物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 20
-カリン-
デンファレが戻る日、カリンはアグィーラまで同行した。
レンは随分回復し、外を散歩したり、マカニの中を飛んだりできるくらいまでになったが、長距離を飛ぶのはまだ難しいだろうということでスグリの翼を借りている。
デンファレを乗せているのはコリウスで、他に三名の戦士たちが借りていた医療機器を運んでいた。岩との衝突や墜落によるレンの脳の損傷はひとまず心配ないという診断が下ったからだ。
スグリは族長からアグィーラ医局に対する正式な礼状を預かっていたし、カリンは特に同行を求められたわけではないのだが、やはりもう一度ツツジにきちんと礼が伝えたかったので無理を言って同行させてもらったのだ。
しかし考えてみたら、デンファレと医療機器を送り届けて書簡を渡すだけならば戦士たちはそのまますぐにアグィーラからマカニへ戻ることができるが、カリンがツツジと話をすることになれば少なくとも一名はアグィーラに残らねばならない。自分はガイアで行くべきだったかもしれないと途中で後悔した。
「気がつくのが遅い」
アルカンの森の上空辺りでそのことを話すと、スグリにそう一蹴された。
「気がついていたならば教えてくれればいいのに」
「俺にとっては、それをいちいち指摘する方が面倒だっただけだ。族長やシヴァの前でそれを指摘したところで、おそらくどうせ俺が乗せていくことになるだろうしな」
それはそうかもしれない。
しかしなんとなく、スグリの機嫌は悪くないように感じられた。レンの回復は、マカニの戦士たちにとっても嬉しい出来事なのだろう。
「アグィーラでは、スグリさんが待っていてくれるの?」
「そこはシヴァに一任されてる。さて、どうするかな」
「ツツジ様に書簡を持って行くなら、そのままスグリさんが一緒に居てくれた方が良いのでは?」
「お前が行くなら書簡もお前が渡せばいいだろう。俺が行く理由は無い。シヴァなら族長代理くらいの意味合いがあるかも知れないが、俺は無名だ」
「スグリさんは以前医局に入院したことがあるから、存在は知られてるよ」
以前フエゴで火蠍の毒にやられた際、アグィーラの医局で治療を受けたのだ。
「それならなおさら関わりたくない」
スグリの言うとおり書簡はカリンが預かることになったが、結局はスグリが待っていてくれることになった。
そのスグリを城の図書室に残し、カリンは医局へ向かう。
先に薬師室に顔を出して、受付に居たユウガオにレンの容態を報告した。素直に喜んでくれたユウガオは、カリンがこれからツツジの元へ行くのだと言うと、にやりと笑った。
「お前、ワイ行きを命じられるかもしれないぞ」
「ワイ行き?」
「どうやらワイの族長はだんまりを決め込んでるみたいでな」
「だんまり?」
カリンはユウガオの言葉を繰り返すことしかできなかった。カリンがマカニへ戻っていた五日の間に、一体何が起きているのだろう。
「ツツジ様が今回の一連の報告書をワイへ送ったらしいんだが、先ずその返事が来なかった。それで、今度は王の名でワイの族長にアグィーラへの召還をかけたのだが……」
つい昨日、断りの書簡が届いたそうだ。理由はエリカの体調不良。
王からの召還を断るにはカリンにもそのくらいしか理由が思いつかないが、真偽のほどが分からない。
普通に考えれば、言葉は悪いが時間を稼いで何か策を考えているといったところだろうが、そう決めつけてしまうのは余りにエリカに気の毒だった。本当に心労が重なって体調を崩しているかもしれない。
「昨夜まではツツジ様が直々にワイへ出向こうかという話にもなっていたのだが、お前が来たなら事情は変わるかもしれないな。ことを大袈裟にせず、あの族長とそれなりに話せる人物はそうそう居ないだろう?」
ユウガオは思い違いをしている。カリンとエリカとは決して対等に話をしているわけではない。それに、エリカはカリンのことを好意的に受け止めているわけでもないと思う。
しかしそれをユウガオに説明しても意味が無いので、カリンは曖昧な返事を返してツツジの元へ向かった。
