推し活の倫理とライブ市場の精神
ライブのチケットが高い、という話をよく聞くようになりました。一枚1万円を超える公演も、いまではめずらしくありません。
それだけ高くなれば、行く回数を減らす人が出てきそうなものです。ところが、コンサートプロモーターズ協会(ACPC)さんの集計を見てみると、市場全体の動員はむしろ増えています。6年でチケット平均単価は45.1%上がりましたが、同じ期間の消費者物価の上昇は11.9%で、いちばん近い品目である演劇観覧料でも6.8%にとどまります。チケットの値上がりは、暮らし全体の物価をかなり上回っています。
それでも動員数は4,953万人から5,999万人へと21.1%増えました。しかも売上が1.76倍になったうちの66.0%は、単価が上がったぶんで説明がつきます。売上が伸びた最大の要因は「より多くの人が行くようになったこと」ではなく、「一回あたりに払う金額が増えたこと」でした。
この6年の動きを、1枚の図にまとめてみます。

上の折れ線は2019年を100とした指数で、赤がチケット平均単価、濃いグレーが売上額、オレンジが1公演あたり動員、青が公演数です。灰色の破線は消費者物価指数にあたります。4本のうち赤だけが、この破線から大きく離れて上へ伸びていきます。下の帯は、売上が1.76倍になったぶんを3つの要素に分けたもので、いちばん長い赤がチケット単価の寄与です。
ライブに行く人の支出は、チケット代だけでは終わりません。グッズがあり、遠征の交通費と宿泊費があり、何公演にも通えばその回数だけ増えていきます。家計が苦しくなるほうへ働く条件がそろっているのに、市場はその値上がりに引っぱられて伸びています。ここがある種の不思議です。
もちろん説明のしかたなら、いくつも思いつきます。推しへの愛だと言うこともできますし、課金は支援なのだと言うこともできます。どちらも、そのとおりかもしれません。
この6年で、VIP席やプレミアム席といった上位の券種を見かけることも増えました。払いたい人がより多く払えるようにする売り方が、あちこちに用意されています。気持ちの受け皿になる場所が、きちんと作られているとも言えます。
ただ、ここまでは一人ひとりの気持ちと、それに応える商品の話です。同じ気持ちを持った人が集まって、その総額が物価より速く増えていくとなると、個人の内側だけでは説明が足りません。一人の心の動きとしてではなく、大勢がそろって同じ方向へ動く現象として見ると、どう読めるのでしょうか。
もうひとつ、チケット代だけを見ていても届かないところがありそうです。推し活と呼ばれている行動には、お金を払う場面のほかに、布教や応援広告やファンアートのように、自分から手を動かす場面があります。そちらの働きが推しの知名度を押し上げて、押し上がったぶんがまた公演の値段になって返ってくるのだとしたら、払うことと働くことは地続きです。そこまで含めて見ていくことにします。
手がかりとして、100年以上前に書かれた社会学の古典を持ち込んでみます。ただし、当てはめて終わり、というわけではありません。古典がうまく説明できるところと、できないところの両方を見ていきたいと思います。もし説明できないところが残るとすれば、そこにいま起きていることの新しさがあるのかもしれません。
手がかりとしてのマックス・ヴェーバー
まずヒントにしてみたいのが、社会学者マックス・ヴェーバーの議論です。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、ドイツで活動した人物です。

1904年から1905年にかけて、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本を書きました。
学生のあいだでは「プロ倫」と呼ばれている本です。
徒然研究室も学部二回生のときにゼミで輪読しました。当時は正直、ほとんど読解できていなかったと思います。でも時間が経てば経つほど、その凄さがわかってくる本です。この一冊を輪読本に選んでくださった先生には今でも感謝しています。
彼が立てた問いは、なぜ近代の資本主義がヨーロッパの、それもプロテスタントの多い地域で先に育ったのか? というものでした。
ヴェーバーはまず、儲けたいという欲望だけでは説明がつかない、というところから議論を始めます。お金が欲しいという気持ちなら、古代にも中世にもありました。給仕にも医者にも兵士にも貴族にもあったので、欲が強いだけなら、いつの時代のどこにでもあったことになります。
新しかったのは、その金儲けをどう続けたかではないか、と彼は考えました。プロテスタントを中心とした人々は、欲望のままにではなく、果たすべき務めとして、決まったやり方で毎日きちんと労働を続けるようになりました。では、なぜそれが務めとして引き受けられるようになったのでしょうか。
予定説と「天職」
