物語の欠片 緋色の山篇 2
-レン-
夜のような吹雪は収まったが風が強い。向かいの峰を抜けてアルカン湖の上に出れば少しはましになるだろうか。
族長に出発の挨拶をし、カリンと二人で第五飛行台から飛び立つと、谷川から吹き上げてきた湿った風をまともに食らった。翼が凍りついたように重く動きが悪い。
「酷い風だな。カリン、しっかり掴まってて。カリンに気を遣っている余裕はないかもしれない。」
「了解。気をつけて。」
下を見ると、今日はまだ雪掻きをしていない吊り橋が雪の重さで撓んでいる。隣を飛ぶシヴァも眉間に皺を寄せていた。シヴァとは訓練場付近で別れた。
「レン、カリン、気をつけてな。」
「シヴァさんも。」
おそらく今日も戦士たちは雪の始末に追われることだろう。訓練場へ飛んでいくシヴァの姿をのんびり目で追っている余裕もない。レンは真っ直ぐに向かいの峰を目指して飛んだ。山肌付近の方が風の影響を受けずらいだろうと予測し、そのまま向かいの峰の山肌沿いを峰の切れ目まで飛ぶ。
思ったとおり向かいの双子の峰の切れ目まで来ると、マカニの山側から吹き下ろす強い風の流れがあった。追い風なだけましだと思い風の流れを慎重に読む。一応背中のカリンに行くよと声をかけてから、風の流れに乗った。
それは酷く冷たい風だったが、上手く流れに乗れさえすれば風は味方だ。風に後押しされるようにして一気にアルカン湖の上空まで滑空した。
「すごい。」
カリンの口から思わず漏れてしまったような声が出た。強い風に乗った速度に対してなのか、目の前に広がる光景になのか分からないが、おそらく両方だろう。
風で細かい水飛沫あるいは氷の飛沫が舞うアルカン湖に陽の光が反射して、きらきらと光る幕を構成していた。ダイヤモンドダストと呼ばれる現象だ。冬であっても、いつも見られる現象ではない。
レンはその光の幕の中を縫うように飛んだ。エルビエント山脈から離れるにつれて風も寒さも穏やかになる。漸く少し気を抜ける状態になった時には光の幕は消えていた。
「すごかったね。僕も久しぶりに見た。」
「もう話しても大丈夫なの?」
「うん。風、落ち着いただろう?」
「そうだね。良かった。…やっぱりあんなに雪が降っているのはエルビエントだけなんだわ。この辺りはいつも通り。」
「そうみたいだね。まあそれはそれでいいんじゃない?アグィーラでもあんな雪と風では困るよ。」
「そうね。でもこれでレフアの相談が天候に関することではなさそうなことが分かったわ。」
「まだ考えていたの?もうすぐ分かるよ。」
その言葉の通り、レフアの部屋では既にネリネが二人の到着を待っていた。アグィーラには前日に到着したのだという。ネリネに会うのは随分久しぶりだったが、挨拶もそこそこに本題に入る。不思議なことに化身の仲間は久しぶりに会ってもすぐにいつもの空気感に戻るのだった。
「レンまで呼び出してしまってごめんなさいね。またマカニ族の翼の力を借りなければならなくなりそうで…。」
またと言っているのはおそらくフエゴの火山が噴火した時のことを言っているのだろう。その時は、溶岩で埋まってしまったアヒ族の村には空からでなくては近づけなかった。しかし今回は火山が噴火した様子はない。カリンも同じことを思ったのか、火山ではないのよね、と言う。ネリネはどう話したらよいものか迷っているようで、珍しく煮え切らない口調だった。
「火山と言えば火山なのだけれど、今回は噴火ではないの。フエゴで鉄鉱石が採れるという話は知っている?」
レンは知らなかったので首を横に振ったが、カリンは頷いた。
「最近の話ではなかった?」
「さすがね。そう。あの噴火の後に見つかったのよ。噴火の勢いで村まで飛んできた岩の中に鉄鉱石の欠片が埋まっていてね、後片付けをしている時に見つかったの。それで、実はフエゴ火山で鉄鉱石が採れるのではないかって考えた人が調査していて、ついに鉱脈を発見した。」
「へえ、すごいじゃないか。鉄鉱石はラプラヤでしか採れないものかと思っていた。それの何が問題なの?」
アヒ族はこれまで火山灰を使った独特の農法で村の生計を立てていた。それに加えて鉄鉱石が採れるとなれば村にとって良いことしかないように思える。しかしネリネは相変わらず困惑したような表情で先を続けた。
「村の人たちも最初は喜んだわ。村に採掘工は居なかったけれど、元々アヒの土木師たちは地下道を造ることに長けていたから採掘にも問題は無かった。だけどね、そのうち妙な噂が立ったのよ。」
「妙な噂?」
レンは訊き返し、カリンも首を傾げた。
「場所が火山の火口付近だからそう頻繁に採掘に行くわけにはいかないのだけれど、毎回採掘に行くと、前回掘ったところより僅かに位置がずれているのですって。つまり、誰かが勝手に掘り進めているようなの。」
「誰かって誰が?」
「それが分からないから困っているのよ。そしてね…。」
ネリネは言葉を切り、少し迷ったようにレフアの顔を見たが、レフアが頷くのを見て続けた。
