見出し画像

物語の欠片 鶯色の芽吹篇 24

-レン-

 ひつぎの中の人物は、人の形はしているが全体の色彩は薄い黄白色で、まるで陶器でできた人形のように見えた。元の肌の色はよく分からず、髪型と身につけている衣装からポハク族の男であろうことが知れた。年齢は、成人するかしないかというくらいに見えるが、目を瞑っているのと肌がやけに艶めいているように見えるせいで、実際の年齢はどうなのかレンには分からなかった。
「カリン殿」
 柩の淵まで近寄っていたカメリアが、カリンを振り返って声をかけた。
「何でしょう」
「これは、人、なのかしら?」
 カリンに医術の知識があることを期待しての問いだろうが、カメリアのこれまでの行動を知っているレンからすると、やや白々しく意地の悪い問いに聞こえた。カリンはアグィーラに居る時のように感情を抑えた表情で応える。
「わたくしの乏しい知識から申し上げますと、屍蝋化した遺体かと思われます」
「屍蝋?」
 はい、と言ってカリンはレンたちにしてくれたのと同じ説明をした。カメリアは大袈裟な驚きの表情は浮かべなかったが、柩を開けた二人の男たちは驚きの声を発し、気味の悪そうな表情を浮かべた。
「そう。アグィーラでも珍しい種類の遺体なのね? 運べば、引き取ってもらえるかしら。少なくとも良い研究対象になるわよね」
「お約束は致しかねますが、おそらく医局は興味を示すでしょう。しかし、ご遺族は探さなくてよろしいのですか?」
「この衣装はね、随分古いものなの。多分、裕福な家の出だと思うのだけれど、此処にある輪っかは短剣を引っ掛けるための場所。ポハクの貴族の間でほとんどお飾りの短剣の携帯が流行したのは、少なくとも二百年以上は前の話なのよ。もう探している人も居ないでしょうし、顔を判別できるとは思えないわ。それにしても、本当に綺麗に残るのね」
 カリンが次の言葉を発する前に、カメリアは「さて」と呟いた。
「カリン殿の話によると、これはこの保存状態が大切なのよね? どうやってアグィーラまで運ぶか……」
 自分にはあまり関係ないと思って聞いていたレンの耳に、族長の信じ難い発言が響く。
「お急ぎならば、我々が運びましょう。レン、二人で行けるな?」
「え……あ、はい。予備の翼はありませんが、族長と二人ならば行けると思います」
 これでは、カメリアの思う壺ではないのか。カメリアは、このために族長と自分を此処へ呼んだのだろうか。
「あら。それはさすがに申し訳ありませんわ。マカニ族にお願いするにしても、此処からはマカニも近いですし、人をお呼びになれば良いのではありませんか?」
「いえ。私が参りましょう。フィン湖で見つけた新たな利益はポハク族とマカニ族で共有される。ポハク族からの報告は確かに私が受け取りました。さすれば、最も良い形でアグィーラへ提供するのも私共の役目のひとつ」
 ああ、そうか。少なくともカメリアひとりの手柄にはならない訳だとレンは今頃理解する。しかしカメリアは依然として余裕のある表情である。それも想定内であったというように。
「おい、ちょっと待てよ」
 イベリスがかろうじて押し殺した怒りを込めた声で言った。
「あら、イベリス。何かしら? 相変わらずマカニ族と仲良しね」
「父上に無断でこんなことしていいのか?」
「こんなことって? 貴重な屍蝋とやらをアグィーラに引き渡すこと? それともマカニ族に運搬をお願いすること?」
「全部だよ」
「マカニ族の族長様がご了承くださっているのだもの。貴方、族長補佐でしょう? きちんとお父様にご報告してちょうだいね」
「この……」
 イベリスが何か言いかけたところで族長が割って入る。
「イベリス殿、私とレンは柩をアグィーラへ届けたら直接ポハクへ戻る」それから、カメリアに向き直った。「カメリア殿、馬を一頭貸してはいただけまいか。見たところ馬が三頭と荷台のようなものがあった。多少ご不便はかけるかも知れぬが、二頭と荷台があればこちらに居る面々はポハクまで戻れるのではないだろうか」
 カメリアは族長の頼みに対してくすくすと笑いを漏らした。
「ああ愉快。お父様と同等あるいはお父様以上に賢い方にお会いするのは初めてですわ。勿論、柩をお運びいただくのですもの。こちらもできる限りのことは致したいと思います。イベリス、良かったわね。カリン殿と一頭の馬でポハクまで帰るのですって」
「お前な、いい加減にしろよ」
「イベリス殿、急いだ方が良い。パキラへの報告はありのままを頼む」
「あ、はい。あの……族長殿がそう言われるのなら……」
 イベリスはありったけの憎しみを込めたような視線をカメリアに送った。
「馬は俺が勝手に選ぶからな!」
「どうぞご自由に。貴方に乗りこなせる馬がいるといいわね」

