愛媛の限界集落で見つけた 私の理想の暮らし方
北海道から単身赴任で滋賀県愛荘町に地域おこし協力隊として移住してきた江上良子です。
古民家でシェア型書店とコミュニティーカフェをオープンする準備中です。
愛媛の友人・洋子さんの古民家で過ごしたお話のその続き
1日目の前回の記事はこちら
実は泊まる前、少しだけ不安がありました。私は北海道育ちで、暑さにはめっぽう弱いタイプ。「エアコンがない古民家の夏なんて大丈夫だろうか」「網戸がないなら、虫に悩まされて大変なことになるんじゃ……」そんな心配が頭をよぎっていたのです。
けれど、実際に夜を迎えてみると、心地よい風がすうっと家の中を吹き抜けていきました。夜が更けるにつれてどんどん涼しくなり、エアコンなんて全く必要ありません。

洋子さんがライトを点けてくれました。
外でご飯を食べているときに少し蚊に刺されはしたけれど、「まあ、それくらいはいいか」と思える程度。夜は窓を閉めて、驚くほどぐっすりと、快適に眠ることができたのです。
日頃の疲れが嘘のように洗い流され、朝5時過ぎにふと目が覚めました。

見えなくなってるのわかります?
すごく幻想的な景色でした
耳に飛び込んできたのは、本当に美しい「ホーホケキョ」という鴬(うぐいす)の鳴き声。こんなにも愛おしい小鳥のさえずりで起きる朝が、心地よくないわけがありません。
まだ静かな早朝の光の中、お気に入りの手帳を開いて今の気持ちを書き留める、贅沢な「手帳タイム」。
6時を過ぎた頃、愛車の軽トラちゃんにお礼を言いつつ、プラプラと近所の探索に出かけました。

本当に見ているだけで癒されます
周りには車の音がいっさい響きません。聞こえるのは、さらさらと流れる小川のせせらぎと、鳥たちの声だけ。
前日の曇り空から一転、夜の間に晴れ渡った空からは朝もやが立ち上り、目の前に広がる景色は、昨日以上に惚れ惚れするほど美しく、神聖な空気に満ちていました。古い小学校の跡地を眺め、だんだん畑や空き家を見つめながら、自然と人間の営みに思いを馳せました。

「地球と一体化する」縁側での瞑想
洋子さんが起きてからは、彼女が毎朝しているという「誘導瞑想」を一緒にさせてもらいました。
すべての戸を開け放った縁側に座り、朝日を浴びながら、音源に合わせて深い呼吸を繰り返します。
驚いたのは、その空間の「奥行き」でした。

目の前にただ自然が広がっていて、
瞑想すると一体化するような
そんな気持ちよさがありました☺️
ただ住宅街で家の窓を開けているのとは、エネルギーの広がりが全く違うのです。開け放った縁側の先には、どこまでも続く山々、そして「地球」そのものが広がっている感覚。
その中で瞑想をしていると、自分という枠を超越して、すべてと一体化していくイメージがすんなりと湧いてきました。
「私はこれから、何を叶えたいんだろう」
自分の深い、一番深いところにある思考へ、あっという間にたどり着くような、不思議で濃密な時間でした。
全てが循環する和(わ)の中で、生かされているという体感
瞑想の後は、お庭の畑の巡回です。
長ネギを収穫したり、かぼちゃの受粉を手伝ったり。この家の裏手には、なんと素敵な神社がそっと佇んでいます。


神社にお参りをし、さらにその先にある炭焼き小屋や、山の神様を祀る祠(ほころ)へと、山の奥へ奥へと入っていきました。


大きな竹かご!🎋
「カブトムシの匂いがするね」と洋子さん。
そこには、ふかふかで湿り気のある、栄養をたっぷり含んだ腐葉土の香りが漂っていました。
そのとき、身体の芯から「あぁ、生かされているなぁ」という想いが湧き上がってきたのです。
この雄大な山が存在して、木々が育ち、そこから清らかな水が流れてくる。洋子さんが使うお風呂の薪も、この山で立ち枯れた木を集めたもの。
すべてが途切れることなく、美しい和を描いて循環している。その和の中で自分も生きているのだということが、知識ではなく、五感を通して100%納得できた瞬間でした。

川を覗き込めば、昨日美味しくいただいた鮎たちが元気に泳いでいる。なんて、なんて豊かな世界なんだろう。

七輪の火を待つ時間と、最高のおもてなし
家に戻り、朝ごはんの準備を始めます。
ここでも、畑で収穫した野菜を使い、七輪で火を起こしてお味噌汁を作ります。

ガスのようにつまみを回せばすぐに沸騰するわけではありません。じわじわと火が育ち、お湯が湧くのを待つ間、私たちはもう一度川を見に行ったり、山を見上げたり。不便だからこそ、その「待つ時間」さえも豊かなエンターテインメントに変わります。
そんな美味しい朝ごはんを食べようとしたとき、お隣に住む大家さんがトコトコとやってきてくれました。

甘くて、おいしい干し柿
「これ、作ったから食べてみて」と手渡されたのは、自家製の干し柿。
私も干し柿が大好きで、自分で柿を取り寄せて作ったことがあるから分かります。あれは決して難しくはないけれど、ものすごく手間暇と時間がかかるもの。
大家さんの畑で採れたみずみずしいきゅうり、そして心のこもった干し柿。
一緒に朝ごはんを食べながらおしゃべりをして、心がじんわりと温まりました。自分が手から作ったものを誰かに振る舞うこと。それこそが、人間にとって最高のおもてなしであり、愛の循環なのだと実感しました。

想像を超えてくるものは、体感が先
いよいよ帰るという時、洋子さんと大家さんの二人が、並んで大きく手を振りながら私を見送ってくれた姿が、今も目に焼き付いています。ほんの短い時間であっても、人と人はこんなにも深く分かり合える。

1泊2日の弾丸旅行。軽トラちゃんで往復1000キロの過酷な道のりだったはずなのに、身体は驚くほど軽くて、心の底から「本当に行ってよかった」という想いしかありませんでした。
人間、体験してみて初めて、「あ、自分が本当に望んでいたのはこれだったんだ」と分かることがあります。
頭の中でいくら想像していても、本当に素晴らしいものは、いつも自分の想像の枠をはるかに超えてやってきます。だから、想像する前に「まず体感する」ことが何より大切なんだと知りました。
まさか50歳を過ぎて、もうすぐ60歳になろうかというこの年齢で、これほどまでにすべての価値観がひっくり返るような体験がまだまだできるなんて、思ってもみませんでした。それが嬉しくて、愛おしくて、仕方がありません。
この1000キロの旅の先で、これから先の私の生き方、そして形にしていく活動の「揺るぎない軸」が、カチッと決まりました。
私の欲しかったものは、これだ。
この愛おしい体感を胸に、私はここから、新しい未来を紡いでいきます。☺️
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