愛媛の古民家で気づいた、私が本当に求めていた「これからの暮らし方」
北海道から滋賀県へ移住。
古民家を改装して、シェア型書店と
コミュニティカフェをオープンする準備中の
江上良子です。
目からウロコどころか人生観が変わる
車を走らせること約6時間。少し遠出をして、愛媛にある友人の古民家を訪ねました。
彼女はそこで、野菜を育て、米を植え、自給自足に近い暮らしを営んでいます。電気はあっても必要以上には使わず、お風呂を沸かすのも調理をするのも、薪をはじめとする自然の熱源。
今回、私が彼女の家を訪れたのは、これからの自分の生き方や暮らし方を考えたとき、「自分はどんな暮らしがしたくて、どこまでならできるのか」という限界点を知りたかったからでもありました。
でも、実際にその暮らしを体験してみて、目から鱗が落ちるどころか、すべての価値観がドーンとひっくり返るような感覚を味わったのです。


「ほぼ外」の縁側と、自然への挨拶
家に着いてまず驚いたのは、すべての戸が開け放たれ、家の中なのか外なのかわからない「ほぼ外」のような空間。それが不思議と心地よく、その場に馴染んでいました。
庭では、採れたての玉ねぎを取りに行ったり、人参を収穫させてもらったり。人参を抜くとき、思わず「すいません、ごめんね」と心の中で挨拶をしながら収穫しました。私たちが普段忘れてしまいがちな、命をいただくことへの手触りが、そこには確かにありました。
手間をかけるからこそ出会える、まろやかな時間
一番の挑戦は、お風呂を沸かすこと。
お風呂用の薪を割り、ファイヤースターターを使って火を起こす。小さな木から、燃えやすい木の皮へと徐々に火を移し、じっくりと育てていきます。



お湯が適温になるまでにかかる時間は、なんと1時間半から2時間。
そうして手間暇かけて薪で沸かしたお風呂のお湯は、驚くほどまろやかで、芯から身体を温めてくれました。心が満たされ、「あぁ、何もかもが大丈夫だ」という圧倒的な安心感に包まれるのを感じました。

古民家だから虫も入ってくるし、あちこち古い。決して「近近代的な綺麗さ」があるわけではないのに、そういうことがすべて「まあいいか」と思えてくるから不思議です。便利さの枠から外れた瞬間に、本当の心のゆとりが生まれるのかもしれません。


熾火が繋ぐ、感動のごちそう
お風呂で火を起こした木の中から、赤く残った「熾火(おきび)」を炭として七輪に移し、今度はそれを使って夕食の調理へ。
七輪でご飯を炊き、採れたての野菜をバーベキューにして焼き、近くの川で獲れた鮎や、近所に現れた猪のお肉をいただく。さらに、お風呂の焚き口の中にダッチオーブンを入れ、人参とジャガイモを焼き上げました。じっくり火が通った人参はとろけるように柔らかく、言葉にできないほどの感動でした。
ご飯が炊けただけで嬉しい。野菜が美味しかっただけで感動する。そんな純度の高い幸せが、そこにはありました。

見上げて気づいた、満天のプラネタリウム
日が沈むと、周りからは小川のせせらぎ、虫の声、鳥たちの声しか聞こえなくなります。
ふと上を見上げて、息を呑みました。
そこにあったのは、空を埋め尽くすほどの満天の星空。まるで天然のプラネタリウムでした。
「あぁ、私はこれまで、星を見上げる心のゆとりも時間もない生活を送っていたんだな」
その事実に気づかされた瞬間でもありました。人間は本来、こうして大自然の中で、その一部として調和しながら生きていくことができる。それを身体が思い出していくようでした。

私が本当にやりたかったこと
今回の旅で、「自分はどこまでできるだろう」と限界を探りに来たはずの私は、ある確信を得ました。
「私、この暮らし方、できそう。というか、これがやりたかったんだ」
スイッチひとつでお湯が出て、簡単にシャワーを浴びられる生活も、もちろん快適で良いものです。でもそれとは別に、自分の手で食べるものを作り、火を起こし、自然の巡りとともに生きていくこと。その不便さの中に散りばめられた愛おしい手間暇こそが、私が本当に求めていたこれからのライフスタイルなのだと、深く腑に落ちました。


すべての価値観がひっくり返った、愛媛での愛おしい1日。
この五感の震えと、自然と調和する心地よさを胸に、これからの私の新しい歩みへと繋げていきたいと思います。
来てよかった。本当に、来てよかったです。
古民家最高〜♫😆

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