物語の欠片 金糸雀色の午篇 13
-カリン-
急用ができたのでパキラの馬を借りて先に戻ったと偽ってポハクの厩舎にカイウを預けると、カリンはパキラの館への道程を急いだ。陽はほぼ落ちており、辺りは薄暗い。
パキラの館に近づくと、人の声が聞こえた。
思わず足を止め、そっと様子を伺う。パキラの館の門の前には灯りが点っているので、カリンの姿は暗がりに紛れてまだ目に入っていないだろう。
しかしそのパキラの館の灯りに照らされていたのは、門番の戦士と意外な人物の後ろ姿だった。
カリンが近づくと、戦士が先に気が付いて目で挨拶をする。それにつられるようにして振り返ったのはヒソップとフクシア夫妻だった。
「ああ、カリン殿、丁度良かった。」
「こんな時間にどうされたのですか?」
「急いでイベリスと話がしたいのだが、事前に話をしていなかったから通してもらえずに困っていたんだ。」
ヒソップはカリンと戦士たちを交互に見やりながら言う。
一度大きな謀反が起こって以来、パキラの館の護りは強固になった。その日面会する予定は事前に門番に伝えられており、それ以外の面会が通ることは殆ど無い。しかも二人がこの館を訪れるのは初めてかつ、日の暮れてからの訪問だ。確かに門番が通さないのも無理はない。
人を欺くには先ず何とやらで、パキラは最低限の戦士たちにしか今回の作戦を知らせていない。カリンは先に自分が早く戻った理由を、厩舎の職員に話したのと同様に説明した。戦士たちは疑いもしない。
「この方たちはイベリスと懇意にしている方々です。わたくしが保証しますから、一緒に中に入れてください。」
「分かりました。カリン殿がそう仰るならば。」
「有難うございます。」
ヒソップとフクシアはカリンの登場であっさり通してもらえたことを喜びながらも、パキラの館の門を緊張の面持ちでくぐった。
館の雰囲気に圧倒されているようで、そのまま玄関までは無言である。本当にこの先にあの気さくなイベリスが居るのかと疑っているようでもあった。
カリンが玄関の呼び鈴を鳴らすと、当のイベリスが出てくる。夕方以降の時間帯は使用人は帰ってしまうので、大抵の場合はそうだった。だからこそ門の警戒は厳重なのだ。
扉を開けた勢いのままカリンを抱き竦めようとしたイベリスは、カリンの後ろにヒソップとフクシアの姿を認めて明らかに驚いた表情をする。
「カリン、お帰り。親父さん、おばさん、どうして…。」
「ああ、イベリス、聞いてちょうだい。ネメシアが、まだ戻っていないのよ。」
イベリスの顔を見て安心したのか、金縛りが解けたかのようにフクシアが言葉を発したが、声は上ずっている。その声の調子から、この時間に戻らないのは異常なことなのだと知れた。
「とりあえず中に入ってくれ。」
険しい表情になったイベリスはそれでも冷静に三人を招き入れ、応接の間へ連れて行った。パキラがよく使っている、中庭に面した部屋だ。レンとパキラは門を通らず、暗闇に紛れて中庭から戻ってくる予定になっている。
「落ち着いて、詳しく話してくれ。」
誘われるがままに腰を下ろしたヒソップとフクシアは顔を見合わせ、結局ヒソップが続きを話すことになった。
ネメシアは今日の午後、昼の営業時間帯が終わった後で買出しに出た。いつもならフクシアが行くのだが、ここのところ物価の値上がりのせいで関係の良くない店も多く、フクシアの疲労が溜まっていたのを見かねて代わりを買って出たのだ。
ところが、そろそろ夜の営業の準備をしなければならない時間になっても戻らない。慣れない買出しで時間が掛かっているのだろうと思い暫く待っていたが、多くの店舗が店仕舞いをする時間になっても戻ってこないので、さすがに心配になってフクシアが様子を見に行った。
すると、丁度店仕舞いの最中だったどの店舗の面々も、ネメシアは予定通りの品物を手に入れて随分前に店を去ったと言う。
