ー設計者は何を見ているのか 第1弾ー 問いは答えを出すためではなかった
設計しているのはモノではない。判断基準だった。
設計という仕事は、形を考える仕事だと思われることが多い。
もちろん、それも間違いではない。
しかし20年以上シート設計を続けてきて思うのは、実際に設計しているのは「形」ではなく、「判断基準」だということだ。
先日、若手とリクライニング操作系の検討をしていた。
レバーにするのか。
ストラップにするのか。
肩口に配置するのか。
クッション側に配置するのか。
議論はそこから始まった。
でも私は、その話を止めた。
「何を選ぶか」の前に、
「何を基準に選ぶのか」
を先に作らなければならないと思ったからだ。
例えば、
「肩口がいいと思います。」
と言われても、それだけでは判断できない。
なぜ肩口なのか。
UXを優先したからなのか。
安全性なのか。
操作姿勢なのか。
視認性なのか。
操作スペースなのか。
ある前提では○になる。しかし前提が変われば×になる。
つまり、
答えは変わる。
変わらないのは、
「どう判断したか」
だけだ。
私はよく、
「全部ガラガラポンになる」
という言い方をする。
設計では途中で前提が変わる。
要求も変わる。
レイアウトも変わる。
制約も増える。
だから最初に決めた答えは、簡単に崩れる。
しかし、
判断基準さえ残っていれば、
「じゃあ前提が変わったから、この評価だけ変えよう」
で済む。
一方で、
答えだけ残していると、
全部最初から考え直しになる。
ここが大きな違いだ。
若手に一番伝えたかったのも、そこだった。
「これをやるな」
とは一度も言っていない。
むしろ、
アイデアは全部残してほしい。
レバーでもいい。
ストラップでもいい。
リンクでもいい。
ケーブルでもいい。
重要なのは、
なぜ残したのか。
なぜ消したのか。
そこを言語化してほしい。
その記録が残れば、
後から誰でも組み替えられる。
私の頭の中だけで完結しない。
実は、この考え方は人材育成にも同じことが起きている。
多くの育成では、
「答え」
を教える。
しかし熟練者が本当に持っているのは答えではない。
「この順番で考えた」
という判断基準だ。
だからOJTでは、
「こうやればいい」
は渡せても、
「なぜそう考えたのか」
は渡せない。
以前のシリーズで書いた「観測OS」も、本質的には同じだった。
観測結果ではなく、
観測の判断基準
をどう渡すか。
そこが一番難しい。
今回の打ち合わせでも、私は何度も
「シーンを書こう」
「優先順位を書こう」
「因果を書こう」
と言っていた。
それは資料をきれいにしたいからではない。
後で前提が変わっても、誰でも組み替えられる状態を作りたいからだ。
設計とは、
最初から正解を当てることではない。
変化しても壊れないように、判断基準を積み上げることだ。
私は最近、モノを設計している時間より、
判断基準を設計している時間の方が長い気がしている。
そして、それは設計だけの話ではない。
育成も、
1on1も、
キャリア支援も、
AIとの壁打ちも、
結局やっていることは同じなのかもしれない。
答えを渡しているのではない。
答えを作れる判断基準を、一緒に設計しているのだ。
