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物語の欠片 緋色の山篇 20

-カリン-

 レンとポハクの町の入口で別れてパキラの館を訪れると、イベリスは未だ採掘の仕事から戻っていなかった。カリンは応接間でパキラと二人で向かい合っている。パキラと二人きりで話をするのは久しぶりだった。
 パキラはマカニの族長の一番の理解者だとカリンは思っている。だからだろうか、アキレアやエリカと話をするのとは違った親近感があった。
 開放感のある応接間には、いつも通り明るい光と心地よい風が入ってくる。ふと、この応接間はパキラそのもののようだと感じる。館の外は容赦ない日差しが照りつける昼間のポハクだ。それなのに、ここはこんなにも穏やかだ。
 カリンはパキラの人生にどれほど大きな葛藤があったかを知っている。自分が暴いてしまった過去だ。それでもパキラは表面上、いつも安定しているように見える。マカニの族長とはまた違ったやり方で、一緒に居る者を安心させる何かがあった。勿論それはカリンの感じ方であって、アキレアのようにパキラと居ると落ち着かない人も居るだろう。つい昨日のアキレアの様子を思い出して可笑しくなる。
 そうだ、あれはまだほんの昨日のことなのだった。既にフエゴでの出来事が急激な過去になりつつあることに驚く。まだ完全には終わっていないというのに。
 「エンジュはどうしている?」
 給仕係がお茶を置いて出て行くと、パキラは来意を尋ねもせずそう訊いた。本題はイベリスが戻ってきてからだと考えているのかもしれない。
 「族長様は…相変わらずです。」
 本来他の種族の族長と話をする際には自らの族長に敬称をつけるべきではないのだろうが、相手がパキラだとついいつもの呼び方になってしまう。パキラもそれを気にする様子はない。
 「だろうな。とりとめのない訊き方になってしまって申し訳ない。…そうだな。あいつは、以前より少しは楽になっているのだろうか。いや、これでもとりとめがないか。以前とはつまり…いつだろうな。」
 自分で言っていて可笑しくなったのかパキラが笑ったのでカリンもつられて笑う。パキラの言いたいことは何となく分かった。
 パキラはおそらくずっと以前から族長の過去を気にしていたのだ。その真相が初めてパキラに語られたのは金色の馬の事件の時だっただろう。
 意に添わぬ婚姻をさせられた上、本当に愛した女性を自死に追いやってしまったことを後悔し続けているパキラ。イベリスを失わずに済んだことはせめてもの救いになっているだろうか。
 一方の族長は、自ら望んで一緒になった妻を、そのせいで最終的に追い詰めてしまったと後悔し続けている。
 似ているようで微妙に異なる二人の苦悩。
 そんなカリンの心中を察したようにパキラは口を開く。
 「俺はな、カリン殿。もう随分すっきりしたのだ。」
 「それは、オアシスでシュンラン様にきちんとご挨拶ができたからですか?」
 「ああ、それも大きい。もう、シュンランが戻ってこないことがはっきり分かったからな。後ろを向いていても仕方がない。シュンランにはきちんと謝った。まあ元よりそれでどうこういうような女ではなかったが、俺の気持ちの問題だ。それに、イベリスは残った。イベリスはシュンランにとって最後の希望だったはずだ。今俺がすべきことは、イベリスがなるべくしあわせに生きる手伝いをすることくらいだな。…などということはあいつの前では口が裂けても言わないが。」
 「ふふ。イベリスにはきちんと伝わっていると思います。」
 「そうか。…しかし、そう。だから、エンジュなのだ。あいつはまだ暗い場所に居る。」
 「…はい。」
 「俺は少し怖いのだ。エンジュはマカニの村に生かされているように思えてならない。族長でなくなったらあいつは…。」
 それはカリンも考えていたことだった。ずっと恐れていたことだった。しかし、そう思うことが恐ろしすぎて、ずっと心の奥に押し込めていたものだ。自ら命を絶つようなことはしないかもしれないが、皆の目の前から居なくなってしまうような気がする。何処か、誰も知らない場所で静かに過去の過ちと…族長が過ちだと思っていることと向き合いながら、苦しみの末に独りで生を終える気なのではないかと思えてならないのだ。
 あの、昏い昏い湖の底のような場所で。
 そのことを思うとカリンは息ができなくなる。自らも昏い湖の底に居るような気持になるのだった。
 ふっとパキラの指が肩に触れたので、カリンは我に返った。
 眼からは涙がこぼれていた。
 すまない、とパキラが謝る。
 咄嗟に声が出せず、カリンは黙ったまま首を横に振った。そのまま、気持を落ち着けるためにわざとゆっくりとした動作で涙を拭う。
 目の前にあったお茶をひと口飲むと漸く心が鎮まった。
 「取り乱してしまい、失礼いたしました。」
 「いや。…カリン殿も同じことを考えていたのだということが分かった。俺の方こそすまなかった。カリン殿は俺よりもずっとエンジュのことを想っておられるし、理解もしている。気持ちが大きく乱れるのも仕方がない。」
 「いえ。今回パキラ様と気持ちを共有させていただけてとても有り難かったと思っています。」
 「そうか。」
 「わたくしはマカニの族長様に救っていただきました。子供の頃族長様にお会いしていなければ、今のわたくしはおりません。ですから、わたくしも少しでも族長様のお力になりたいのです。」
 「カリン殿は今、お幸せか?」
 「はい、とても。」
 「それでエンジュの役目はひとつ終わった。」
 「え?」
 訊き返しながらも、カリンはパキラの言わんとするところが理解できた。族長はそうやってひとつずつ、身の回りにある誰かの不幸を終わらせているのだ。それは族長の中で自分の役目がひとつ終わることに等しい。肩の荷が下りるのではない。役目が終わるのだ。族長自身の背負っている重荷は全く減ってはいない。
 昨日ホオズキに族長補佐の役割を提示したことで、族長はまたひとつ役目を終えた。
 カリンが理解したことを察したのか、パキラはそれ以上の説明をしなかった。その場の沈黙が、二人が同じ気持であることを表していた。
 急に空が暗くなり、驟雨しゅううの気配が漂う。パキラが立ち上がって中庭に面した大きなガラス窓を閉めると同時に激しい雨がその窓に打ち付けた。砂漠であるラプラヤにとっては恵みの雨でもあるが、今のカリンの心には、族長の決して流れることのない涙に思えてならなかった。
 パキラと二人、そのまま沈黙の中で雨の音を聴いていると、足音がして応接間の扉が開いた。
 「よお、カリン。すぐ着替えてくるからちょっと待っててな。」
 突然の雨でずぶ濡れのイベリスの顔が覗く。雨に濡れながらも明るい太陽のような笑顔に、カリンは救われた。
 ノックもせずにあいつは、と苦笑するパキラの顔も先程よりは明るかった。