医務室の扉を開けると、其処にはツツジもアオイも居た。ワイからの患者が、その後も安定していることの証拠だろう。アオイへの挨拶は後回しにして、カリンは真っ直ぐにツツジの元へ向かった。
途中で気がついているであろうツツジは、カリンが目の前に立ち止まるまで顔を上げない。いや、立ち止まってからも顔を上げないので、カリンはひと呼吸置いてから声を掛けた。
「マカニの族長より御礼の書簡を預かって参りました」
漸く顔を上げたツツジの右の眉が僅かに持ち上がる。
「カシスからだいたいの報告は聞いた。大きな問題はなかったようだな」
「はい。あの、わたくしからも御礼を申し上げます。ありがとうございました」
「私は私的な礼を受け取る立場にない。お前個人の感情的な礼は直接関わった医師たちに伝えるがいい」
「それは勿論、お伝えしました。その上で、ツツジ様にも御礼を」
「何のためだ?」
「マカニへ医師を派遣してくださったのはツツジ様の御判断です」
「勘違いするな。私は別にお前の夫君であったから医師を派遣したわけではない。公正な判断の元、そうすることが最善だと思ったからそうした。個人的な礼を言われるものではない。私の判断の結果が正しかったかどうかはこの書簡の内容を見れば分かるだろう。それで十分だ」
ツツジの言うことは相変わらず正論だったが、カリンはどうしてももうひと言深く踏み込まずにはいられなかった。
「確かに通常の患者の家族は、直接ツツジ様に御礼を伝える機会を与えられてはいません。ですが、公私混同であってもわたくしには幸いにして偶々こうしてお話しする機会を与えられたので、お伝えしました。受け取っていただけなくても構いません。患者の家族側の……わたくしの勝手な自己満足です。ただ、患者の家族は直接接した医師に対してだけでなく医局全体に感謝の意を持つものであると私も今回改めて感じたのです。それをお伝えするためにツツジ様の余計なお時間をいただいたことはお詫びいたします」
わたくしはこれで、と立ち去ろうとしたカリンをツツジが呼び止める。カリンは少なからず驚いて振り返った。
「待て、と仰いましたか?」
ツツジはその問いには答えずに立ち上がると、再び右の眉を持ち上げて奥の部屋の扉を開けた。
「茶を淹れてくれんか」
二人きりになるとツツジは言った。
ツツジ専用の小部屋には、客人を迎える時のために簡易なキッチンのような場所が在り、湯も湧かせるようになっていた。
カリンが頷いて湯を沸かし始めると、ツツジは腰を下ろして族長からの書簡を開封した。
その姿を横目で見ながら茶葉の入った缶を開けると、王室で使用している茶葉と同様のものであることが香で分かった。カリンはレフアの部屋でよく使用するので、使い慣れた茶葉だ。
ユウガオの言ったとおり、ワイ行きを命じられるのだろうか。しかしそれならば、カリンが立ち去るそぶりを見せる前に言いだしそうなものである。
「何をしている? そこに座れ……お前の分も持ってくるがいい」
茶の入ったカップをツツジの前だけに置いてそのまま立っているカリンにツツジは言い、ちょうど読み終えたらしき書簡を封筒に戻した。
言われた通りに自分の分のカップを持ってツツジの正面に腰を下ろす。ツツジはカップを持ち上げて不機嫌そうな表情のまま目を細めた。続けてカップに口をつける。
「ふむ。悪くない」
「恐れ入ります」
三分の一程お茶を飲んでからカップを置いたツツジは、例の真っ直ぐ見据えているようで目線が完全には合わない不思議な視線でカリンを見詰めた。
「どうやら正解だったらしい」
「マカニへ医師を派遣したことでしょうか」
「そうだ。非常に友好的な内容の書簡だった。お前を含め、マカニ族が医局の力になれることがあるならば、今後いつでも力になると書いてあった」
「はい。あの、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「答えるかどうかは内容による」
「あ……はい。その通りです。では、質問を述べてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「わたくしはマカニ族ですがアグィーラの薬師でもあると思っていたのですが、実際はどうなのでしょう」
