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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 21

-レン-

 カリンがデンファレと共にアグィーラへ行った日、レンは訓練場に復帰した。
 まだ弓を引くことはできなかったが、弓を教えることはできるし、レンが訓練場に居てくれるだけでも違うとシヴァが言ってくれたからだ。けれどそれはおそらくシヴァが、早く訓練に戻りたいレンの気持ちを汲んでくれたからだと考えている。だからレンは、決して焦らないことを自分自身に誓った。
 朝、シヴァの話の後に短い挨拶をすると、戦士たちの間から歓声が上がった。レンが谷川に墜落してから救出されるまでの経緯はシヴァが事前に話してくれていたので、質問の声は上がらない。喜びの声が鎮まり、皆が自分の訓練や持ち場へ散っていった後、その場にはガウラとセージが残った。二人とも、喜びだけではない微妙な感情が混じった表情をしている。
 レンは努めてそれに気がつかない振りをして、笑顔で二人に声を掛けた。
「ガウラさんもセージも、心配かけてごめん。セージは、大丈夫だった? 最初の特別訓練で事故が起こってしまって、動揺しただろう? 怪我は?」
「あ……あの……」
 セージは上手く言葉が出てこずに、顔を歪めた。涙が零れるのは何とか堪えている。ガウラがその肩に手を置き、言葉を引き取った。
「レンのおかげで無傷だった。感謝してる。そして、迷惑をかけてしまって……」
「うん。無事なら良かった。迷惑だなんて欠片も思ってないよ。僕もこうして無事に戻って来られたし、訓練をやっていた甲斐があったというものだ」
「あ、ああ。そうだな」
「そういうわけで、訓練訓練。あ、セージの弓は、今日は僕が見るよ。僕が居ない間にどのくらい上達したか楽しみだ」
「ありがとう。レンに見てもらえるなら有難い」
 セージはまだ固い表情だったが、ガウラは気持ちを切り替えたように笑顔になり、セージの肩を叩いてレンの方へ押し出した。セージはその勢いのまま頭を下げる。
「よろしくおねがいします」
「うん」

 セージは、レンが居なかった半月程の間も真面目に訓練をしていたのだということが伝わってくる上達ぶりだった。少し前にレンが指摘していた箇所は綺麗に修正されていた。素直に感心して褒めると、セージははにかんだように微笑んだ。そして、漸く緊張がほぐれたのか、改めてレンの方を向き、すみませんでした、と神妙な表情で謝った。
「何が?」
 分かっていながらレンは訊き返す。
「俺のせいでレンが大変な目に遭って……あのまま見つからなかったらどうしようかと思いました」
「セージのせいじゃないよ。あれは事故だ。運が悪かっただけ。考えようによっては、あんな大きな岩が落ちてきたのにこうやって生還できたんだから、運が良かったとも言えるのかもしれない」
「でも、もしあの時俺がすぐに自分の翼で飛べていたら……」
「それでも岩は落ちてきただろうし、僕が本当にあれを避けられたかどうか判らない。でも、そう思うのならば、咄嗟の時にすぐ動けるように、これから訓練をすればいい。自分の未熟さを素直に反省するのは良いことだけど、気にし過ぎないようにね。怖くて何もできなくなってしまったら逆効果だ」
「はい」
「そういう僕も、人ひとりくらい抱えていてももう少し身軽に動けるようじゃないと駄目だね。まだまだだ」
「そんな……あ、でもスグリさんが……」
 言いかけたセージがしまったという表情をして黙る。
「スグリさんが?」
「いえ、すみません。何でもありません」
 ちっとも何でもなくなさそうな口調なので笑ってしまったが、おそらくスグリに口止めされていることなのだろう。もしかしたらレンが居ない間、スグリがセージを見ていてくれたのかもしれない。
「うん、まあいいよ。とにかくお互い、まだまだ精進が必要ってことだね」
「はい。あの……レンは、何処を目指しているんですか?」
「何処って?」
「だって、もう弓もマカニで一番だし、飛行能力だって一、二を争うくらいだし、これ以上何があるのかなって」
「うーん。それは色々。弓ができたって上手に飛べたって、それだけではやっぱり駄目なんだよね。例えば僕はシヴァさんには全然敵わない。広い視野も無ければ素早い判断力だって足りない。でもそれじゃあ弓や飛ぶ訓練は無駄なのかと言ったらそういうわけではなくて、僕の場合は自分が自分の弓に納得しないと、シヴァさんと対等に向き合うこともできないんだ。先ずは自分でできることをやって、次に他者に学ぶって感じなのかな。器用な人は両方同時にできるものなのかもしれないけど、僕の場合はひとつひとつなんだ。ああ、そうだな。自分が何かで一番になると、漸くその上が見えるのかもしれない」
 難しいかな、とレンが笑うと、セージは首を横に振る。
「俺がまだ見えてもいない世界が在るんだってことが分かりました。だから先ずは弓と翼なんですね」
「うん、そうだね。それにさ、セージみたいに一生懸命な人が居ると、幾ら今僕が一番だからって、訓練を怠ったらすぐに追いつかれてしまう。だから僕も更に上を目指して頑張るんだよ」
 セージと話しながら、レンは自分自身にも言い聞かせていた。やはり訓練場に身を置くと気が引き締まる。それは心地よい緊張感だった。

