い出させてしまってごめんなさい。」
「気にしてないよ。憶えてないし。僕にはおじさんとおばさんが居る。それよりも、新たな事故が起こらないといいな。」
「そうだね。戦士の見廻りも強化しているのでしょう?」
「うん。土木師たちは壊れた建物の修復や補強で手いっぱいだからね、雪降しの手伝いもするし、吊り橋とか階段とかの点検も手伝ってる。雪崩が起こりそうな危険箇所の確認もね。でもさ、雪崩の前に雪の重さで家がつぶれてしまいそうな積雪量だよ。」
山肌に沿うように作らているマカニの村にとって吊り橋や階段は生命線だ。吊り橋が壊れれば他の地域との繋がりは分断されるし、階段が壊れてしまえば村の中を行き来するのが困難になる。まあそのためにマカニ族は人口の翼を携えているのではあるが不便なことに変わりはない。
レンの言うとおり、昼のうちに雪降しをしたはずの屋根にはすでにうっすらと雪が積もっていた。一晩で屋根が壊れるような積雪は無いとは思うが、毎晩のようなブリザードと併せて被害が出ないことを願うばかりだった。
アグィーラには雪は積もっているだろうか。おそらく火山の麓で温暖なアヒ族の村には積もらないだろう。それとも、普段大して降らないはずの雪が積もっているというのが不可思議な現象だろうか。それならそう書いてきそうなものだ。レンが考えても仕方がないと割り切ることを、ついつい考えてしまうのがカリンだった。
きっとそれを理解しているレンは黙ってしまったカリンに話しかけるのを止め、カリンが気がついた時には訓練場の飛行台に着陸していた。当然ながら既に訓練場に人影はない。
訓練場から二人の家はすぐそこだ。しかしその短い距離が深い雪の中ではいつもより遠く感じた。緊急事態を除いて、飛行台以外で離着陸してはいけないというのがマカニ族の規則だったが、レンは、庭まで飛んでいきたいくらいだと言って笑った。
家に入る前に振り返ると、いつもは見えている訓練場の山肌の的が白い吹雪の壁に阻まれて見えない。
異常気象。大地が、森が、何かを訴えている。そんな考えを振り払うようにしてカリンはレンと共に家の中に入り、ぶ厚い木の扉を閉じた。
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