物語の欠片 鶯色の芽吹篇 12
-レン-
ひととおり夕食が済むと、イベリスはレンとカリンを自らの部屋へと誘った。レンもカリンも喜んでその誘いを受けた。昨日からイベリスとゆっくり話をする時間が無かったからだ。族長とパキラもおそらく二人きりの方が良いだろう。
族長とパキラを食堂に残して三人で部屋を出る。使用人たちの帰った館は静かだ。イベリスの押す給仕用の荷台の小さな車輪がカタカタと小さな音を立てるのさえよく聞こえる。給仕係には食卓は朝までそのままで良いと言われているらしいのだが、イベリスはいつも食器を厨房まで運んでいる。ついでに厨房の奥の貯蔵室に寄るのかと思いきや、イベリスは昼間のうちに目ぼしい酒を何本か部屋に運んであるのだという。
「随分と用意周到だね」
レンが言うと、イベリスはにやりと笑った。
「暇だったって言っただろう? お前らが疲れていようがなんだろうが、夜は拉致するつもりで待ってたんだ」
「健気で感動してしまうな」
「だろう?」
イベリスの部屋に入ると、確かに完璧に準備が整っていた。昼間からこれをひとりで準備していたのかと思うと、気の毒なような、可笑しいような不思議な気持ちになる。イベリスの部屋は当然ながら客間ではないから、レンたちがいつも借りている部屋よりもずっと広い。妻帯した際にそのまま使えるようになのか、元々がそうだったのか、大きなベッドもふたつあり、その気になればこのままレンたちがこの部屋に泊まってしまっても困らない。その広い部屋の一角にある長椅子の前の低いテーブルに、酒瓶とグラス、ちょっとしたつまみの類が並べられ、座ればすぐに宴が始められそうだった。
「さあ、とりあえず座ってくれ。途中、交代で湯を浴びに行こう」
「それって夜通し喋るってこと?」
「いつ誰が寝落ちしても大丈夫なように、だよ」
「僕は職業柄無意識に寝落ちするなんてことは無いんだ」
「知ってる。寝たくなったらいつでも寝ていいぜ」
「そうする」
三人で居る時の常で、カリンはレンとイベリスの会話を微笑みながら聞いている。レンと二人で居る時とも、仲間たちと一緒に居る時とも少し違うその笑顔が、レンは好きだった。しかし酒宴が始まったら、話題は謎のことに移り、話し手は主にカリンになるだろう。そうしたらこの微笑みはたちまち消えてしまうに違いない。
レフアとローゼルの近況については夕食の席ですでに共有済みだったので、案の定話題はいきなり謎の話になった。
「レンはどこまで分かってるんだよ」
乾杯の後そう訊かれ、多分イベリスと同じくらいだよ、と答える。もっと正直に答えるならば、謎の繋がりについてそれ程考えてもいなかった。それぞれの事実をありのまま受け入れるだけで、かなりお腹いっぱいだったのだ。イベリスは安堵の表情を浮かべ、それじゃあ、という風にカリンの方を向いた。
「父上の行動は全部間近で見ている筈なのに、それがどういう意図によって行われているかが全く分からないんだ」
カリンは少しだけ困った表情を浮かべた。
「あのね、イベリス。きっとまだたくさんの可能性が残っているの。それを今ひとつに選び取ることができない。だから、どこから説明したら良いのか私もよく分からないの」
「筋道その一、その二ってわけにはいかないのか?」
「それがね、今そこにあるのはそれぞれの部品でしかなくて、まだ如何様にも組み立てられるの。だからパキラ様は、その可能性を絞るべく、一番効率の良いところに手を打っていらっしゃるのよ」
私の推測が正しければね、とカリンは付け加えた。
「いまいちよく分からないな。これまでの謎と何が違うんだ?」
レンは、確かに最初の夜に族長と話をしていたパキラも、珍しく煮え切らなかったなと思い出した。それは身内が関係している可能性があることと、駝鳥を介してマカニ族と関わりがあるからかも知れないということだけが原因では無かったということだろうか。
「筋道の一部でもいいから、何か例になるようなことはないの?」
レンの言葉に、カリンはうーんと唸りながら天井を見た。
「例えば……そう、さっきの、骨の下からは何も見つからなかったという話があるでしょう? そこには複数の可能性がある。ひとつ目は、最初から本当にそこには駝鳥の骨しか無かった。二つ目は、最初はあったけれど昨日の騒動の際に持ち出されてしまった」
「その二つ以外に何かあるのか?」
イベリスが言いながらレンの方をちらりと見たが、レンも思いつかなかったので首を横に振る。
「三つ目は、ひとつ目の変形だけれど、骨の中に、特別な意味を持つ骨が在る。四つ目はそれに対応して、特別な骨があったけれど昨日の騒動の際に持ち去られてしまった」
ああ、とレンとイベリスは同時に声を上げた。
「うん。でも、その特別も色々でしょう? まだ、駝鳥の骨以外の骨が混ざっていたならば分かりやすいけれど、『ある人にとっては特別な駝鳥だった』みたいな理由だったら、今の時点ではお手上げ。そしてそれが今、パキラ様の指示で運び出された骨の中に含まれるのか、持ち去られているのかも分からない。騒動を起こしておきながら持ち出さなかったとしたら何故なのか。もしかしたらこれを計画した人は、その骨をアグィーラに運びたかったのかも知れない。もしそれが本来の目的だったならば、私たちは、まんまと計画した人の言いなりに動いてしまったことになる」
