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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 4

-レン-

「良かった。今日も晴れたね」
 レンが言うと、シヴァも大きく頷いた。
 レンがひとりでワイへ行った夜から数日前まで雨が続いていた。この日、年に一度の大きな訓練を行うことになっていたので、レンは降り続く雨にやきもきしていたのだ。それは、いつもどおり冷静に見えていたシヴァも同様だったらしい。
 数日前に雨が上がり、秋晴れが戻ってきた。村の中だけで見ると、ぬかるんだ道も乾き、訓練に大きな支障は無さそうだ。
 冬が来る前のこの時期、マカニの戦士にとって特別な訓練がある。万が一村の外で翼が使えなくなった場合を想定した訓練だ。
 凡そ五十名いる戦士を、通常通りの任務を行う隊と訓練を行う隊に分け、通常通りの任務を行う者の中から数名が訓練の補佐につく。それぞれの隊が一日がかり、二日に分けて行う大規模な訓練である。
 訓練を行う隊は谷川付近まで降りた後、訓練が終了するまで翼を使ってはならないことになっている。勿論、予想外の事態が起こった時の為に翼は装着したままだが、その翼を使うことなく、谷川からマカニの訓練場まで戻らなければならない。他の種族ならば馬を使うところだが、マカニ族は馬に乗らないので当然徒歩だ。馬が通るために整備された道を通れば楽だが時間がかかり過ぎるため、少々険しくても最短で戻れる道を身体で覚え込む。レンは十歳の頃から毎年参加しているので、すでにその道は身体に染みついていた。
 ガウラの息子で今年戦士になったばかりのセージは、この訓練に参加するのは初めてだ。数回目のココはこの時期になると毎年文句を言っていたが、今年はセージにいいところを見せたいのか大人しくしていた。
 シヴァの采配の結果、二つの隊の隊長はレンとスグリがそれぞれ受け持ち、セージはレンの隊、昨年まで一緒だったココは今年はスグリの隊に入った。レンたちが先発隊だ。補佐にはスグリ他二名の戦士がつく。補佐の戦士は翼を使ってよく、適宜空から想定外の危険がないかを確認したり、何かあった場合の連絡係を務めたりすることになっていた。

「さて。それじゃあ、これから翼を使うのは無しだよ。ただし、身の危険を感じた時や、指示があった場合は除く。あくまでも訓練だから、必要以上の危険は冒さないように。怪我をしたら本末転倒だ」
 隊の面々が了解の返事を返すのを待ってから、レンはスグリに話し掛ける。
「谷川の水量が多いね。まだ長雨の影響が残ってるのかな」
「ああ。この分じゃ、水車への負担もかなりなものだろうな。まあ、見廻りの奴らも気がつくだろうが、水車の更新は急いだ方がいいかもしれない。戻ったらシヴァに伝えておこう」
 レンは頷いて、次にセージに声を掛けた。
「僕が一番前を行くから、セージは僕のすぐ後ろに居るように」
 セージは緊張した面持ちでレンの近くに立つ。そのすぐ後ろに熟練の戦士が続いた。その後ろは二列になり残りの戦士たちが並ぶ。最後尾も危険が大きいので、経験値の高い戦士に任せることにしていた。
「何故此処からこの訓練を始めるか分かる?」
 歩き始めて暫くは川沿いの比較的平坦な道なので、レンはセージの横に並んで尋ねた。
「いえ、分かりません」
「あそこ、向かいの峰の一部に白っぽい岩が見えるだろう? 大きな鹿の形に見える。あれをよく憶えておいて。谷川の向こうのあの岩が自分より下流に見えた時にはマカニへ戻る。自分があれより下流に居たら、マカニへ向かうよりも山を下ってアグィーラを目指した方が生き残れる可能性が高い」
「ああ、なるほど」
「でもね、目印はひとつでは駄目なんだ。例えばあの岩は雪の深い冬には隠れてしまう。その場合はあそこ。ひとつだけやけに高い木があるだろう? あれを目印にする。木も落雷で折れてしまったりするから、どんな時でも複数の目印を探しておくこと。これが基本だ」
「よく、解りました」
「此処を川に沿って下ると、いずれアルカン湖に出る。アルカン湖の周辺の森は豊かだから食べ物も何かしら手に入るだろうし、雨風を避けられる場所も見つかるだろう。道は平らだし、何度か休憩を挟めばアグィーラまでは歩ける筈だ。だからそちらは訓練しない。直接マカニへ戻るこの経路は、まずは水車小屋を目指すところから始まる。其処までは単純に谷川に添って上るけど、その先は目印に集中して進むよ」
「はい」
 セージの訓練に対する姿勢は真面目だ。ココの五歳下で、レンは更にココの五歳上。ちょうど自分とシヴァの年の差と同じくらいだということに気がつく。自分がセージくらいだった頃シヴァに感じていた憧れを思うと、レンは自分の身も引き締まるように感じる。そしてセージに比べると自分は、随分生意気を言っていたのだということにも気づかされ、時折苦笑するのだった。

