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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 5

-カリン-

 族長の部屋へ行くと、いつもどおりの穏やかな表情の族長と、少し厳しい顔をしたシヴァと、全身ずぶ濡れで頭から布を被っているので表情の見えないスグリとが居た。
 レンは居ない。
 族長が呼んでいるから診療所は代わろうと言った時のカエデの表情から、あまり良くない話題だとは思ったが、レンの不在が一気にことの重大性を際立たせる。
 レンは?
 しかしカリンはそう訊くことができなかった。
「お待たせしました」
 わざとらしくない程度の笑顔を浮かべてそう言うと、族長は急に呼び立てたことを詫びて、応接用の椅子を勧めた。
「遠回しに言っても仕方がないから率直に伝える。訓練中に落石の事故があって、レンの行方が分からなくなった」
「行方が……分からない……?」
「イカルの滝との合流地点よりやや上流の岩場を渡っている最中、大きな落石があって不幸にもレンを直撃した。レンはそのまま谷川へ落下したそうだ」
 谷川へ……落下? カリンはずぶ濡れのスグリに目をやった。レンを助けようとして川に入ったのだろう。
「すまない。間に合わなくて……助けられなかった」
 まだ布を被ったままのスグリの顔は蒼白く見えた。
「スグリは先にセージを助けるのを優先したと聞いている。間に合わなくても仕方がなかったと思う。他の誰もが咄嗟に動けなかった。不幸な事故だったとしか言いようがない。それに、まだ助からないと決まったわけではない。レンは優秀なマカニの戦士だ。自力で危機を切り抜けている可能性の方が高いであろう」
「今、谷川沿いを皆に探させている。必ず見つけ出してみせる」
 普段は不確実なことは言わないシヴァだが、この時ばかりは言葉に祈るような切実さが滲んでいた。
 カリンは、上手く状況が理解できなかった。言葉では理解しているのだが、レンが居なくなるとはどうしても考えられなかったのだ。
「私は……レンを信じています。……あ、そうだ。以前レンが切り通しで遭難した時、私、森の主様にお願いしたのを思い出しました。レンを助けたいって。そしたら、切り通しの場所を教えてくれた。今回ももしかしたら……」
 カリン以外の三人は互いに顔を見合わせる。族長が代表するように、試してみよう、と答えたが、三人の表情は、強く期待することを自制しているように感じられた。
 あの時は第二飛行台だった。
 何となく外の方が森の主に近い気がして、族長の家のすぐそばの第五飛行台の先端まで行く。つい先日此処で、ワイへ飛び立つレンを見送ったばかりだった。あの時のレンの軽やかな表情。
 カリンの不安をよそに、レンは無事に戻ってきた。そして今朝カリンは、何の不安もなくレンと別れたのだった。自分の感覚の、何と当てにならないことか。
 そんなことを考えながらその場にひざまずいて祈る。
 主様、お願い。レンが居なくなってしまったの。レンを助けたい。力を貸してください……。
 カリンの身体は緑の光を湛えた。
 しかし、暫く経ってもカリンの頭には何の映像ももたらされなかった。
 レンは危機的状況に無いことを森の主が知っているのか、それとも森の主の力の届かない所に居るのか、あるいは……すでに生きてはいないのか。
「……ごめんなさい。駄目……でした」
 謝るカリンの頭を族長が撫で、立たせてくれた。
「謝ることはない。誰も何もできないのだ。それよりそなたは大丈夫か?」
「私は……まだ、よく分からないのです。レンが居なくなる気がしません。きっと何処かで生きているのだと信じて待ちます。主様の力を借りられないのならば、翼の無い私にできることは……待つことしか……」
 スグリがカリンと族長の横を抜け、飛行台から飛び立とうとするのをシヴァが呼び止める。
「何処へ行く?」
「俺はひと言カリンに謝りたくて待ってたんだ。目的は果たした。どうして助けてくれなかったのかと泣いてなじられる方がずっとましだったがな。……もう此処に居る理由は無い。俺もレンを探しに出る」
「待て。お前は今日はもう家に戻れ」
「はあ? 何を言っている? そんなことできるわけがないだろう」
「今お前を野放しにしたら、どんな無茶をするか分からない。ひと晩頭を冷やせ。それに、お前はもう今日は十分動いた。身体も休めておけ」
「お前なあ。レンは今日だって途中まで訓練した上で事故に遭ってるんだぜ? 今も何処かでマカニへ戻ろうと頑張っているのかもしれない。どうして俺だけ休める?」
「気持ちは分かる。俺はこの後も夜通し捜索につき合うつもりだ。今晩中に見つからなければ明日はアルカン湖を攫う。下流まで流されていた場合は直接マカニへ戻らずアグィーラへ向かっている可能性もあるから、そちらへも捜索の範囲を広げる。さすがの俺も連日は無理だ。明日はお前と交代したい。だから、今日は戻って休め。レンが見つかるまで俺と交代制だ。いいな?」
「……見つかるまで、俺は諦めないぞ」
「俺もだ」
「……ならいい」
 そう言ってスグリは飛行台から飛び立った。シヴァがそれ以上何も言わなかったということは、スグリはおそらく言われた通りに家へ戻るのだろう。しかし休めと言われて休めるものだろうか。
「私はまだ実感が無いのだけれど、スグリさん、心配だね」
「スグリも優秀な戦士だ。それなりにきちんと休むさ。……それよりカリンは明日からアグィーラじゃなかったか?」
 カリンはシヴァに言われて初めてそのことを思い出した。
「あ。そうだった」
「どうする?」
「……明日の朝までにレンが見つからなければ、予定通り行くわ。アグィーラにはヨシュアさんも居るし、ひとりで此処で待つよりも、アグィーラで忙しくしていた方が気が紛れるかもしれない」
「そうだな、ヨシュア殿が居てくれると心強い。レンが見つかったら、必ずすぐに知らせをやるから」
「ありがとう」
 族長も、カリンの判断に同意を示すように頷いた。