用事を終えて真っ直ぐ戻らず、黙って何処かで油を売るような娘でもない。フクシアは慌てて店に戻ったが、まだネメシアは戻っていなかった。今聞いてきた話をすると、ヒソップの顔もフクシア同様青ざめた。
しかし悪い想像をしたくなくてあれこれ他の可能性を考えている間に更に時間が経ってしまった。
暫く経って漸く、迷っている場合ではないと思い警邏所に行こうかと思ったのだが、その前に、何かあったら話して欲しいと言ったイベリスの顔が浮かんだ。それで、パキラの館にやってきたという訳だった。
「やっぱり警邏所に知らせるべきだっただろうか。」
「いや、こっちに来てくれて助かったよ。有難う。しかし…。」
イベリスは険しい顔のままカリンの方を向いた。
ネメシアが自らの意思に反して誰かに連れ去られたのだとして、その意図は何か。やはり、イベリスと切り離して考えるのは難しいだろう。
「目的が…分からない。」
カリンは考えを巡らせながらひとまずそう答える。
「目的なんて、只の嫌がらせかも知れないだろう?」
「誘拐はそれなりに大きな犯罪だと思うの。ポハクでの処罰は分からないけれど。相手もそれだけの危険性を冒しているのよ。」
「だって、ネメシアだぜ?父上じゃなくて俺が狙いとしか思えないじゃないか。」
「そうとも言えない。お店であったことはイベリスからパキラ様にも伝わっている…あ、つまり、少なくともこの間の騒動を知っている人物だと思う。やはりあれは…ある程度組織的な動きだったのかしら…。」
最後は自分自身に問う形になった。
おそらくパキラはこの事態を予測していた筈だ。そうだとすると…。
カリンの思考が纏まり始め、イベリスに声を掛けようとした丁度その時、イベリスが、あっ、と声を上げた。
中庭に目をやると、パキラを乗せたレンが中庭に舞い降りるところだった。イベリスが立ち上がって中庭に続くガラス戸に駆け寄る。
レンの背中から降りたパキラは、今にも大声で「父上」と叫びそうなイベリスを手を掲げて制止した後、ゆったりとした動作で中庭と応接室を隔てるガラス戸を引いた。
「待たせたな。」
穏やかな声で言い、カリンたちの方へ目を向ける。
ヒソップとフクシアは弾かれたかのように慌てて椅子から立ち上がり、その場に平伏した。
「よい。面を上げよ。」
そう言われても平伏し続けている二人を、カリンは再び椅子へと誘った。
「父上、あの…。」
「話を聞こうか。」
イベリスは座る間ももどかしそうに早口でヒソップから聞いたばかりの話を繰り返す。
「絶対に今回のことを恨みに思っている商人たちの仕業だと思います。」
「それで?お前はこれから、主に嗜好品や香辛料を扱っている商人の家を片っ端から訪ね歩いて犯人探しをするつもりか?」
図星だったか、あるいは他に策を思いつかないらしいイベリスは言葉に詰まる。
「何件目で犯人が見つかるか分からないがな、そんなことをしてみろ。今回のことで損をした上にお前に良からぬ嫌疑をかけられて、商人たちは更に俺への恨みを増すだけだ。」
「しかし父上…。」
「俺が何の為にお前を此処に残したと思っているのだ。」
「父上は、俺が残れば抑止力になると…。残念ながらなりませんでしたが…。」
「篩のようなものだと言っただろう。お前はきちんと役割を果たした。」
「え?では…。」
「今回のことを起こした奴らは、見事にお前の頭の中を見抜いていたわけだ。」
「え?」
「奴らの狙いは、まさにお前がひとりで勝手に動き回ることだったんだよ。」
イベリスは訳が分からないという表情でカリンに救いを求める目を向けた。
「あのね、イベリス。さっき言おうと思ったのだけれど、私の考えが正しければ、ネメシアさんは無事だと思うの。」
「え!?」
声を上げたのはイベリスだけではなくヒソップとフクシアも同様だった。
カリンが申し訳なくなってパキラの顔を見ると、パキラはにやりと笑って頷く。
「そうか、カリン殿は解っていたか。」
「いえ、つい先程分解りました。」
「それで十分だ。…しかし、それ程までに大騒ぎになっていないところを見ると、外れだったかな。」
