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なぜ脱炭素は進まないのか ―― 問題は「技術」ではなく「経済ルール」である





注記・参考文献について
本稿の注記および参考文献の整理には、文献探索・情報整理の補助として生成AIを使用しています。
そのため、現段階で記載されている文献情報、書誌情報、研究内容の要約等には、著者自身による原典確認が完了していないものが含まれます。特に、生成AIが提示した参考文献については、実際の原典における記述や文脈と、本稿で要約している内容が完全に一致しているとは限りません。
なお、生成AIは文献探索や情報整理の補助として使用しており、本文の問題設定、論旨、政策的判断および最終的な主張については、本稿著者自身が検討・決定したものです。

なぜ脱炭素は進まないのか ―― 問題は「技術」ではなく「経済ルール」である


【第1部】:なぜ脱炭素は進まないのか

――問題は「技術」ではなく「経済ルール」である


はじめに

世界中で、気候変動への危機感はかつてないほど高まっています。猛暑、豪雨、干ばつ、森林火災。これらはもはや一時的な異常気象ではなく、社会そのものを揺るがすリスクとして認識されるようになりました。

脱炭素は世界共通の目標となり、多くの国が2050年カーボンニュートラルを掲げています。太陽光発電や風力発電は急速に普及し、EVの販売台数も増えています。AIはエネルギー管理を高度化し、新しい蓄電技術や水素技術も研究されています。

つまり、技術は確実に進歩しています。

しかし、その一方で世界全体のCO₂排出量は依然として高止まりしています。AIデータセンターの電力需要は急増し、航空需要は増え続け、肉の消費量も世界的には増加しています。再エネが増えているにもかかわらず、化石燃料も依然として大量に使われています。

なぜでしょうか。技術が足りないのでしょうか。人々の意識が低いのでしょうか。私はそうは考えていません。

本当の問題は、現在の経済ルールそのものが、脱炭素を実現できる構造になっていないことにあります。そしてさらに重要なのは、そのルールを抜本的に見直す議論自体が、ほとんど社会で行われていないことです。

本稿では、「なぜ脱炭素は進まないのか」という問いを入り口に、現在の経済システム、政治、学問、そして国際社会の構造まで視野を広げながら、現実的な改革の方向性について考えてみたいと思います。


第1章

市場価格は、本当に「正しい価格」なのか

市場経済では、価格は需要と供給によって決まると説明されます。そして価格は、社会にとって最も効率的な資源配分を実現すると考えられています。この考え方自体は、一定の条件下では極めて合理的です。

しかし、その条件が崩れると、価格は社会全体にとって望ましいものではなくなります。気候変動は、まさにその典型例です。

例えば、石炭火力発電は非常に安価な電力を供給できます。しかし、その価格には異常気象による損害、海面上昇、農業被害、健康被害、生態系破壊、将来世代への負担などのコストはほとんど含まれていません。つまり、現在の市場価格は、社会全体のコストを反映していないのです。

経済学では、これを外部不経済と呼びます【注1】
本来ならば、排出によって社会へ与える損害も価格へ反映されるべきです。しかし現実には、排出する主体ではなく、社会全体がその負担を引き受けています。

これは市場経済の失敗であり、市場そのものを否定する話ではありません。むしろ、市場が本来の機能を果たせるよう、ルールを修正する必要があるということです。

なぜ化石燃料は今でも安いのか

化石燃料だけではありません。畜産業も、航空産業も、AIデータセンターも同じです。大量のCO₂を排出しても、十分な価格負担をしていません。

AIは将来、社会に大きな利益をもたらす可能性があります。しかし、巨大データセンターの電力消費が急増し、その電力が化石燃料由来であれば、当然ながら排出も増えます。それでも、電気料金は比較的安価です。

つまり、CO₂排出のコストは依然として十分に内部化されていません。市場から見れば、「大量排出すること」が依然として合理的な選択になっています。その結果、企業も消費者も、経済合理性に従って行動した結果として、排出を続けることになります。