 診療所へ戻る前にミントとスミレの食堂へ寄ろうと思ったのだが、診療所の前には噂を聞いて心配した村人たちがカリンの帰りを待っていた。カリンの姿を見ると、マオが近づいて来る。
「カリン、大丈夫?」
「うん。……あれ、シュロは?」
「マーガレットさんの所で預かってもらってる」
「ごめんね。シヴァさん、今夜戻らないって」
「それくらい、いいのよ。それより早くレンが見つかるといいわね」
「うん」
 見つかることを前提に話してくれるのが有難かった。
 聞くと、手が空いている人々が食堂と診療所に半々に集まっているらしい。折角せっかくなので、カエデに一声掛けてから皆でぞろぞろと食堂へ向かった。
 ミントは何とか持ちこたえているようだったが、スミレは心配する村人の輪の中で泣き崩れていた。しかしカリンの姿を見ると、弾かれたように立ち上がって駆け寄ってくる。
「カリン! ねぇ、あの時みたいにレンを助けて。貴女ならばできるでしょう? お願い……」
「おい、よせよ。カリンだってつらいんだ」
 すがるように言うスミレを、ミントがなだめる。
「ごめんなさい……さっき族長様の所で試したのだけれど、今回は駄目だったの。私には……何もできない。私には翼もない。シヴァさんたちにお願いするしかないの」
「いいんだカリン。すまなかった。俺たちは翼があっても何もできない。下手に探しに出て俺たちに何かあったら、余計に迷惑をかけることになる」
 言葉とは裏腹に明らかに落胆した様子でミントが言い、スミレは、再びその場で泣き崩れた。
「私はレンを信じている」
「俺たちだって……信じてるさ……」
「うん。ごめんなさい。そういう意味ではない。……あのね、私明日からアグィーラへ行くことになっているの。予定通り行くわ。でも、レンのことを諦めたわけではない。信じているから行くの。レンはきっと、自分の力で戻ってくる。私、レンが居なくなる気がちっともしないの。可笑しいでしょう? 予知夢を見ていた頃はあんなにもレンが居なくなることが怖かったのに、現実にこんなことが起こった今、ちっとも居なくなる気がしないの。私の感覚なんてまるで当てにならないのだけれど……」
 カリンの肩をマオが抱いた。スミレは、ミントに抱えられるようにして、元居た場所に戻っていった。食堂ここでも、自分にできることは何も無い。それならば、マカニに居ても皆に心配をかけるだけだ。やはり、予定どおりアグィーラへ行こう。
 宿屋のマリーが、今日はうちへ泊らないかと誘ってくれ、マオもそれを勧めた。本当は自分でも誘いたかったけれど、シュロにレンのことを伝えてないからできないのだという。
 二人の気持ちはとても有り難かったが、結局その誘いはアグィーラへ行く準備があるからと言って断った。

 ひとりで診療所へ戻ると、カエデがお茶を淹れてくれた。こんな時、カエデはカリンに大丈夫かと尋ねたりはしない。
「……やっぱりカエデさんのお茶は美味しいな」
「それは良かった。今日も忙しかったな。……ああ、でも、ツワブキさんの骨は心配していたよりは良さそうだよ」
「そう。良かったわ。歳が歳だけに心配だったから……。あ、カエデさん、私、明日から予定どおりにアグィーラへ行くね」
「そうか。ヨシュア殿によろしく伝えてくれ。お茶、持っていくか?」
「うん。そろそろ前に持って行ったのが無くなりそうだから」
「それならば帰りに家に寄るといい。なんなら、夕飯を一緒に食べて行かないか? 族長もきっと喜ぶ。帰りは家まで送るよ」
「ありがとう」
 自分でも不思議なことに、カエデの誘いは素直に受けてしまうのだった。
 そしてカリンにはひとつ気がついたことがある。
 今回カリンは、まだレンの不在を現実的に受け止められなくて、大きく取り乱してはいない。レンを信じて待つという言葉にも嘘は無かった。
 しかし、少しずつ、ゆるやかに、足元が崩れ始めているのを感じる。
 少しずつ、子供の頃の自分に戻ってゆくような、他人の好意がよく分からなくて、他人の気持ちをどう受け取ったら良いのか分からくなってゆくような……。ひとりに、戻ってゆくような。
 此処はマカニなのに、自分の居場所が無いように感じた。
 しっかり、しなくては。
 そんなカリンに、カエデは穏やかに微笑みながら告げた。
「今日は早めに診療所を閉めよう。私の手伝いはいいから、族長とゆっくり話をするといい」

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