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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 22

-レン-

 早い方が良いだろうと思ったので、レンは敢えて事前に書簡は送らず、直接ワイの正門を訪れた。
 前回レンひとりを突然指名してワイへ呼び出し、問いかけをしたのはエリカである。その返事を持って訪れたのだから、それ程非礼にはあたらないだろうし、無理に会おうとせず都合が悪ければ出直すと言えば良いだろうと考えていた。他の種族より比較的身軽に移動できるのがマカニ族の利点だ。
 予想通り面会の希望はあっさりと通り、ついて来てくれた戦士にもワイの町に入る許可が得られた。長居をするつもりはなかったので、二時限後に正門で待ち合わせる約束をしてレンはひとりでエリカの居る雨乞いの宮へ向かった。

「怪我をされたの?」
 レンが突然訪れた非礼を詫びるとすぐにエリカはそう尋ねた。頭の包帯はすでに取れているが右腕はまだ固定されて首から掛けた布で吊られている。
「はい。訓練中に事故に遭ったのです。それで、暫く難しい任務や弓の訓練はできないので、この機会にこちらへ伺うことを思いつきました。個人的な都合で大変申し訳ありません」
「構わないわ。先日の問いに対して真面目に考えて下さったようで何よりよ」
 エリカはとても体調不良であるようには見えなかった。いつもどおりの強い眼差しである。ワイ族は元々蒼白い程に色が白いので、顔色もいつもに比べて悪いようには見えなかった。しかしレンは医局とのやり取りは知らないことにすることにしていたので、特にエリカの体調について尋ねることはしなかった。
「それで、どのような答えを聞かせてくださるのかしら?」
 使用人が置いて行ったお茶をひとくち含むと、エリカはすぐに口火を切る。レンは姿勢を正して答えた。
「私はやはり、マカニに身を置きたいと思います」
 口元に笑みを浮かべたまま、エリカの目がすぅっと細くなる。予測していた答えだ、と言いたげな表情だった。
「レン殿がその答えに辿り着くまでの過程を聞きたいわ」
「エリカ様にワイへ来ないかというお話をいただいた後、自分が何故マカニを大切に思っているのかということを、子供の頃に遡って考えました」
「ええ。それで?」
「ひとつは、やはり自分が生まれ育った場所ですから、子供の頃から培ってきた周囲の人との繋がりがあります。さいわい私は周囲の人間に恵まれました。勿論ワイへ来たら来たで新たな繋がりを築けるかもしれませんが、それを求めずとも、私は既にそれをマカニに持っています。マカニという土地も好きです。マカニの冬は厳しいのですが、それを含めてもそう思います」
 エリカは相槌を打つことを止め、レンの目を真っ直ぐに見詰めながら時折頷いて先を促す。
「子どもの頃から、空を飛ぶことと弓を扱うことが好きでした。それらを学ぶ過程で、私は生きる上で大切なことを沢山学んだと思います。もしエリカ様が今の私に興味を持ってくださったのならば、それはひとえに翼と弓の訓練のおかげです。しかしそれらは、マカニを出てしまったらまるで意味をなさないものになってしまいます。特に、武力を持たないワイでは、戦士としての私の軸は、使い物にならないと思います。例えば短期間ワイに滞在する前提ならば、私は弓や翼の訓練を続けるでしょう。しかし、ワイに骨をうずめるつもりでいたら、その訓練に意味を見出せるかどうか自信がありません」
「……果たしてそうかしら?」
「どのような意味でしょうか」
「レン殿がその気になったら、ワイに弓の訓練場を作っておしまいになるのではなくて? そして、希望する者に弓を教える」
「ワイに武力を?」
「私はそれでもいいと思っているの。私はね、ワイの古いしきたりを撤廃した時に決めたのよ。これまでの常識はすべて忘れるのだって。現状を冷静に見詰めて、今の時代に必要なワイを創り上げようって。……だから、王国全体の古いしきたりである王家の血の継承や民族分離を撤廃することにも賛同したの。分かる?」
「医院の設立もそのひとつですか?」
「ええ、そうよ。ワイはね、これまで敢えて武力も持たず農業以外の産業も起こさず、弱い立場を主張することで皆に守ってもらいながら安全を保ってきたの。国の食糧庫を支える農業をしながらにして必要以上の利益は追及せず、争いごとも好まない。誰もワイが反乱を起こすだなんて思わなかったから喜んでワイを守ってくれたし、これまでうまくやって来た。ワイの中も、男女を隔離することによって他の地方より随分争いごとは少なかったのよ。それはそういう戦略だったの」
 そう言い切ったエリカにどのような言葉を返してよいか分からず、レンは黙った。そのまま少しの間沈黙が続く。
 と、突然エリカが立ち上がり、「場所を移しましょうか」と言った。