 一時限と半刻程歩くと、大きな石造りの建物が見えた。それが水車小屋だ。小屋という言葉から想像できるより随分と大きな建物で、マカニの非常食量庫のひとつも兼ねている。其処には常に二名の戦士が見張りに立っていた。マカニの建物にしては珍しい堅牢な石造りなのは、谷川が氾濫しても流されないようにするためだ。浸水しないよう床も高めに造られており、入口まで長い石段を上る必要がある。
 更に近づくと水車小屋の影から水車が二基現れる。レンはこれ程までに大きな水車を此処以外で見たことがない。この二基が、マカニのすべての電力を支えているのだ。一見して老朽化しているようには見えないが、細かい不具合が増えており、対応に手間を要している。この二基は同じ時期に造られたので、次は一基を一般的な寿命の半分で更新し、一基ずつの更新で済むように工夫するのだと、土木師長のレンギョウが話していた。
「ここまでは順調だな」
水車小屋の見張りに立っていた戦士が声を掛けて来たのでレンは頷く。
「そっちも異状無い? 谷川の水量が多いから心配していたんだ」
「ああ。いつもどおりだ」
「食料、少し持っていくから後で補充しておいてね」
「勿論だ」
 本当の緊急時にもそうであるように、此処で一度食事を摂り、最低限の食料を持って先へ進む。水車小屋には食料を運ぶために使える袋の類もあるにはあるのだが、非常時を想定した訓練なので今回は使わない。普段自分が身に着けているものだけで、どんな食料をどのくらい持ってこの先を進むか。それを考えるところも訓練には含まれている。
 元々マカニ族の戦士の衣装は飛ぶのに邪魔な鞄を持たずに済むよう収納が多めに造られているのだが、それにしても詰め込み過ぎは禁物である。
「此処から先は、少し険しい道を六時限から八時限歩くことになる。あまり持ち物が多いと反対に大変だよ。よく考えて」
 セージはこの言葉にも真面目な表情で頷き、周囲の戦士の様子も観察しながら何を持っていくか考えているようだった。

 水車小屋を後にし、此処からは道なき道を進む。木や草が生い茂り、木の根が複雑に絡み合う。大小の岩も無造作に転がっていた。それに加えて、陽の当たらないこの辺りは、先日の雨でまだ土がぬかるんでいて滑りやすかった。毎年通っているが毎年少しずつ印象が違う。山は生きているのだ。
 どうしても自然の目印が難しい場所には人工の目印を残してあるが、各年の先発隊はその目印を交換する役割もある。昨年まで使っていた経路が倒木や落石で使えなくなっていることがあるので、そのまま目印を付け替えれば良いというものでもない。色々な意味でこの訓練は重要なのだ。
「わ!……すみません」
 セージが足を滑らせて、後ろを歩いていた戦士に支えられていた。よくついてきていると思ったが、集中力が途切れてきたかもしれない。顔にも疲労が滲んでいる。
「この先に少しひらけた場所が在るから、其処で休憩しよう」
 レンは皆に向かって言った。
 やがて木が少なくなり、岩の多い地点に出た。山肌がむき出しになっていて陽当たりが良いので、岩肌も乾いている。
 銘々が適当な岩に腰かけ、水分などを補給する。汗ばんだ額に秋の風が心地良かった。
「初めてにしてはよくついて来てるね」
 声を掛けるとセージは嬉しそうに笑う。
「想像していたよりも更に厳しかったです。翼を使えないってこんなに不便なんだ」
「そうだね。僕も最初そう思った。此処と向かいの峰なんて飛べばあっという間なのに、徒歩だとこの山を下って、更に向かいの峰を登らなければいけない。しかも、谷川の何処にでも橋が架かっているわけではないから、橋を探さないとあちら側へ渡れない」

 セージの顔色が戻ったのを確認して休憩を終える。この先は暫く樹々に進路を邪魔される心配はないが、その分滑落の心配が増える。この辺りは比較的傾斜が緩やかであり、足がかりになる岩もあるが、道があるわけでなく、眼下にはそのまま谷川が見える。レンは慎重に足元を確かめながら山肌を進んだ。長雨の影響は少ないと思っていたが、実際に歩いてみると、地盤が緩んで落石があったことが分かる。所々に最近落ちて来たらしき大きな岩があり、足元がかなり不安定だ。
 補佐役のスグリたちは少し離れた辺りを山肌に平行に飛んでいる。
 暫く歩いてからセージの様子を窺うと、忠実にレンが進んだ場所に足を運んでいた。心配無さそうだな、と思い前を向こうとした瞬間、目の端でセージの頭がぐらりと揺れるのが目に入った。反射的にその腕を掴む。岩と岩の間に脚が入り込んで均衡を崩したらしい。そのまま体勢を立て直すのは難しそうだった。
「翼を使って!」
 このままでは落ちると思い、叫びながらレンは自らも翼を使う。しかしセージは動転してすぐに翼を使えないらしく、レンの腕にすがったままだ。
「レン!」
 近づいてきたスグリの鋭い声と同時に、上方に気配を感じた。咄嗟とっさにセージの手を掴んでいるのと反対の腕を掲げたが、その腕ごと右の側頭部に大きな衝撃を受けた。
 一瞬気が遠くなり、セージを掴んでいた手が離れる。翼も上手く動かない。自分が落下していくのを感じて必死に意識の欠片を掻き集めたが、それは無情にも集めたそばから零れ落ちてゆく。
 未だ翼を使えずにいるセージの身体をスグリが受け止めるのを確認すると、急速に意識は遠のいていき、スグリが何か叫んでいるのを聞いたのを最後に、レンの意識は完全に途切れた。


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