パキラは顎に手を当てて僅かに首を傾げると、イベリスにお茶を淹れてくるようにと指示を出した。
「こんな時に茶だなんて…。」
「お前な、レン殿はワイから飛んで戻ったばかりなのだぞ。ついでに頭を冷やして来い。」
「私ならお気遣いなく。」
「あの、お茶ならわたくしが。」
レンとカリンの言葉が重なる。
「おお。確かに茶ならカリン殿が淹れた方が美味い。すまないが頼む。」
お茶を淹れて戻っても応接間の様子は変わっていなかった。
イベリスは落ち着かない様子で座っていた。パキラに話しかけるのは諦めたようだ。レンがぽつりぽつりと小さい声で何か話しかけている。
ヒソップとフクシアは身の置き場に困って小さくなっていた。
パキラはひとり、静かに中庭を見ていた。
まず最初にそのパキラの前にグラスを置こうとすると、先にレンに出すように言われる。冷たいお茶は本来なら水出しでじっくり出した方が美味しいのだろうが、今回は仕方なく濃い目に出したお茶を氷で冷やした。それでもレンは、さっそくそれを美味しそうに半分程飲み干した。やはり喉が渇いていたのだろう。
皆がぱらぱらとグラスに口をつけ始めた頃、応接の間の扉が叩かれた。
「入れ。」
パキラの声と共に開かれた扉からは三人の戦士と共にネメシアが入ってきた。ヒソップとフクシアが思わず声を上げたが、パキラの御前だということを思い出したのか再び小さくなる。
戦士の中のひとりが前に出てパキラの前に跪いた。
「ご苦労だった。予定通りか?」
「はい。パキラ様の仰った通りでした。」
「で、場所は何処だった?」
「それが…南の外れの古い採掘小屋でして…。」
「そこに居たのは?」
「商人ばかりが十名程。」
「ふん、小者だな。まあそんなに簡単に尻尾は見せまい。犯人どもは?」
「警邏所に捕らえてあります。」
「とりあえずそのままにしておいてくれ。必要に応じて明日会いに行く。」
「畏まりました。」
パキラはゆっくりと椅子から立ち上がると、ネメシアの方へ歩み寄る。
「怖い思いをさせてすまなかったな。怪我は無いか?」
二人の戦士に挟まれたネメシアは言葉が出て来ないようで、ただ首を横に振ると、思い出したかのようにずるずるとその場に平伏した。
パキラは膝を折り、そう畏まらなくともよい、と声を掛けると、こちらを振り返った。
「おいイベリス、手を貸してやれ。」
イベリスが慌てて駆け寄る。戦士たちは一礼して部屋を出て行った。
「もう立ってもいいんだぞ。」
イベリスが声を掛けると、ネメシアはいつもと異なるか細い声で、違うの、と答える。
「皆の顔見て安心したら、腰が抜けちゃって…。」
「なんだよ。いつもの威勢は何処に行ったんだよ。」
「仕方ないでしょう?怖かったのよ。」
「それは…まあ…怖い思いさせて悪かったよ…。」
「謝るところが違うわよ。別に貴方のせいじゃないでしょう?謝らなきゃならないのは失礼な物言いの方よ。」
「おお。早くもいつもの調子が戻って来たじゃないか。良かった良かった。」
イベリスは相変わらず足が立たないらしいネメシアをひょいと抱え上げ、空いている椅子まで運んだ。
「…怖かったのは本当よ。」
そう言ったネメシアの顔にはいつもより血の気が無く、肩が僅かに震えている。
カリンが遠慮しているらしいヒソップとフクシアをネメシアの近くへ連れてゆくと、三人は抱き合って、とりあえずの無事を喜び合った。
その様子を見届けたパキラが、さて、と言うとその場の空気が再びぴんと張り詰める。
「そんなに固くならずともよい。が、そろそろ話をしなくてはなるまい?」
籐で編まれた椅子に腰かけたパキラは僅かに身を乗り出し、両の掌を組んで口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
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