 夕方、シヴァと共に族長の家で報告をしていると、カリンとスグリが戻って来た。族長がカエデにお茶を淹れるようにと指示したので、皆で応接用の椅子に移動する。
「調子はどうだ?」
 族長がその場でカリンが持ち帰った書簡を読み始めたので、スグリがレンに尋ねた。
「悪くないよ。訓練場に行くと弓を引きたくなるけど」
「まあ、そうだろうな」
「でもやっぱり訓練場は落ち着く」
「奇特な奴だ」
 セージのことを尋ねようかと思ったが、少なくともこの場ではまともに答えてくれそうになかったので止めた。
 カエデがお茶を置いて出ていくと、族長が書簡からカリンに視線を移して口を開いた。
「ツツジ殿は頭の切れる方であるようだな」
「はい、とても……あの、何かお困りになることが書かれてありましたか?」
「気がかりがあるのか?」
 心配そうな表情のカリンに族長が穏やに訊き返す。
「エリカ様が、王からの召還をお断りになったと聞きました」
 カリンは薬師室で聞いてきたというアグィーラとワイの内情を報告した。もしかしたら自分がワイへ行かされるのではないかと思っていたが、ツツジから直接の指示は無かった。しかしもしかしたら、書簡にその旨が記されていたのではないかと気にかかったらしい。
 聞き終えた皆の視線が族長に集まる。族長はいつもの落ち着いた表情でその視線を受け止めた。
「カリンを遣れとは書いていなかった。が、もし様子を見に行くことができるならば、お願いできないだろうかと書かれてあった。ご自分がワイへ行っても良いのだが、明らかにエリカ殿を警戒させるだろうという懸念があるようだ」
「しかしそれは実質カリンを遣れというのと同義ではないでしょうか」
 シヴァの言葉を、族長は口元に笑いを浮かべて否定した。
「そうでもない。私が見舞いに行くという手もある」
「ああ、なるほど」
 シヴァは納得したように頷いたが、カリンは目を丸くした。レンも驚いた。エリカが族長に見せる、あからさまに悪意のある態度を知っているからだ。シヴァも話としては聞いていると思うが、実際の場面を目にしていないため、悪意の程度が分からないのかも知れない。あるいは、それを知った上での納得という意味だろうか。シヴァならばそれもあり得る。
「寧ろそれを期待されているのではないだろうか。カリンが行ったところで医局の人間であることには変わりない」
「そうかもしれませんね。それで……行かれるのですか?」
「そうだな。行っても良いのだが、あまりすぐに行くのも良くないであろう」
「少々の体調不良で族長が御見舞いというのは確かに大袈裟のように思います。もう暫く様子を見て、あまり長くアグィーラへ向かわれないようであれば伺うというのが自然ですね」
 あの、と思わずレンは口を出していた。
「どうした?」
「僕が行きましょうか?」
「お前が?」
「いっそ体調不良のことは知らない振りをして、少し前にエリカ様に呼ばれた時の返事をしたいと言って伺えば自然なのではないでしょうか。それでも体調不良だと言われたら、その時は見舞いを理由にすればいい」
 族長がじっとレンを見詰める。
「お前はもう大丈夫なのか?」
「はい。今日訓練場に行ってみた感じだと、ひとりならワイまで飛べると思います」
「そうか……お前が大丈夫ならば、おそらくそれが最適な方法だな」
 珍しく族長が少し迷ったような口調で言った。それだけ自分が心配をかけたということなのだろう。
「エリカ様をご訪問するのはレンひとりだとしても、ワイの入口までは、戦士を一名付けます。弓が使えないのは余りに心許ない」
 シヴァも心配し過ぎではないかと思ったが、族長が行くにしても最低一名は誰か付くだろうから、戦士への負担は同じだと思って何も言わずに黙っていた。族長も、そうするようにと言った。