「フエゴ火山でポハク族を見たという証言が出たのよ。しかも複数。」
「ポハク族?」
今度はレンとカリンが顔を見合わせる番だった。真っ先にイベリスの顔が浮かぶ。そういえばワイの騒ぎがあったせいで最近イベリスにも会っていないことを思い出した。一番言いにくい部分を言ってしまったからかネリネの口調が滑らかになった。
「最初は偶然だった。忘れ物を取りに戻った土木師が人影を見たのだけれど、長い髪を後ろで束ねていたって。アヒに長髪の男は居ない。不思議に思った土木師たちが、今度は採掘が終わった後一晩山に泊って見張りをした。そこにやはり長髪の男たちが現れたらしいの。服装は闇に紛れるためか黒っぽかったみたいだけれど。」
「それってポハク族がフエゴから鉄鉱石を持ち出しているってこと?」
「私も疑いたくは無いのだけれど、土木師たちが族長のところに押しかけてきて、族長も困っているの。ポハク族に真っ向から抗議するのもね…。」
アヒ族族長アキレアの困り顔がありありと浮かんだ。普段は快活で声も大きいアキレアだが、根っから人が良く大胆な行動も好まない。一方のポハク族族長パキラは一見適当に見えて思慮深い。行動力もあり族長自ら動くことも多かった。アキレアがその話をして怒るような性格ではないが、パキラならすぐに行動を起こすはずだ。事を荒立てたくないアキレアとしては表立ってパキラに話をするのを悩んでいるのだろう。
「もし本当にポハク族だったら、遠目からポハク族って分かるような格好で来るかな。前に僕たちを襲った刺客たちは髪を覆面の中に隠していただろう?」
「それじゃあ、誰かがポハク族に罪を擦り付けようとしているっていうこと?」
「そこまではまだ分からないけど…それで、どうしてマカニの翼が出てくるのかな。」
「ポハク族に抗議するならば、先ずは土木師たちの話を鵜呑みにするのではなくて、きちんと証拠を掴みたいの。そのためには火山に見張りを立てなければならないのだけれど、何せいつ噴火するか分からないから、誰でもいいというわけではない。」
「ああ…僕らならいざという時に空を飛んで逃げられるという訳か。」
「そう。ごめんなさい、安直な発想で。以前助けてもらった時の記憶があったから、つい族長に提案してしまったの。」
レンは再びカリンと顔を見合わせた。カリンは途中言葉を挟まず、じっと何かを考えているようだったがついに口を開いた。
「見張り自体は戻って族長様にご相談するとして、それ以外にもいくつかできることがあるわ。」
そう言ってレフアの顔を見る。
「アグィーラの鉄鉱石はこれまですべてラプラヤからのものだったでしょう?もうフエゴの鉄鉱石も取り入れているの?」
「アキレア殿から鉄鉱石が見つかったという報告を受けて少し持って来させたわ。鉄の質を比較するために今建築室と刀剣室が分析をしている。…ああ、なるほど。ラプラヤから入ってきているものにいつもと違うもの…もっと言えばフエゴから届いたものと同質のものがないか調べるのね。」
「そう。目的を知らせずにできるかしら?」
「やってみるわ。」
「あとは、やはりパキラ様のお耳には入れておいた方が良いと思うの。族長同士が話をすると大袈裟になると言うのであれば…。」
カリンがレンの方に向き直ったのでレンは頷いて先を引き取った。
「そうだね。帰りにポハクに寄って行こうか。イベリスの所へ行くのも久しぶりだし。」
「助かるわ。」
レフアとネリネがほっとしたように声を揃えた。
「しかし…いずれにせよ嫌な雰囲気だな。」
それまで黙っていたローゼルが低い声で呟き、皆の視線がローゼルに集まった。ローゼルは誰とも視線を合わせないまま独り言のように続ける。
「本当にポハク族が犯人だった場合もそうだが、アヒ族がポハク族を犯人に仕立て上げようとした場合にも、種族をまたいだ罪になる。これまであまり種族間の争いは無かったが、こういうことが増えてくると法整備が必要かもしれないな。現状、種族をまたいだ犯罪はアグィーラで裁くことになるだろう。」
「そうね。種族間の交流が増えてくればそういうことも増えるだろうし、アグィーラとしては揉めた場合だけ口出しすることにして、ある程度は犯罪が起こった土地の族長が判断できるようにした方が良さそうだわ。」
種族間の争い。嫌な言葉だ。当然種族が違えば常識が違う。それが交われば争いが増えることも必至だが、どうにか相互理解はできないものなのだろうか。
レンとカリンは種族を越えて婚姻関係を結んだ。イベリスは種族は違うが唯一無二の友人だ。レンの頭にイベリスの太陽のような笑顔が浮かび、この話をすればそれが曇るだろうことを思うと胸が痛んだ。
目の前に居るネリネも、大切な化身の仲間だ。二人が種族間の争いの板挟みになって苦しまないようできるだけのことはしたい。きっとこの部屋に集まっている五人は皆同じ思いだ。レンはレフアの部屋の明るさと暖かさを有難く思った。
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