 「とりあえず明日の朝一で鉄鉱石の採掘坑に行ってみよう。」
 話を聞き終えて何か考えているパキラの代わりにイベリスがカリンに向かって言った。
 「イベリスは鉄鉱石の担当ではないのでしょう?勝手に石を掘り出してしまって大丈夫?」
 「知られたらまずいことをしていなければ事後承認で大丈夫だろう。俺から親方に話しておく。何も利益を横取りしようってわけじゃないんだ。…父上、それで構いませんよね?」
 それでもパキラが返事をしないので、イベリスは肩を竦めて見せたが、先程パキラの過去を思い出していたばかりのカリンは、その様子を嬉しい気持ちで眺めた。イベリスがパキラのことを父上と呼べるようになるまでにあった数々の困難を思う。族長とカエデの間にも、いつかそのような日が訪れるのだろうか。一緒にしてはならないと思いつつもそう願わずにはおられなかった。
 「イベリス、ラバテラをここに呼べ。すぐにだ。ただし騒ぎにはするな。内密にな。」
 「親方を?」
 「あいつは信用に足りる。」
 「それはそうですが…父上はまた無茶を言う。」
 そう言いながらもイベリスは素直に部屋を出て行った。幸い雨はもう止んでいるようだ。
 以前ポハクで謀反が起きた際、パキラを心から慕っているという者が十名ほど避難先のマカニまでやってきたことがある。ラバテラもその中のひとりだ。イベリスも慕っているようだった。
 イベリスは程なくラバテラを伴って戻ってきた。急な呼び出しに緊張を隠せない様子だ。
 「急にすまなかったな。早速だが、鉄鉱石発掘の体制を組んでいるのは誰だ。それから発掘経路の決定。」
 「…鉄鉱石についてはどちらも、エルダーに任せています。私が関わっているのは隊をまたぐ人事のみです。それももう随分長い間大きな変更はありません。どちらの隊も生産が安定しているのでそんなに操作する必要はないのです。」
 この事件の最初にイベリスとパキラの所を訪れた際、確かにイベリスも似たようなことを言っていた。
 「父上、まさか採掘工を疑っているのですか?先日、鉄鉱石の産出量は安定していると父上も…。」
 「安定し過ぎているのだ。迂闊だった。俺は馬鹿だ。」
 「な…。」
 「鉄鉱石の採掘坑は町から西に向かってひたすら真っすぐに伸びてるな?」
 「あ…。」
 「お前も採掘工なら鉱脈を読むのがどれだけ大変か知っているだろう?まあお前の場合は特殊能力があるみたいだがな。とにかく、単純に真っ直ぐ掘って生産が安定していること自体がおかしいんだよ。それに、お前が採掘坑に行った時、採掘は行われていた様子があったのだろう?それがなきゃ商人を疑ったんだが、少なくとも採掘工たちは採掘をしている振りをしている。」
 「確かに…。」
 「明日の朝はとりあえず奴らを泳がせる。どこに鉄鉱石を隠し持っているのか突き止めるのが先だ。手を出すなよ。」
 イベリスとラバテラは顔を見合わせてから頷いた。パキラは小さく溜息を吐くと、リオンに会ってくると言って部屋を出て行った。戦士たちに指示を出しに行くのだろう。イベリスもラバテラも採掘工たちの中に居るのだ。パキラが何をするつもりなのか知らない方が良い。
 パキラが出て行くとイベリスはわざとらしく大きな溜息を吐き、それからおもむろににやりと笑った。
 「親方。とりあえず俺たちは何も知らない方が良さそうだから今日は解散だ。送って行きたいところだがそれも止めておきます。こんな時間に一緒に居るところを見られない方がいいし、今日は友人が来てるんで。」
 「あ…ああ、そうだな。じゃあ俺はこれで失礼する。」
 ラバテラは明らかに重い足取りで帰って行った。あの様子で明日何も知らない振りをできるのかどうか疑問だ。イベリスに問うと、親方はやる時はやるから大丈夫だと笑った。


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