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物語の欠片 鶯色の芽吹篇 2

-レン-

 夜陰に紛れて飛ぶと言うことをしたことがない、というわけではない。
 しかし、ポハクに行く時にそれを実践するとは思っていなかった。エルビエント以外の領地に人目を忍んで潜入しなければならないという状況は、レンにとって想像以上に後ろめたい気持ちを感じさせた。それが仮令たとえポハク族族長パキラからの要請であってもだ。
 パキラからの、ポハク来訪を歓迎する旨の書簡には、「ただし他のポハク族に知られずに来て欲しい」ということが書かれてあった。夜の闇に紛れ、正門を通らず直接パキラの館の裏手に降り立って欲しいというのだ。パキラの館を警護する戦士には伝えておくとのことだったので、そこは心配する必要はない。パキラの館の裏側はポハクの町を囲う高い壁に囲まれていて、空を飛ばない限りは越えるのが難しい構造だ。つまり、レンたちにはそちら側の壁を越えて館へと着陸すれば良い。レンの記憶にある限り、そちらにはあまり広くない裏庭があるだけだが、着陸するには問題ないだろう。
 レンの翼は深い藍色、族長の翼は漆黒。闇に紛れるならばこれ以上の色は無い。そして二人とも髪の色は黒だ。それでも、念の為マカニ族の白い肌を隠すために黒い衣装のフードを被っている。レンの背中に乗るカリンも全体的に黒い衣装を纏い、銀髪を隠すために髪を小さく結い上げてフードを被っていた。
 夜の空から眺めるポハクは、一部に夜市が立っているらしく、小さいがかなり明るい光がその存在を主張していた。おかげで方角に迷うことはなかった。冬は夕方には店仕舞いしてしまうので、これは初夏から夏にかけてならではのことだ。日中のポハクは冬でも十分暑いが、冬の夜は寒い。乾燥しているから雪こそ降らないが、気軽に出かけられる気温ではなかった。
 夜市の明かりを頼りに飛び、少し手前で硬度を落とす。町の一部が明るいおかげで、裏手から闇に紛れて潜入するには都合が良かった。
 無事にパキラの館の裏庭に着陸すると、そこにはイベリスが待っていた。
「よう、おつかれ」
 族長が一緒に居るにも関わらず、イベリスは先ずいつも通りの笑顔を見せてから、族長に頭を下げた。
「わざわざご足労いただきありがとうございます」
「いや。イベリス殿こそ御自らお出迎えとは申し訳ない。息災そうで何よりだ。パキラは?」
「中で待っています。俺は、待ちきれなくて出てきただけです。父上には落ち着きがないと呆れられました」
 イベリスはそう言いながらカリンに近づき、カリンが笑顔を浮かべて「久しぶりね」と言うなり、その身体をきつく抱きしめた。
「会いたかった」
「それ、わざとやってるだろ」
 レンは溜息をついて見せる。カリンはイベリスの背中に自らの腕を回して柔らかく抱擁を返しながら笑っていた。
 一見、いつも通りのやり取りに見える。しかし、族長がポハクへ行くと言い、パキラが他の者に姿を見られないようにと言うからには、おそらく何かが起こっているに違いない。イベリスはそれに気がついていたとしても、この場ではいつも通りのやり取りしかしないだろうとも思った。