ここで出てくるのが、カルヴァン派の「予定説」です。誰が救われるかは天地創造の時点で神が決めていて、人間の行いではもう変えられない、という教えでした。祈っても献金しても結果は動きません。信者は、自分が救われる側にいるのかどうかを知ることができません。
ヴェーバーは、これが信者を強い不安のなかに置いたと書いています。彼は、この不安が、日々の職業生活のなかに救済の確証を求める態度へつながったと解釈したわけです。
信者は、救われている人間なら、神から与えられた仕事に打ち込み、禁欲的で秩序ある生活を送るはずだ、と考えるようになります。仕事の成果は、救いを買うための代金ではありません。勤勉な生活とその成果が、「こんな私はすでに救われているのだ」という確証を得る手がかりになりました。
ここで重要になるのが、神から与えられた務めとして職業を捉える「天職」の観念です。ヴェーバーは、ドイツ語のBerufが職業と召命の両方を意味することに注目しました。
ここで大事なのは「何が証拠になったのか」です。お金を出すことではなく、働くことが証拠になりました。救いは金で買えません。「決まったやり方で働き、そこで成果を挙げること」だけが証拠になります。そして証拠には、いくら集めても、これで十分だという線がありません。そのため、この働き方には終わりがなくなります。
しかも、楽しむために働いているわけではありません。儲かっても自分のためには使わないので、お金は手元に残っていきます。残ったお金が次の事業に回り、資本が積み上がっていきました。
ここまでの予定説とヴェーバーの解釈を、1枚にまとめてみます。左の青い2つが予定説という教えそのもので、右の緑の3つが、そこから何が起きたのかというヴェーバーの解釈です。

この図は、神と推しを同じものとして描いたわけではありません。「ある教えが人の生活態度にどう働きかけていくのか」、という機序を示したものです。
布教、応援広告、ファンアート
このように考えてみると、推し活と呼ばれている行動のどこが、このカルヴァン派の働き方に近いのかが気になります。近いのは、お金を払う場面よりも、何かを作ったり広めたりする場面のように思われます。
好きな対象を人にすすめる「布教」があります。誕生日に合わせて駅などに出す応援広告があります。ファンアートがあり、再生数や投票の数字を伸ばす活動があります。どれにも明示的な報酬はなく、誰かに命じられたわけでもなく、自分から引き受けたものです。それでいて、やらないと申し訳ないという気持ちが伴うことがあります。自分で選んだはずなのに、義務のように感じられる働きです。
推し活が「天職」そのものだということではありません。ヴェーバーの天職は、神から割り当てられた職業を、救いの確証と結びつけて規律正しく務めるという、かなり特殊な形をしていました。似ているのは中身ではなく、その形式のほうです。「自分から始めた思いが繰り返しの務めに変わり、その成果で自分の思いを確かめ、しかもここで十分だという終点がない」、という点が重なるように思えます。
また、推し活で使われている語彙の数々も、手がかりになりそうです。布教も、信者も、聖地巡礼も、祭壇も、もともとは宗教の言葉です。企業や有識者が、推し活を宗教のメタファーでラベリングした、というよりは、それを実践する当事者たちが先にその言葉を選んでいたようです。ここが非常に興味深いところです。
数えられないものを数える
もうひとつ、「(YouTube動画などの)数字を回す」という言い方についても考えてみます。
ヴェーバーは、近代の資本主義を支えたものとして「複式簿記」を挙げました。儲かっているかどうかを、感覚で判断するのではなく、すべての取引を「何が増減したか」と「その原因は何か」の2つの側面から、借方・貸方に分けて記録することで明らかにする方法です。
同じ本のなかで、彼はベンジャミン・フランクリンを資本主義の精神の見本として長く引用しています。18世紀アメリカの政治家で、印刷業から身を起こした人物です。フランクリンは節制や勤勉といった13の徳目を表にして、毎日できたかどうかを点で記録していました。自分の内面を、商売の帳簿と同じやり方で管理していました。
推し活でも、どれだけ好きかという量そのものは数えられません。その代わりに、再生回数もチャート順位も売上枚数も投票数も数えられます。推し活をしている人は、数えられないものの代わりに、数えられるものを積み上げていくことができます。
複式簿記が数えるのは商売の儲けで、フランクリンの表が数えるのは自分の生活で、推し活が数えるのは推しへの貢献というわけです。数えている中身はどれも違いますが、「数えることで自分を律していく」というかたちはいくらか共通しているように思えます。
ファンクラブと教派
では、参加する側の仕組みはどうでしょうか。こちらについては、ヴェーバーの別の文章のほうがよく当てはまります。