 案内された先はそれなりの広さの、がらんとした部屋だった。
 綺麗に清掃されているようだが、家具などは何も置かれておらず、天井付近に在る窓から午前中の柔らかい光が射しこんでいる。
 頭に浮かぶ疑問符を必死で隠しながらレンが部屋へ足を踏み入れると、エリカは自分も部屋に入って扉を閉めた。まさかこのまま閉じ込められるようなことはあるまい。
 扉を完全に閉めると、エリカはおもむろにくすくすと笑いを漏らした。さすがにこれには堪えきれず、レンは質問を返した。
「何か、可笑しかったでしょうか」
「レン殿を此処に捕らえるとでも思った?」
「いえ、さすがにそこまでは……」
「貴方は今、怪我をしている」
「あそこに窓があります。怪我をしていても窓を破って逃げ出すことは可能です」
「ああ、そうね。マカニ族は便利だわ。……此処はね、ギリアの部屋だったの」
「ギリア……様の?」
「ええ」
「何故、私を此処へ?」
「何故かしらね……なんとなく、貴方に見てもらいたかったの」
 エリカは静かに歩き出し、部屋の中央、ちょうど天窓から光が射しこんでいる辺りで歩みを止めた。
「実は、エンジュが来ることを期待していたわ」
 こちらを振り返らずにエリカは言う。
「え?」
「アグィーラから要請があったのでしょう?」
 レンは絶句する。エリカは再びくすくすと笑った。
「今回アグィーラへ行ってみて、マカニとアグィーラ医局の結びつきが思っていたより深いことが分かった。ちょっと困らせたらカリン殿に相談が行くのではないかと思って。そうしたらカリン殿はエンジュに相談するでしょう? エンジュはカリン殿を行かせるのではなくて、自分で行くというのではないかと期待していたのだけれど……」
 ゆっくりと振り返ったエリカの顔には妖艶な笑みが浮かんでいる。レンが来たことを歓迎しているようにも、そうでないようにも取れた。だからレンはエリカの次の言葉を待った。しかし次の言葉は意外なものだった。
「此処をね、美術館にしようかと思っているの」
「え? ……あの、このお部屋を、ということでしょうか」
「いいえ。この部屋を含めた雨乞いの宮の大部分をね」
「雨乞いの宮は……ワイの象徴的な場所ですよね?」
「以前は、そうだった。でも今は違うわ。新しい中心は医院になる。いえ……それもまだ予定ね。もしかしたらこちらの美術館の方が人気を博して、相変わらず此処が中心になるのかもしれないわ」
「その話を……族長にされるおつもりだったのですか?」
 レンは先程の話の続きかと思ってそう尋ねたのだが、エリカはさもレンが可笑しなことを言ったというように声を出して笑った。レンが憮然とした表情をしていたのだろう、エリカはすぐにごめんなさい、と謝った。
「エンジュが来ていたらこんな話にはならなかったでしょうね。エンジュには、他に訊きたいことが沢山あった」
 そして、エリカは少し遠くを見るような眼をした。
「でも、それは次の機会にするわ。折角レン殿が来てくださったのだから、エンジュにする筈だった話ではなく、貴方としたい話をしているのよ。この話は、相手が貴方だから話しているの」
「申し訳ありません」
「謝る必要は無いわよ。先日貴方を呼び出したのは私だし、これに関してレン殿と話をしたかったのも事実。そうね、タイミングは……私の読みが甘かったわ」
「族長にワイへ来るようお伝えしましょうか?」
 族長に申し訳ないと思いながらもレンはそう口にしていた。先程のエリカの遠くを見るような目線が気になっていた。
「レン殿はいずれにせよ、今日のことをそのまま報告なさるでしょう?」
 確かにそうだ。それすら、織り込み済みということか。レンは自分が何処までもエリカの思うとおりに動いているようにしか思えなくなった。もしかしたら最初にレンをワイに誘ったのも、本気でそれを望んでいたわけではなくて、族長に何かを伝えたかっただけなのだろうか。そう考えると、一瞬でも悩んでいた自分がばかばかしくなる。
「レン殿をワイへ誘ったのは本気よ。いつでも歓迎するわ。ふふ。でもワイに来るくらいならばポハクへ行くかしらね」
 エリカのやや湿度のある視線が言葉を失ったレンを絡め取る。もはや何処までが本気なのだか、全く分からなかった。パキラとの会話も予測していたのかもしれない。
 しかし同時にレンは安堵をも感じてもいた。自分はマカニの中に居るべきだ。ワイの危機に手を差し伸べることは厭わないが、自分はやはりマカニ族なのだと思った。
「少なくとも私は、現状に不満が無いのだと思います。だから他へ行きたいという欲望が生まれない。私はそれ程先のことが考えられる頭を持ちません。問題が起きればできる限り対処しますが、必要以上に先のことを考えることをしない質です」
「ええ、そのようね。それはそれで良いと思うわ」
「私に此処をお見せになった意図をまだ伺っていません」
「最初に、自分でも解らないと言ったでしょう? なんとなく見せたくなったの」
「エリカ様に限ってそのようなことがあるとは思えないのですが……」
「私のせいではないわ。貴方に要因があるの」
「私に?」
「そう。貴方はそうやって、ふと、人の心の防御を解いてしまう力がある。貴方と居ると、魔が差すのよ」
「心の……防御?」
「此処はね、ギリアの部屋だったからという訳ではなく、今の私にとって色々な意味で象徴的な、特別な部屋なの。其処を、誰かと共有したかった。シレネでは駄目だった。何故貴方なのかは分からない」
「それは……」
「ある意味私と真逆よね? だから貴方のその力が、少し、欲しかったの」
「……」
 レンは、問うことを止めた。
 その代わり、先程エリカがしたのと同様、静かに部屋の中央、つまりエリカの隣まで歩いて行き、上を見上げて差し込む光の先を辿った。そのままでは少し眩しかったので、瞼を閉じて暫くの間そのまま光を感じていた。
 エリカがじっとその様子を眺めていることが気配で分かる。
「……木漏れ日のような陽射しですね」
 目を開けたレンがエリカの方を向き、微笑んでそう言うと、エリカの両目が僅かに大きく見開かれた。
「森の絵を飾ったら、素敵な部屋になりそうです。ギリア様のお部屋だった頃には、さぞかし居心地の良いお部屋だったのでしょう。私には……せいぜいそのような感想を述べることしかできません」
「それで十分よ……いえ、十分すぎるくらい。そう。この部屋には、緑や花の絵を飾ろうと思っていたの。ありがとう」
 自分の役目は終わったな、とレンは思った。
 元の応接室へ戻るとエリカは、この後すぐにアグィーラに宛てて書簡を送ると述べた。アグィーラの分院となる件は断るつもりだという。時間はかかっても地道に人員を集めることを選ぶのだと。
 ワイの患者を救ってくれた件については素直に礼を言い、早々に患者を引き取るつもりであることも語った。
 ワイの医院内の処分等については話してくれなかったし、レンが立ち入ることでもないように思われたので尋ねることができなかった。カリンならばきっと尋ねただろうが、こればかりは仕方がない。しかし、なんとなくエリカはそれほど厳しい処分を下さないのではないかと、レンは楽観的な観測でいた。
 族長への報告はレンに任せるそうだ。レンは、あったことをそのまま報告するつもりだった。