 パキラはいつもの応接の間で待っていた。植物で編んだ椅子にもたれるようにして本を読んでいたが、扉が開くと同時に身を起こして立ち上がった。
 傍の小さなテーブルには酒器が並んでいるが、どうやら手をつけてはいないようだ。
「夜分に済まなかったな。いつもより気を遣った分、疲れただろう?」
 パキラは族長に近寄り手を差し出す。族長がその手を取って握手を交わす際、二人の視線が一瞬交差してすぐに離れた。その後、両者の手は不自然ではない程度の時間を置いてから離れる。
「いや、突然ポハクを訪れたいなどと申し出たのはこちらだ。無理を言ったならば申し訳ない」
「お前のせいではないさ。あんな意味深な書簡を送った俺が悪い」
 パキラはにやりと笑って酒器を指さすと、とりあえず飲もう、と言った。
「待たせていたようだな」
「ああ、待っていた。夕食は? 食べてから出てきたのか? もしまだならば何か準備しよう」
「夕方に軽く済ませてから出てきた」
「ではつまみ程度で十分だな」
 パキラが言うと、イベリスが心得たと言う風に頷いて部屋を出て行こうとする。カリンが手伝うと言って後を追ったので、レンは迷った。二人について行って族長とパキラを少しの間二人にすべきか、それとも残るべきか。思わず族長の顔を見ると、族長の代わりにパキラが笑って口を開いた。
「レン殿、ありがたいが気遣いは無用だ。エンジュと二人で語りたければまだ夜の時間はある」
「あ、いえ……」
 なんと答えたら良いものやら困っているうちに、カリンとイベリスの出て行った扉が閉まった。
「カリンとイベリス殿を二人きりにする方が不安か?」
 族長までが珍しく冗談めいた発言をしたので、レンはとりあえず自分の選択が誤りではなかったと思うことにした。
「いえ、それは大丈夫です」
 レンの答えを聞いて再びパキラが声を出して笑った。
「イベリスは歯牙にもかけられていないな。……レン殿もカリン殿も息災か?」
「はい。ありがたいことに大きな問題も無く過ごしております」
「相変わらず方々でご活躍と聞くが、お二人とこうして偶に無事でお会いできることが何よりだ」
「気にかけていただき、ありがとうございます」 
 ポハクの様子を尋ねたら核心に入ってしまいそうだったので遠慮したが、そこはレンより余程心得ているパキラのこと、当たり障りなく、それでも無駄な話ということはない絶妙な話題でその場を繋いでくれた。
 そうこうしている間に賑やかな声……主にはイベリスの声だったが……が聞こえてきて再び扉が開く。
 カリンとイベリスはそれぞれ盆をひとつずつ携えて戻ってきた。
 乾燥させた果物、塩とレモンで味付けされたナッツやスパイスで味付けされたナッツ類、焼いた茄子とドライトマトをオイル漬けにしたもの、豆のペーストと薄くスライスされた硬めのパン、干し肉など、ポハクなのかパキラの館でなのか、レンとカリンが滞在する時にもイベリスがよく用意してくれる定番のつまみだ。
「豪華だな」と族長が目を細める。
 パキラの隣に族長が、低いテーブルを挟んでレンたち三人が自然に席を取ると、何も言わずにパキラが葡萄酒の瓶に手をかけた。
「一本じゃ五人分になりませんね」
 にやりと笑ってイベリスがもう一本の葡萄酒の栓を抜く。
 その関係性を、レンはいいなと思った。羨ましいとは違う。イベリスとパキラが築いてきたこの関係が、ただ素直にいいな、と感じたのだった。イベリスはまだ完全にパキラに対して遠慮が取り払われたわけではないようだが、会うたびに開かれていっている気がする。
 ひとしきり乾杯が済むと、パキラはおもむろに「一応来意を尋ねようか」と言った。族長は口元に笑みを浮かべてパキラの顔を見る。
「普段のパキラならば、自分で調べられるところまで調べてから私に連絡を寄越すだろう。そうではなく、正確な骨の数も、時代も、自身の推論も無く書簡を寄越すのは、余程緊急を要する話であるのか、あるいは他の意図があるに違いない……つまりは、呼ばれたのだと思ったのだが違ったか?」
「まあ、当たりだ」
 パキラは満足そうに笑って杯を干す。間を開けずにイベリスが空いた杯を満たした。
「何故、そのような回りくどいやり方をした?」
「お前よりも楽観的に見える俺だって、それ程楽観的にはお前に頼れないのさ。一応、族長だからな」
「素直に力になって欲しいと書けば私の枷になると思ったか」
 族長は最初から解っていたのではないかとレンは思う。それでもわざわざ尋ねたのは、パキラの口から語らせたかったのか、この場に居る皆に聞かせたかったのか。おそらくは後者だろう。族長とパキラの二人であるならばその辺りは語らなくても、この心のこもった歓待の様子で伝わるものなのかも知れない。
 パキラはやや芝居がかった動作で族長に向かってグラスを傾けて見せた。
「ある種族の族長が別の種族の族長に助けを乞う。そのことで色々邪推する者は多い。ポハクの内部の者から見たら不甲斐ない族長と映るだろう。アグィーラを含むそれ以外の種族から見ればポハクとマカニの結託だ。物理的に書簡は破棄出来ても、そのような書簡をしたためた事実は消えない」
「その事実を隠すためには私に書簡を破棄させなければならぬし、偽りを強要することになる、か」
「さて、俺にそこまでの考えがあったかどうだか。ただ、素直に頼るのが悔しかっただけかも知れない」
 まあ飲めよ、とパキラは族長に次の杯を促す。
「今夜のお前は脈ありだな」
「何の脈だ」
「とっておきの鉱脈だ」
 イベリスがそっとレンに身を寄せ、父上はすこぶる機嫌がいいらしい、と囁く。そのイベリスも機嫌が良さそうな表情だった。これが、単に親交を深めるために訪れただけならば良かったのに、とレンは思ったが、そう思った矢先に、ついに族長が本題に切り込んだ。
「それで、何が起きている?」
 パキラは小さく溜息をつき、穏やかな時間に未練が残っているかのように薄く笑った。
「先を急ぐなよ……と言っても、族長であるお前をそう長く留め置くわけにもいくまいな」
「いや、マカニはシヴァに任せておけば大丈夫だ。ただ、問題の大きさが分からぬ故、私としても身の置き方が決まらぬ。それに、マカニ族の族長が此処に長居して困るのは、寧ろお前の方ではないのか?」
「俺自身は全く構わんのだがなあ」
 仕方が無い、と言い、パキラは時を区切るかのように杯を干した。そして、瓶が空であることに気がついたイベリスが慌てて次の瓶の栓を抜こうとしている動作を眺めながら語り始めた。
「役所に、ポハクからマカニへ移住するにはどのような手続きが必要か、という問い合わせがあったそうなのだ」
 話は意外なところから始まった。
 レンはカリンと顔を見合わせた。イベリスはおどけた表情で肩を竦めている。族長は、じっと考え込むようにパキラの顔を見詰めた。
 僅かに開かれている大きな窓から、初夏のポハクの涼やかな風が、場違いに清らかに部屋に入り込んできた。
 昼間のポハクでは考えられないその涼しい風が、今は夜なのだということを改めて感じさせた。


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鶯色の芽吹篇 1