「ワークライフバランス」という退職理由の、不都合な真実。
退職理由「ワークライフバランスを改善するため」
世界的な総合人材サービス会社が発表した最新調査(2026年)で、長年トップだった「不十分な報酬」を抜き、「ワークライフバランス」が退職理由の1位になったようです。これを見た経営層や人事担当者は、「なるほど、これからは柔軟な働き方の時代か。残業を減らし、制度を整えよう」と納得しているかもしれません。
本当にそうでしょうか。
確かに、ワークライフバランスを重視して転職する人は増えています。それ自体は事実でしょう。ただ、この調査で注目すべきは、すぐ後ろの3位に「悪い職場環境(過去調査では『上司との関係が悪い』)」が、わずか1%差(32%)でピタリとつけている点です。
一歩踏み込んで考えてみたいのです。
「そのワークライフバランスを壊している原因は、根本の原因は何なのだろうか?」
単なる労働時間の長さでしょうか。それとも、職場の人間関係やマネジメントの問題でしょうか。
症状と原因は別です。多くの企業は「離職理由」という表面的な数字ばかりを見て、その背後にある原因から目を逸らしているのではないでしょうか?
「建前」は、辞める側の最後の生存戦略
ここで、別の角度からのデータも見てみましょう。エン・ジャパンなどが実施している「退職者の本音調査」では、実際に会社へ伝えられる退職理由と、本人の本音には昔から深いギャップがあります。
会社に伝える建前は「別の職種にチャレンジしたい」「家庭の事情」などが上位を占めますが、会社に伝えない本音の1位はいつの時代も「人間関係が悪い」です。
もちろん、会社に伝える理由が本当の場合もあります。しかし同時に、それらは非常に便利な理由でもあります。会社側が反論しにくく、余計な衝突を生まず、円満に退職できるからです。
なぜなら、辞める側にとって会社に本音を言うメリットはほとんどありません。
「上司のマネジメントに問題があります」
「評価制度に納得できません」
「部署の雰囲気が最悪です」
そう言ったところで組織が変わる保証はなく、むしろ引き止めや軋轢が増えるだけです。狭い業界なら、将来どこかで再会する可能性だってあります。
それなら、会社側が口を挟めない「ワークライフバランス」などの汎用性の高い理由を添えて、笑顔でフェードアウトする方が合理的です。つまり会社が受け取っている退職理由の一部は、辞める側の最後の気遣いであり、自己防衛でもあるのです。
「給与は上げられなくても、マネジメントは改善できる」という事実
ここで経営側からは、「今の時代、簡単に給与なんて上げられない」という反論が出るでしょう。それはその通りです。給与のベースアップには原資が必要ですし、事業構造そのものを変えなければならないケースもあります。
しかし一方で、「機能していないマネジメントを放置すること」や「明らかな組織問題を見て見ぬふりすること」は、お金の問題ではありません。
もちろん、問題管理職の異動や降格は簡単ではありません。代替人材がいない場合もあるでしょう。短期的な業績への影響もあるかもしれません。
それでもなお、組織を疲弊させる管理職を放置し続けるのであれば、それは構造上の限界ではなく経営判断の問題です。目先の数字を優先し、長期的な組織の損耗を許容しているだけだからです。そして、そのコストは離職という形で静かに積み上がっていきます。
人事が「戦略」を失った組織の末路
なぜ、この問題が放置されるのでしょうか。それは、多くの企業で人事部門が戦略機能を失い、オペレーション部門化しているからです。
本来、人事は「人を活かして組織の競争力を高める」ための部門です。しかし現実には、給与計算、労務手続き、評価シートの回収など、日常業務を滞りなく回すことに追われています。もちろん、それらも重要な仕事です。問題は、それだけになってしまっていることです。
戦略人事として機能するためには、現場のマネジメント不全を検知し、経営陣へ警鐘を鳴らし、組織課題へ介入する必要があります。しかし、その権限も文化も失われた組織では、人事にできることは退職手続きという事後処理だけになります。
PDCAの「C」から逃げる組織
多くの企業は、P(計画)とD(実行)は好きです。新しい研修を導入する。エンゲージメント施策を始める。ワークライフバランス推進キャンペーンを打つ。
しかし、本当に重要なのはその後です。施策によって離職率は下がったのか。管理職ごとの差はどうか。退職者は特定部署に集中していないか。こうした検証が驚くほど雑な組織は少なくありません。
なぜなら、本気で検証してしまうと、原因が組織内部にあることが見えてしまうからです。そして原因が見えれば、対処する責任も発生します。
だから「本人がワークライフバランスと言っているのだから、それでいいじゃないか」と、都合のいい解釈に逃げてしまう。心理学でいう「意図的な盲目(見たくないものを見ない状態)」です。
結論:人は、改善を待たない
「会社を辞めるのではない。上司を辞めるのだ」
昔から繰り返し語られてきた言葉です。もちろん、すべての退職がそうだとは言いません。しかし、人間関係やマネジメントの問題が離職の主要因であり続けていることもまた、各種データが示す通り紛れもない事実です。
そして厄介なのは、本当に見限った人ほど本音を言わないことです。彼らには転職市場での選択肢があります。組織を変えるために戦う必要もありません。改善される可能性が低いと判断した時点で、静かに次へ進みます。
だから本当に危険なのは、退職者が不満をぶつけてくる組織ではありません。何も言われなくなった組織です。
会社が建前に甘え続け、マネジメント改善という責任から逃げ続ける限り、人はある日突然、笑顔で、静かに去っていきます。前向きな言葉の裏にある本音すら、もう組織には残してはくれないのです。
私たちがまず始めるべきは、目の前の「綺麗な退職理由」を鵜呑みにせず、組織の小さな変化に目を凝らすことなのかもしれません。