 意外と早くにアグィーラの城郭が見えてきて、レンはほっと息を吐いた。さすがに右肩に食い込むロープが気になり始めた頃だった。
 族長は何処までも用意周到で、数本のロープを用意していた。カメリアの使用人たちによって柩の蓋が閉じられた後、先ずは蓋が開かぬように数本のロープで固定された。それから、両側から二人が運ぶのに適当な箇所に別なロープが通され、そのうち二本は族長とレンの胴に括りつけられた。残りの二本はそれぞれが肩に担ぐようにして手に持って飛ぶのだ。この重量のものを二人だけで運ぶのはかなり高度で危険な任務だ。四人でこなす方が均衡も取れて安全である。通常、シヴァは絶対にそのような采配を下す筈だ。しかし、族長とならばなんとかなるだろうとレンは考えていた。それにしても、エルビエントに程近い地点からアグィーラまで約二時限。左側と飛ぶレンにとっては極度に右側に重心を引かれる状態で飛ぶのは容易ではなく、体力が削られる。まだ体力が十分残っている最初のうちになるべく高度を高く取り、緩やかに滑空しながらアグィーラを目指した。幸い、風にだけは恵まれ、緩やかな追い風と上昇気流が味方してくれた。
 族長が直々に運んできた効果は大きく、アグィーラの南門の門番室で族長が書状をしたためると、怪しげな柩と共に到着したにも関わらず、南門からの伝令はすぐに城へと走り、そう時間を置かずに大きな荷馬車がやってきた。馬で送ってくれるというのを断り、族長と二人で歩いて城まで行くと、なんとそこにはシェフレラが待っていた。
「マカニの族長御自ら荷を届けてくださったと聞き、馳せ参じました。この度は大変なご足労をおかけしたことをお詫び申し上げるとともに、心から感謝いたします」
「法務局長をお待たせしたとあらば、南門から歩いてきたのは失策でした。かえってご迷惑をおかけして申し訳ありませぬ」
「いえ、歩いてきてくださって助かったのですよ。私は丁度今此処へ着いたばかりです。さあ、このまま立ち話も何ですから、中へお入りください。ご案内いたします」
 レンも何度も通されたことのある、孔雀の間に案内され、レンには少々柔らかすぎる椅子に腰を下ろすと、全身に疲労を感じた。そのまま椅子に沈み込んでしまいたい誘惑に駆られながら姿勢を正した。考えてみれば今日は朝からほとんど飛びっぱなしである上、昼食の時間はとうに過ぎている。気がついて急激に空腹を感じたところに、二名の官吏が茶と軽食を運んできた。先日から感じていたことだが、シェフレラは気が利きすぎるくらい利く男だと思う。
「お食事も摂られていないのではないでしょうか。ひとまずはこれでご容赦ください。後ほどきちんとした食事を用意させます」
「いえ、これ以上のお気遣いには及びませぬ。こちらで十分有難い。柩の中はご覧になりましたか?」
「いえ、まだ。柩は医局に安置してあります。この後、必要に応じて一緒に参りましょう。医局には、私が来るまで開けないように指示してあります。あ、レン殿、ご遠慮なくお召し上がりください」
「恐れ入ります。有り難くいただきます」
 レンが茶の注がれたカップに手をかけるのを見届けてから、シェフレラは族長に視線を戻した。
「どうぞ族長殿も。……お食事中の話題には相応しくありませんが、中身は屍蝋だとか?」
「ええ」
「何処で発見されましたか?」
「我々が運んできたのはフィン湖という、ラプラヤとエルビエントの境に位置する小さな湖からです」
「我々が運んできたのは、か」
 シェフレラは愉快そうな表情を浮かべた。族長は穏やかな表情のままである。
「ポハク族がそれを発見するところを我々が見たわけではありませぬ。フィン湖に関してポハク族とマカニ族が交わしている協定に基づいて報告を受け、そのまま我々が運んできたというわけです」
「なるほど。正確なご説明、痛みいる。では質問を変えましょう。貴方のお考えを聞きたい」
「私の考えと申されますと?」
「あの柩が発見された経緯。それから、先日の駝鳥の骨の話。貴方の中では繋がっているのではありませんかな?」
 野菜のスープが疲労した身体に沁み渡っていくのを感じていたレンは、すっと背筋が冷たくなる。腹の辺りが温かいことが余計にそれを際立たせた。シェフレラは、ポハクへ行ったわけでもないしパキラの話を聞いたわけでもない。それなのに、持ち込まれた事象から推察するのみで、ほぼ同じところまで到達したというのだろうか。
「私がそれを此処で話せば、マカニ族がポハク族を貶めることになります」
 シェフレラは僅かの間だけ意外そうな表情を浮かべたが、すぐに余裕のある笑みに戻った。それから、満足そうに頷いたのだった。
「ああ。素晴らしい。今日此処で、貴方とお話ができて良かった。直接このように言葉を交わすのは、初めてでしたな。晩餐会でご一緒しても、貴方はほとんどお話しにはならなかった」
「儀礼を欠き、申し訳ありませぬ」
「いえ、全く構いませんよ。またお時間の許す際にお話をしたいものだ」

