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物語の欠片 鶯色の芽吹篇 1

-カリン-

 今年も春楡の花が咲いて、レンは誕生日を迎える。
 一緒に暮らし始めてから六度目の誕生日だ。それが、もう六度目なのか、まだ六度目なのか、カリンはよく分からない。レンと一緒になる前の記憶が薄れたわけではない。自分がアグィーラで厄介者扱いをされていた頃のことは、今も色褪せずに思い出すことができる。
 ただ、それを上書きする程の勢いで様々な出来事が起こり、その度にカリンは、過ぎてしまった時間は良くも悪くも巻き戻らないのだということを知った。マカニでの幸せな日々は「当たり前」にならぬまま、それでもここでの暮らしが大切で、マカニの村も村人たちも大好きで、こんなに幸せで良いのだろうかという気持ちと共に日々を過ごしている。
 春楡の樹が好きなのだとレンがいつか話していた。自分の生まれた頃に花を咲かせる春楡は、自分の生を祝福してくれているように感じるからだそうだ。そういう存在がひとつでもあることの心強さを、カリンもよく知っていたが、レンのその話を聞いた時カリンは、あんなに安定しているように見えるレンでも何かの祝福を必要とすることがあるのだと、当たり前のことを改めて知ったのだった。
 出逢った頃から数えたら、もう十年以上も一緒に居るのに、自分はちっともレンのことを解っていないのだ。それでも自分がレンを必要としていることだけは解る。なんと自分勝手な気持ちなのだろうか。そんな自分でもレンを愛していると言っても良いのだろうか。自分がレンに対して感じる感情が「愛おしい」という感情なのだと思ったことはあるし、以前マオが「それは愛だ」と断言してくれたこともある。しかしマオに言われてそうだと思えたことが、ひとりになると危うい。
 いつだってそうなのだ。ひとりの自分は、とても危うい。
「カリン」
 昼に一度家へ戻ったカエデが、夕方診療所を閉める頃になって再びやってきた。何かあったのだ、とカリンは眉間のあたりに力が入ったのだが、カエデは穏やかな微笑みのまま「族長がお呼びだ」と言った。

 診療所から族長の家までは、翼を使うまでもない距離だ。そもそも最寄りの第四飛行台が族長の家と反対方向なので、マカニの村を下ることになる。カエデも、家と診療所の行き来はいつも徒歩である。カエデと並んで歩きながら、カリンは族長が自分を呼んだ理由を尋ねる。
「さあ。特に要件は仰っていなかったよ。ただ、昼間にホオズキさんがパキラ様からの書簡を運んで戻ってきたから、もしかしたら関係あるかもしれない」
 軽く首を傾げながら答えるカエデの表情を、カリンはそっと観察する。カエデは無駄なことは話さないし、感情もあまり表情に出ない方だが、族長のことに関しては、時折表情が揺れることがある。カエデは族長の変化によく気がつくから、いつも通り穏やかなカエデの表情を見て、カリンは漸く族長の家へと駆けていきたい気持ちを抑えることができた。
「あ、レンとシヴァさん」
 太陽はすでに向かいの峰の向こうへ姿を隠していたが、夕焼けの色に染まった空の中、二組の翼が無駄の無い軌道で高度を下げている。藍色と真紅の翼は見間違いようがなかった。
 きっとあちらもカリンたちの姿に気がついているだろう。カリンはカエデに目配せだけして、カエデが頷くのを確認すると、族長の家への道程から少し外れた第五飛行台に向かって駆け出した。
 カリンが第五飛行台に到着するのとほぼ時を同じくして、レンとシヴァが音も無く飛行台へ着陸する。カリンが大きく手を振ると、二人は片手を挙げて挨拶を返した。
「おつかれさま」
「カリンが族長に呼ばれているってことは、何かあったのかな?」
 レンは誰にともなく呟く。
「どうだろうな。ただ単に、たまには夕飯を食べてゆけ、という話かもしれない」
 カリンは、戦士のリーダーという責任のある立場を務めながらも軽やかなシヴァの物言いが好きだ。決して羽目を外すのではないが、相手を緊張させない、余計な力の抜けた言葉に思わず、ふふふと笑みが漏れた。
 レンとシヴァの視線がカリンの後方へ動き、カエデが追いついたのだと知れる。
「おつかれさま」
「カエデもおつかれ。素晴らしいタイミングだったな」
「たまたまだよ」
「カエデさんのたまたまは、頻度が高すぎるよね」
 レンが可笑しそうに肩を揺らす。
 何でも無いようなこのやり取りに、カリンはいつも大きな幸せを感じるのだった。大好きな三人と、大好きな族長の家を目指して歩く。自分は、此処に居ることを許されているのだと感じる。相変わらず、許してもらえないとそこに留まることすらできない不安定な自分。それでも、マカニが好きな気持ちに変わりはない。