同じころに書かれた「プロテスタンティズムの教派と資本主義の精神」という短い論考です。河出書房新社の『ウェーバー 宗教・社会論集』に入っています。
ここで彼は、ヨーロッパの教会とアメリカの教派を対比しました。教会は生まれた土地で自動的に所属するもので、恩恵は誰にでも配られます。一方の教派は、審査を受けて認められた者だけが入れる団体でした。日ごろの品行を調べられ、入ったあとも素行が悪ければ除名されます。そのぶん、教派の一員であること自体が信用の証明になりました。ヴェーバーは、アメリカでは教派に属していることが掛け売りや融資の判断材料になっていた、と書いています。
ファンクラブにも、似たところがあります。ただし、教派のような入会審査はありません。会費を払えば入れるので、似ているのは審査ではなく、「続けることが資格になる」という部分です。一部のファンクラブでは、会員歴の長さが先行抽選の当選しやすさに反映されます。払い続けなければ資格は消えて、続けた年数が席の取りやすさという実際の利益になって返ってきます。途中で降りると席そのものが手に入らなくなるので、続けること自体が参加の条件になります。
ヴェーバーは論考のいちばん最後で、宗教的な動機が失われたあとも仕組みだけが残り、人がそこから出られなくなる状態を「鉄の檻」と呼びました。鉄の檻と呼ばれた仕組みも、はじめは信仰から自発的に始まったことでした。それがやがて仕組みだけになって、参加する人の気持ちとは関係なく回り続けるようになります。
「好きだから払う」だけでなく、「払い続けているから近くにいられる」、ということも起きてきます。どちらが先だったのかは、続けているうちに見分けがつかなくなっていくのかもしれません。
単価の上がり方と、コロナ期の値段
今回分析した数字のうち、ここまでの話といちばん関係が深いのは、「チケット単価の上がり方」でした。はじめの図でいうと、上の折れ線の赤と、下の帯でいちばん長い赤にあたります。
徒然研究室が分析した範囲では、高価格帯のK-POP公演の増加や会場規模の大型化だけでは説明できませんでした。考えられるのは、同じ公演のなかでも高価格の席種が増えるなど、売られる席の組み合わせが変わったことです。同じ席が45%高くなったのではなく、高い席や高い公演の割合が増えていました。
高いほうの席を買うというのは、その場で使い切ってしまう消費です。それと同時に、自分がどこまで応援したかを確かめる、金額で測れる貢献でもあります。お金を支払うことと、何かしらの資格を得ることが、ひとつの行為として統合されているようにも見えます。こうなると、消費と生産を分けて考えることが難しくなってくるのではないでしょうか。
冒頭の図のコロナ期間に着目してみましょう。

同じ2019年を100とした指数のうち、青い公演数と赤いチケット平均単価の2本だけを立てて、残りは薄いグレーに落としてあります。灰色に敷いてあるところが、2020年と2021年です。
公演数は2020年に33.4まで落ちますが、単価は97.0にとどまり、いちばん下がった2021年でも90.6でした。
ただし、これを支払いが証明になっている証拠として読むのは性急すぎるかもしれません。客席を減らして開催すれば、少ない席数で固定費を回収することになりますし、感染対策の費用も乗っかってきます。小規模の公演から先に消えたのだとすれば、それだけでも平均は上がります。値段が下がらなかった理由は、供給の側にもいくつも考えられます。ここで言えるのは、供給が3分の1になっても値段は素直に下がらなかった、という観察結果までです。
禁欲と、貯まったものの行き先
ここで、ヴェーバーの言う「禁欲」との違いが出てきます。
彼が論じたカルヴァン派の信者たちは、儲けても使わずに貯めることで、自分の手元に資本を作りました。推し活のほうは、公演が終われば何も残らないようにも見えます。ただ、作ったり広めたりする活動まで含めて考えると、こちらでも積み上がっていくものがあります。例えば、翻訳やまとめやアーカイブが残ります。あるいは、人が集まる場が残り、推し本人の知名度と市場での価値が積み上がっていきます。
違いは、積み上がるかどうかではないようです。「積み上がったものが残る場所が自分の手元ではない」というところに違いがありそうです。リスナーやファンは、決まったやり方で働き、自分のための出費を切り詰めます。そうやってできた成果は、アーティストやアイドルと言った「別の誰か」の資産になっていきます。
その資産は、どこに積み上がっているのでしょうか。いちど俯瞰して、日本の音楽関連市場全体を眺めてみましょう。
次の図は、日本の音楽に関わる市場の規模を1956年からたどったものです。横軸が年、帯の厚みがその年の金額で、色が種類を表しています。