 シェフレラの許可を得て城の中庭から直接飛び立つと、族長はレンに、ご苦労だった、と声をかけた。
「いえ。族長こそ、僕と同じだけ飛んでいらっしゃる上に、シェフレラ様とのやり取りまで。僕には何が起こったのだかさっぱり分かりませんでした」
「シェフレラ殿は賢いお方だ」
「ええ、それは分かります。でも、今回のことは何処まで理解されているのでしょうか」
「私がアグィーラを訪れた時点で、ほとんどのことは理解されたのだろう。私が訪れた意図も」
「族長が訪れた意図?」
 確かに族長が居たから話は早かった上にアグィーラ側の対応も良かったが、それ以上の意味が込められていたのだろうか。
「ポハクに着いてから話そう。パキラは理解しているだろうが、イベリス殿にも説明しなければなるまい?」
 族長はふっと口元を緩めた。馬鹿にされていると感じたわけではないが、レンは族長に説明を求める代わりに、どうしても言いたくなったことを口にした。
「族長」
「何だ」
「族長は先日、人生の中の戦士の面だけを切り取って良い悪いの判断はできないとおっしゃいました」
「ああ、言ったな」
「それでも、僕はやっぱりまだまだ未熟なのだと思います。族長やシヴァさんに比べて若いからというだけでなく」
「何故、そう思う?」
 青い空に、刷毛で軽く刷いたような薄い雲が流れてゆく。それに沿って流れる風の通り道が、見えるように感じた。
「僕は今まで、自分がどう在りたいかしか考えて来ませんでした。でも、それだけでは足りないということに気がついたのです」
「ほう」
「自分がどう在りたいかだけでなく、自分がどのような世界に生きていたいかを考える必要がある。そうして、そのために自分が何ができるのかを考えなければならいのではないかと、今は思っています」
 族長は返事をせず、突然速度を上げた。
「族長?」
 慌ててレンも速度を上げたが、距離は少しずつ離れてゆく。やがて、族長が振り返って滞空した。
「レン、今日は記念すべき日だ」
「え?」
「私は、アグィーラの上空を飛んだ」
「あ……」
 そうだ。確かに先程、族長とレンは城の中庭から飛び立ち、アグィーラの上空を越えたのだった。これで、アグィーラ王国で族長が飛んだことのない場所が無くなったことになる。
「私が意図したわけではない。それが達成したくて今日アグィーラへ飛んだわけではない」
「ええ、分かっています」
 族長に追いつき、レンも空中で停止飛行をした。停止してから気がついたが、こちらを振り返っている族長の視線の先には、アグィーラが在るのだ。しかし族長の話の流れが掴めない。
「やるべきだと思うことをやっていたら、直接意図しているのとは異なる何かを成してしまうという人生もある」
「はい」
「それが良いことか悪いことか、その解釈は、人によっても変わるが、時とともにも変わる」
「はい」
「つまり、その時思うとおりに行動するしか無いのだ」
「……はい」
「お前はいつでも間違ってはおらぬし、必ず正しくなくともよい。大きな世界にとっての誤りは、大きな流れの中で修正されるであろう」
 言いかけた言葉を、レンは飲み込んだ。
 違う、此処で何を言っても、それは、族長に善悪の判断を委ねることにしかならない。それは族長への甘えだ。シヴァがいつか自嘲気味に言っていた、「自分は族長が正しいと思っているだろう方向にしか動けない」という言葉の意味を、レンは初めて本当に理解した。自分は、自分の正しいと思う道を、自分で進むしかないのだ。
 族長は、言葉を飲み込んだレンに気がついているだろうが、何も言わずにいつもの穏やかな表情で頷くと、そのまま何も言わずにポハクの方角へ進路をとった。レンも黙ってそれに従った。
 今回族長と長く行動を共にしたことで感じた色々のことがぐるぐると頭を巡った。ポハクに着く頃にはきっと夕方だ。あの強烈な西日を、何故か今だけは、見たいような気がした。

***
『鶯色の芽吹篇 25』へ
鶯色の芽吹篇 1へ