 ホオズキはすでに帰宅しているらしい。カエデはそのままの流れで皆を招き入れると、族長は奥の部屋に居る、と告げ、自らは定位置である玄関脇の部屋へ足を向けた。
 族長は奥の部屋の、自分の机ではなく、今は火の点いていない暖炉脇の応接用の椅子に腰掛けて書物を読んでいた。目の前の小さなテーブルにはパキラからのものだろうか、書簡が置かれていた。
 シヴァが、族長の意図を汲んだかのように真っ直ぐに応接用の椅子に向かったので、カリンとレンは後に続く。
「今日は特に変わったことはありませんでした。……拝見しても?」
「マカニが落ち着いていて何よりだ。そなたらに見られてまずいことは何も書かれていない。パキラもおそらくそのまま伝わることを望んでいるだろう。先ずは座って、順に読むが良い」
 カエデがお茶を運んできたのは、ちょうど三人が順に書簡を読み終えた後だった。
 それは不思議な書簡だった。
 少し癖があるが何かの意匠を思わせる美しい文字で綴られたそれには、次のようなことが書かれてあった。
 ポハクの死の砂漠で大量の駝鳥だちょうの骨が見つかった。
 見つかった骨を組み立てて正確な数を数えたわけではないが、頭蓋骨の数を数えたところ三百以上あるらしい。
 ポハクに駝鳥が居ること自体はおかしなことではない。駝鳥は元々砂漠や乾いた草原に生息する鳥であるし、ポハクでは昔から食用にしたり、羽を使った装飾品を交易品のひとつとして商いをしている。
 しかし、数が問題だ。商魂逞しいポハク族は文字通り骨まで利用し尽くす性分であるため、骨の処理の仕方や利権の在処まで決まっている。いつの時代のものかまでは調べきれていないが、最近のものではないのではないかというのがパキラの推測だ。そうだとしたら、一体誰が何のために、ポハクの死の砂漠に駝鳥の骨を遺棄したのか。
 考える過程で、駝鳥は飛べないが一応「鳥」であるということに思い当たり、関連しそうな文献を調べたところ、遠い昔、マカニ族が駝鳥を「鳥馬」と呼んで陸上の移動手段にしていたことが分かった。それで、もしかしたらマカニ族側から探れば何か分かるかも知れないと考えて族長に書簡を送ったそうだ。
「翼を持たぬ時代に駝鳥を使っていたことは知っていたが、残念ながらすぐに思い当たる理由はない。それで、マカニの歴史書をあたっていたわけだが、特に詳しくは書かれていないな」
 三人が読み終えると、族長は手にしていた分厚い書物を見せながら語った。
「以前マカニ族が共に暮らしていた駝鳥がポハクとの交易品だったのか、それともマカニで育てたものなのかも触れられておらぬ。そのくらい、当時のマカニ族にとっては当たり前のことで、わざわざ書物に記す程でもなかったのであろうな」
 しかしある日突然、マカニ族は王家の迫害に遭い、鳥と共にある暮らしを根絶された。それ以前から在った書物はほとんどが焼き払われてしまった。だからといって、その後しばらくは何かを書き残す余裕もなかっただろう。自分たちの暮らしを立て直すことで精一杯だった筈だ。言うまでもなく、駝鳥単体について記すなどということは、それが余程大切なことでない限りしなかっただろう。族長が見せてくれた歴史書も、後世のマカニ族が記したものだが、その頃には昔の経緯など失われていたに違いない。カリンは以前興味を持って少しだけ見せてもらったことがあったが、昔の記録は、アグィーラの図書室で読んだ各地方の歴史と大差なかった。おそらくアグィーラの図書室の歴史書を参考に書き起こした物だろう。当時のカリンは単純に、マカニ族には歴史を記録するという習慣がなかったのだと考えていたが、それは無知故のことだった。
「ポハクへ行かれるおつもりですか?」
 シヴァの族長への問いに、カリンははっとする。レンも驚いたような表情でシヴァと族長を交互に見ていた。
「理解が早くて助かる」
「古い歴史の話ならば、族長以上にご存じな方はマカニには居りません。 族長間に伝わってきた知識も含めて。それなのに、カリンを含めた我々をお呼びになった。最初はレンとカリンをポハクに行かせるおつもりかと思いましたが、それにしてはすっきりと結論が出ているようでもありません。一度相談するかのようにパキラ様の書簡を我々にお見せになったのは、ご自分で行かれるおつもりなのかと考えました」
「勿論、レンとカリンも一緒だ。シヴァ、お前に留守を頼みたかった。少し、気になってな」
「畏まりました。いつ発たれますか?」
「明日、パキラに書簡を立てる。そのまま返信をもらってくるにしても、あちらにも都合があるであろうから五日後くらいが良いであろう」
 共に来てくれるか、と尋ねる族長に、カリンとレンは揃って快諾の返事をする。断る理由など何処にも無かった。
 イベリスとは、新年式で会って以来会っていなかった。ポハクへ行くのも久しぶりだ。ネメシアは元気だろうか。
 族長が何かを気にしている風であることが気にかかりながらも、カリンの気持ちは、真夏よりはまだましであろうポハクの熱い陽射しを受ける町並みへ飛ぶのだった。



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鶯色の芽吹篇 2

この物語は、長い長い物語の一片である。全体像はこちら▼