 まだ人を乗せて飛べないレンの代わりに、訓練場までスグリがカリンを乗せて飛んでくれた。そこからカリンと二人で並んで家へ帰る。
 ずっと診療所に居たので、家へ帰るのは久しぶりだった。
「カリンも久しぶりなんじゃない?」
「そうだね。レンが居なくなってからほとんどずっとアグィーラに居て、それからは荷物を取りに戻る以外は診療所に居たから」
「反対しなかったね」
「レンがワイへ行くこと?」
「そう」
「……あのね、なんとなく、一番何も解っていないのは私なのではないかと最近思うの」
「どうして?」
「レンがこの間ひとりでワイへ行った時は、とても心配だった。それなのに、結局レンはきちんと自分の考えを持って帰ってきて、困ったことは何も起こらなかった。それなのに、何の心配もなく送り出した訓練の日に、レンは居なくなってしまった」
「あはは。そんなこと……誰も前もって分らないよ」
「それだけじゃないの。医局のことも、何も解っていなかった」
 そう言ってカリンはツツジとの会話を話してくれたが、これには確かにレンも驚いた。ツツジと言えば、あのアオイの父親ではないか。今ではすっかり忘れてしまいそうだが、アオイは聖なる貴石をすり替えた張本人だ。カリンはその原因は自分がアオイに出逢ったことだと思い込み、アルカンの森に閉じ籠ったわけだが、そのカリンを医局に招き入れたのがツツジだということに、これ以上ない因縁めいたものを感じる。
 ただレンは、だからこそ後から因果を考えても仕方がないと思ってしまう。起こってしまったことは仕方がない。大切なのは、それを踏まえて今をどう生きるかだ。
「解ってないと思うなら、これから理解していけばいい。それに、カリンは何も解っていなくはないと思うよ。僕なんかより、ずっと色々なものが見えていると思う。そうやって、少し崩れると、全部が駄目だと感じてしまう癖が、全然直ってないんじゃないかな」
 レンが笑いながら言うと、カリンも思うところがあったのか、くすくすと笑った。
「本当だわ。全部が見とおせないからと言って全部を諦めてしまっては駄目なのね。人との関係と同じ」
「そう」
「それに、全部が見えていると思い込むことが一番危険なのだわ。自分は一部しか見えていないということを、いつも心に置いていなければ」
「そう。本当にそうだね」

 自分の家で湯を浴びて食事をし、ベッドに横になると、漸く少し日常が戻ってきた実感があった。レンは、僅かに目頭が熱くなるのを感じた。
「ワイ、気をつけて行ってきてね」
 それに気がついたのか気がつかなかったのか判らないが、カリンが隣で優しい声で言った。
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ」
 軽く口づけを交わすと、レンは一瞬の感慨を忘れ、いつものようにあっという間に眠りに落ちて行った。


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