 正門で落ち合った仲間と共にワイを飛び立ち、マカニまで飛ぶ間にレンは、前回ワイを訪れた時から今回までの一連の出来事を思い出していた。
 考えてみれば、そのほんのひと月程の間に、これまでになかった沢山の出来事が起こった。
 思いがけないエリカからの勧誘。これは今となっては本意が分からない。
 特別訓練での事故。それに引き続く鍾乳洞での出来事や、その後の生死の境を彷徨った経験。
 それらが与えてくれたものも、結局は自分が如何にマカニを大切に思っているかだったように思う。
 そして、カリンの存在。
 共に歩みたいと思っていた。ずっと背中を追い駆けているのだと、そう思っていたのだが、もしかしたら漸く、一緒に歩み始めているのかもしれない。そのことを心強く思う。
 おそらく自分の辿っている道は間違ってはいないのだ。
 ふと、族長の顔が頭をよぎった。
 それから、族長が来ることを期待していたというエリカの言葉。
 エリカは族長に何を尋ねるつもりだったのだろう。いつもの強い口調でなのか、それとも、二人きりの時は何かが違うのだろうか。
 幾ら考えても答えは出ない問いだろう。自分は族長ではない。族長のようになれるとも思わない。なりたいとは思う。しかしそれは遠い遠い道のりだった。
「先ずは怪我を治して弓が引けるようにならなきゃな」
 レンがそう呟くと、一緒に飛んでいた仲間は不思議がりもせず同意の返事をする。レンは笑顔を返した。
 そう。結局は変わらない。
 闇が目の前に在っても、闇が浄化されても、難題を突きつけられても、命が危ういような危険な目に遭っても、自分ができることなどたかが知れている。ただ、それを精一杯こなすだけだ。それが自分にできる唯一のことだからだ。それが、微々たることであることを気にしてはいけない。それを否定してしまったら、自分の存在を否定することになる。
 それを虚しいとは思わない。
 族長が言ったではないか。ひとりひとりの存在が、確実に集団に影響を与えるのだと。
 光輝くアルカン湖の向こうに、エルビエントの双子の峰が見えた。
 そして其処に、レンは小さな鳥の影を見つける。
 エルムだ。
 レンが近くへ行くまで待っていてくれるかどうかは分からなかったが、レンは速度を上げた。
「おい、速すぎる!」
 一緒に飛ぶ仲間が焦って声を掛けてくる。
「早くマカニへ戻ろう」
 レンの翼は追い風を受け、ぐんぐん速度を上げて行った。



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