「あんな騒ぎまで起こして? それなら自分たちで運んだ方が早い」
「自分たちで運んだのでは、城の中に入るのは難しいわ。それに、あんな騒ぎが起こったから急いでアグィーラに運ぶことにしたのでしょう? いえ、そこは正確に言うと違う。計画した人の意図がそこにあるかも知れないことを解った上で、パキラ様は急いでアグィーラに運ぶことにしたの。その可能性を潰すのが一番効率的だから」
「まずい、もう頭がこんがらがってきた」
「あはは。とりあえず複雑なのは分かったね」
イベリスに同意しながら、意識の遠くの方を、エルビエントの鍾乳洞に迷い込んだ時のことが掠めた。細かい分岐が幾つもあって、先に進めば進む程、どこで間違ったのかが容易に把握できなくなる。確かにそういう場合は、ぼんやりと全体を俯瞰しながら、それぞれの分岐の意味を捉えた方が良いのだろう。自分が渦中に居たならば、なかなかそのような思考にはなれないけれど。
「この計画を立てた人の巧妙なところはね、重要な情報と無意味な情報を同じ濃度で混ぜ込んでいるところだと思うの。だから、何が重要で、何が意味が無いのかが判り難い。でもそれも、本当に計画なのか、偶々なのかも判らない。そういう風に、うまく混ざり合ってしまっているの」
一旦仕切り直ししよう、と言ってイベリスはカリンに湯を浴びてくることを提案した。カリンが、自分たちの部屋のものとイベリスの部屋のものを使えば二人同時に湯を浴びられると提案したが、そうしたら待っているひとりが暇になるという理由で却下された。
「あのさ、最初に僕が待っているよ。そうしたらカリンはゆっくりできるし、ゆっくりしてもイベリスがひとりで待つ時間は短くなると思うよ」
「それじゃあまるで俺が寂しがり屋みたいじゃないか」
「そうだろう?」
「おい」
「冗談だよ。イベリスは今日はもう十分待ったんだ。これ以上待つ時間は少ない方がいいだろう? 僕は慌ただしかったからね。少しぼうっとできるくらいの方が有難い」
実際、ひとりになってみると疲労を感じた。この時間を使って短い睡眠をとるのも良いかも知れない。目を瞑ると、薄暗い空間に昨夜見た駝鳥の骨が浮かんだ。
ーーそんなに怖い顔で睨まないでよ。僕は眠いんだ。
骨の映像は消えた。
ものの四半時だったと思うが、目を開けると随分と気分がすっきりしていた。ちょうど良いところに、イベリスが戻って来るのが見えた。乱暴に頭をごしごしと布で撫で回しながら、イベリスもさっぱりした表情をしている。
「俺は生まれ変わったぞ。また最初から飲み直せる」
「それは良かったね。どうする? カリンが戻って来るまで此処に居ようか?」
イベリスはそれを聞いて、からからと笑う。
「過保護だな。いいよ。お前もさっぱりして来いよ」
分かった、と言って立ち上がったレンを、しかしイベリスは呼び止めた。
「なあ、お前にとってカリンが特別なのはさ、やっぱり『なんとかしてやりたい』って思ったからなのか?」
驚いた表情をしていたと思う。一瞬何を言われたのか分からなかったが、少しの沈黙の後で、笑いが込み上げてきた。
「何のことかと思ったら、過保護からの連想?」
「悪いかよ」
「イベリス、いつもそんなこと考えてるの?」
「別に。俺は行き当たりばったりだよ」
「うん。憶えてていないようだからもう一度言うけどね、僕がカリンを最初に見たのはマカ二の東の森なんだ。森の女神様か精霊みたいな感じだったんだよ。現実感が無かった。夢を見てるかと思った」
今でも、よく憶えている。マカ二を訪れる人は多くはないが、全部を憶えているほど少なくはない。そんな中で、カリンはとにかく印象に残ったのだ。カリンがどんな人物で、どんな生活を送っているか知らなくとも。
「でも、その後で惹かれたのは、カリンの状況を知ってからだろう? そこに同情が無かったと言えるか?」
「やけに絡むな。そんな風に自分の感情を単純に分解できないよ。全く無かったとは言えないかも知れない。でも、たとえそんな感情があったとしても、それが微々たるものであるとは断言できるよ。カリンを助けたいとは思ったけれど、少なくとも意識下で可哀想だと思ったことはなかった。寧ろ、どうしてカリンはこんな状況に遭わなければならないんだろうと思うことが多かった。カリンに比べたら自分は随分と恵まれた環境で生きてきたなと思って気が引き締まる思いだったよ」
「そうか」
「どうしたの? 何かあった?」
「いや、なんでもない」
ちっともなんでもなくはなさそうな表情でイベリスは言った。此処で話を始めても少ししたらカリンが戻ってきそうだったので、レンは深追いを諦めて、湯を浴びてくる、と宣言した。
パキラとの関係についてなのか、ネメシアと何かあったのか、それとも全く別の人物との関係においての悩みなのか。
イベリスとカリンはやっぱり何処か似ているな、と思い当たって、思わず口元が緩むのだった。