「質問が曖昧だ」
「申し訳ありません」
カリンはひとつ深呼吸をして続ける。
「わたくしは現在確かにアグィーラの官吏としての籍があり、こうして官吏の衣装を着て医局におります。ですが、やっていることはマカニの薬師がアグィーラに薬を提供しているのと大して変わらないのではないかと思うのです。定期の勤務は二月に三日だけ。それなのに、アグィーラの薬師を名乗って良いのかどうか、分からなくなって参りました」
「悩み相談か? それとも、アグィーラの薬師を辞したいとでも言うつもりか?」
「いえ……あの……」
そう訊き返さされると、自分でも何を尋ねているのか分からなくなってしまった。しかしその時、ツツジの口元がふっと緩んだので、カリンは息が止まるかと思った。
「お前自身はどう在りたいのだ?」
「わたくしが、ですか?」
ツツジの表情はすでにいつもの不機嫌そうな表情に戻っている。
「お前がアグィーラの医局に恨みを持っていて役務を提供したくないというならまあそれはそれで考えるが、そうではなく薬師の仕事をしたいのであれば、マカニ族であれアグィーラの官吏であれ、立場は何だって良いのではないか? どちらが仕事がしやすいというのはあるやもしれんが」
「あの、では、このままアグィーラの官吏で居ても良いのでしょうか」
「誰が駄目だと言った?」
「いえ……」
「最初にお前を採用したのは私だ」
「え?」
今度は、本当に一瞬息が止まった。
慌てて呼吸の仕方を思い出す。
心臓がどくどくと音を立てる。その音が、ツツジには聞こえてしまうのではないかと思った。
ツツジは何と言った? お前を採用したのは私だ……それはどういう意味だ。
ツツジはカリンから目線を逸らし、再びカップに口をつけた。
「……お前が十歳で医局の試験を通った時、医局の上級官吏会議でも国の議会でも随分揉めた。士官は十三まで待つべきだという意見が圧倒的に多かった。最終的に、基準を満たしているのだから年齢にかかわらず官吏補になるのを認めるべきだと主張したのは私だ。人数では反対する者の方が多くとも、医局長である私の発言力はそれなりに強い」
……知らなかった。
小さい頃から王室に出入りしていたカリンは、不思議な力で王を惑わして医局に入ったのだと噂されていた。それが事実でなくとも、カリン自身、最終的に王の後ろ盾があったかもしれないことは考えていた。まさか、ツツジのおかげだったとは考えてもみなかった。
「アグィーラではな、王の一存だけでは決められないことも多いのだ。そのために議会がある。意外と健全だろう?」
ツツジはカリンの考えを読んだかのように付け加えた。
「……存じ上げませんでした。ありがとうございます」
「それも勘違いだ」
「はい。ツツジ様はわたくしのためではなく、わたくしの薬師としての力が僅かながらでも医局で役に立つと判断されたからそう主張なさったと理解しました」
「そのとおりだ。理解が早いのは評価する。私はくだらん感情に左右されず、合理的な判断を下しているだけだということを憶えておくといい」
「すべては、穏やかな生活のために……」
そういえばツツジは以前、そのようなことを言っていたことを思い出した。しかしそのカリンの呟きは無視された。先程口元が緩んだと思ったのは錯覚かと思うくらいいつもどおりの表情だった。
「質問は終わりだな?」
「はい、あの……」
「まだ何かあるのか?」
「いえ……」
「マカニの族長へ返信を書く。持ち帰ってくれ」
そのために呼ばれたのだということが漸く分かった。
今の話の内容が衝撃的すぎて、ツツジの方からこの部屋に呼ばれたのだということすら忘れていた。こんな話をする予定ではなかっただろう。カリンだって話すつもりはなかった。何となく魔が差したのだ。
しかし、思わぬことを知ってしまった。ツツジは、最初から自分の薬師としての能力を公平な眼で認めてくれていたのだ。
カリンの胸は、まだどくどくと波打っていた。
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