眺めてみると、いちばん大きな稼ぎ手が何度も入れ替わってきた様子がわかります。SPレコードからアナログ盤へ移り、1987年に12cmCDが最大になり、2013年からはライブ市場が最大です。興味深いことに、コロナ期の2020年だけ12cmCDに戻り、2021年からまたライブに戻っています。2025年は全体の64.8%がライブで、市場そのものの大きさも1956年以降でいちばん大きくなっています。
ただし、この帯のうちライブだけは算出方法が違います。CDなど日本レコード協会さんの数字が全国の生産金額や売上実績であるのに対して、ライブはコンサートプロモーターズ協会さんの会員社が開催した公演だけを足したものです。日本全体のライブ市場を数えたものではないので、この64.8%をそのまま業界の構成比として読むことはできません。
それでも、推し活として続けられている働きが向かう先が、この帯のどこかであることは間違いありません。そしてライブの帯は厚みを増していきますが、その厚みは、増やした人の手元には残りません。
ここまで見てくると、推し活の働き方とヴェーバーの言う禁欲は、かけ離れたものには見えません。違っているのは「貯まったものが自分に返ってこない」という一点で、あとはよく似ているように思えます。
ヴェーバーの議論と重ならないところ
とはいえ、どうしても重ならないところがあります。
カルヴァン派の信者は、自分の仕事で自分の確証を得ていました。働く人と、それによって納得する人が同じです。推し活のほうには、あいだに推しという別の人がはさまります。自分が働き、その成果が推しの成功になり、それを見て自分が納得します。あいだに、別の人の成功という段階がひとつ入っています。神には市場での価値も所属事務所もありません。ヴェーバーが見ていた世界には、この段階そのものがありませんでした。
推しを変えられるという点も違います。天職は生涯にわたって続くものとされていましたが、推し活では対象を移すことができます。ただ、「推し変」という言葉に後ろめたさがついて回ることは、それ自体が何かを示しているのかもしれません。
もうひとつ、そもそもの始まりが説明されていません。なぜ、ほかの誰でもなく、その人が推しになったのでしょうか。
カルヴァン派の信者にとって、神は選ぶものではありませんでした。生まれたときからそこにいるもので、天職も自分で選んだのではなく、与えられたものです。ヴェーバーが書いたのは、打ち込みはじめたあとの続け方です。「誰かを好きになる最初の瞬間」は、ヴェーバーの宗教社会学においては自明すぎた要素なのかもしれません。
コリン・キャンベルと、欲望の生まれ方
この問いに向き合ったのが、コリン・キャンベルというイギリスの社会学者です。1987年に The Romantic Ethic and the Spirit of Modern Consumerism という本を出しています。邦訳がまだ出ていないので、ここでは仮に『ロマン主義的倫理と近代消費主義の精神』と呼ぶことにします。
題名を見ればわかるとおり、ヴェーバーの本と対になるように書かれた本です。ヴェーバーが説明したのは、作って売る側の精神でした。では、買う側の精神はどこから来たのか、というのがキャンベルの問いです。
キャンベルの答えは、禁欲ではなくロマン主義でした。近代の消費者が本当に求めているのは、物そのものではないと彼は考えます。それを手に入れたときの自分を思い描いている時間にこそ、楽しみの中心があります。実際に手に入れてみると、思い描いていたものとは必ずどこかがずれます。そのため、満足は長く続きません。そこでまた次のものを思い描くようになります。欲しいという状態そのものが、何度でも作り直されていきます。
発売を待っているあいだや、チケットが当たってから当日までの時間を思い浮かべると、この説明にはうなずけるところがあります。
ビョンチョル・ハンと「自己搾取」
もうひとつ、もっと近い時代の議論も見ておきます。
ビョンチョル・ハンは、韓国に生まれてドイツで活動している哲学者です。

2010年に出た『疲労社会』(邦訳は2021年)などで、社会が人を動かすやり方が変わったと書いています。かつての社会は、「してはいけないこと」を禁じることで人を従わせていました。いまは、「あなたにはできるはずだ」と促すやり方に変わった、というのがハンの整理です。
禁じる側が外にいるあいだは、人はそれに抵抗することができます。ところが、できるはずだと促されると、うまくいかないのは自分のせいになります。誰にも強制されていないのに、自分で自分を追い立てるようになります。ハンはこれを「自己搾取」と呼びました。
ヴェーバーが論じた信者たちを追い立てていたのは、「外にいる神」でした。推し活には、その神にあたる存在が見当たりません。推し活が自発的で楽しく、それでいて燃え尽きが起こることもあるのは、ハンの言う自己搾取に近いのかもしれません。ヴェーバーの鉄の檻でいえば、「檻はまだあるのに、内側からは壁が見えなくなっている」ということなのかもしれません。
説明できること、できないこと
三人の議論を並べてみると、それぞれが違う場面の理解を助けてくれるように思います。
キャンベルが、なぜ欲しくなるのかを説明してくれます。ヴェーバーが、その気持ちがどうやって務めに変わり、決まったやり方になるのかを説明してくれます。教派についての論考が、続けることがどうやって参加の資格になるのかを説明してくれます。そしてハンが、なぜそれが強制ではなく自由に感じられるのかを説明してくれます。
それでも、どれもが説明していないところがひとつ残るように思えます。「打ち込む先が、市場で値段のつく他人である」という点です。ヴェーバーの神にも、キャンベルの思い描く対象にも、値段はついていませんでした。
価値をつくる側と、買い戻す側
値段がつくとどうなるのかを、順に並べてみます。
まず誰かを好きになり、公演に通い、布教をして、数字を回します。その働きは推しの知名度や実績になって、市場での価値を押し上げます。価値が上がれば、会場は大きくなり、席の種類は増えて、値段も上がります。そして「上がった値段を払うこと」自体が、こんどはより強い応援の証明になります。払ったぶんがまた価値を押し上げるので、ここでもう一周するわけです。
ファンは、「価値をつくる側」であると同時に、「つくった価値をより高い値段で買い戻す側」でもある、ということになります。なんだかすごい構造です。
冒頭の数字に戻ってみます。6年で単価が45.1%上がり、それでも延べ動員は21.1%増えていました。値上がりが人を遠ざけなかったというより、値上がりそのものが、この循環のなかに組み込まれていたのかもしれません。
既存の古典や社会理論が十分に説明していないのは、
「ファンが対象の価値をつくり、上がった価値を自ら高い値段で買い戻す」
という循環です。
これは、私たちがいま目撃している新しい社会現象なのかもしれません。そう考えると、少しワクワクします!
本稿の限界
最後に、ここまで書いてきたことはデータだけで確かめられるものではない、ということも書き留めておきたいと思います。
ACPCさんの集計は会員社が開催した公演だけを対象にしていて、日本全体のライブ市場を数えたものではありません。調査に答えている会員社も2019年の69社から2025年の90社へ増えていて、2025年からは一部の賛助会員社も加わりました。ACPCさんも報告のたびに調査対象の社数を公表していて、この拡大を明記しています。
公演数や売上額の水準にはこの拡大が含まれているので、伸びのすべてが同じ土俵での増加ではありません。ただし単価は売上額を動員数で割った値なので、会社が増えたからといって上がるとは限りません。
ACPCさんの集計が数えているのは公演の数と延べの動員であって、誰が何回行ったかではありません。同じ人が回数を増やしたのか、行く人そのものが増えたのかは、この数字からは分けられません。
ここで見てきた布教や応援広告やファンアートは、そもそもこの調査の対象に入っていません。単価の上がり方についても、区別できていないことがあります。高い席を選ぶ人が増えた結果なのか、転売に流れていた分を主催者側が正規の価格帯として取り込んだ結果なのかが分かりません。もし後者だとすれば、精神の話を持ち出さなくても、チケットの売り方の設計だけで説明がついてしまいます。
数字と矛盾しない読み方がひとつ見つかった、という以上のことは言えないようです。
以上、徒然研究室でした。Xでもオープンデータとプログラミングで関心あることを分析してポストしています。どうぞご贔屓に🙏
空調の効いた家でフジロックの生配信を見ながら「会場はどれくらい暑いのだろう...」と思って、日本の大規模夏フェス会場の夏季平均気温の推移を調べてみました。涼しさで知られる苗場や山中湖も、気温上昇の速さは他の会場とほとんど変わりません。対象にしたのは、フジロック、ロッキン、サマソニ、… pic.twitter.com/V9pyWlMMXJ
— 徒然研究室✍🏻 (@tsurezure_lab) July 25, 2026
データについて
なお本稿は、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会「ACPC基礎調査」、一般社団法人日本レコード協会とTuneCore Japanの公表数値、総務省統計局「2020年基準消費者物価指数」を加工して作成しています。
ライブ市場の分析は2019年から2025年の通年データを、音楽関連市場の推移は1956年から2025年のデータを対象としています。
本記事は、政府統計総合窓口(e-Stat)のAPI機能を使用していますが、記事の内容は国によって保証されたものではありません。
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