これは企業が悪いのでも、消費者が悪いのでもありません。価格シグナルが間違っているからです。

再生可能エネルギーが安くなっても、社会全体はすぐには置き換わらない

近年、太陽光発電や風力発電の発電コストは大きく低下し、多くの地域では、新設の化石燃料発電よりも安価になるケースも増えています。

しかし、この事実だけでは、「再生可能エネルギーの方が経済的に有利なのだから、自然に脱炭素が進むはずだ」という結論にはなりません。
なぜなら、社会全体のエネルギーシステムは、一つの発電設備だけで成り立っているわけではないからです。

例えば、再生可能エネルギーの導入が増えるほど、

  • 送電網の増強

  • 蓄電設備の整備

  • 系統を安定させるための調整力

  • 天候による出力変動への対応

など、新たな社会インフラへの投資が必要になります。

さらに、工場設備、自動車、船舶、航空機、住宅設備など、現在の社会は化石燃料を前提として構築された巨大な資本ストックの上に成り立っています。
仮に新しい設備の方が将来的には経済的であったとしても、既存設備を途中で廃棄して置き換えることには、多額の初期投資や移行コストが伴います。

また、産業によっては、そもそも電力への転換が容易ではありません。
航空、海運、高温の熱を必要とする製鉄・化学・セメントなどでは、電化だけで脱炭素を実現することは依然として難しく、水素や合成燃料、CCSなど、追加的な技術やコストが必要になる可能性があります。

つまり、「再生可能エネルギー単体の発電コストが下がった」という事実と、「社会全体として化石燃料より有利になった」ということは、必ずしも同じ意味ではありません。

だからこそ、現在の市場価格だけに任せていては、既存システムを維持し続ける方が依然として経済合理的になる場面が多く残ります。
そして、その背景には、CO₂排出による社会的コストが十分に価格へ反映されていないという問題も重なっています。

重要なのは、「再生可能エネルギーの技術が未熟だから移行が進まない」のではなく、「社会全体の移行コストと市場価格との間に大きなギャップが存在する」という点です。本稿で問題にしているのは、まさにそのギャップを埋める制度設計です。


【脚注】
【注1】
外部不経済とは、ある経済活動によって生じる費用が、その活動主体の負担する市場価格に反映されず、第三者や社会全体が負担する状態を指す。環境汚染を外部不経済として捉え、その社会的費用を経済活動に組み込む考え方は、A. C. Pigou, The Economics of Welfare (1920) 以来、環境経済学の基本的な論点となっている。


第2章

炭素税は理論上ほぼ解決策である

ここで重要なのは、この問題は新しい発見ではないということです。経済学は100年以上前から、外部不経済への対策を提案してきました。代表例が炭素税です【注2】

排出量に応じて負担を求めれば、市場価格は本来の社会コストへ近づきます。すると、企業は自然に省エネを進め、再エネへの投資も増え、排出の少ない製品が競争力を持つようになります。

市場を否定する必要はありません。市場が正しく働くよう、ルールを補正するだけです。つまり、炭素税は、資本主義を壊す政策ではありません。むしろ、市場経済を正常に機能させる政策です。

しかし、現実には極めて不十分

ところが、実際の炭素価格は極めて低い水準にとどまっています。多くの国では、気候変動を止めるために必要と考えられる水準には到底達していません。対象産業も限定され、例外措置も多く、国際競争力への配慮から、大きな負担を避ける制度になっています。

つまり、経済学が理論的にはかなり以前から方向性を示していたにもかかわらず、政治はそれを十分実現していないのです。

ここで疑問が生まれます。なぜ、必要性が広く認識されている政策が、何十年も実現しないのでしょうか。


【脚注】
【注2】
外部不経済を市場価格に反映させる政策として、環境税や炭素価格が用いられてきた。気候変動については、CO₂排出に伴う社会的費用を炭素価格として経済活動に反映させることが、主要な政策手段の一つとして位置付けられている。IPCC AR6 WGIII、World Bank State and Trends of Carbon Pricing 等を参照。


第3章

囚人のジレンマだけでは説明できない

よく説明される理由が、国家間の囚人のジレンマです【注3】

一国だけが強い炭素税を導入すれば、企業は規制の緩い国へ移転します。産業競争力を失えば、雇用も税収も失われます。そのため、各国とも「他国が先にやってくれれば」と考え、結果として誰も十分な政策を実施できません。

この説明は間違っていません。むしろ、気候変動問題がなぜ国家間協力を困難にするのかを説明するうえで、囚人のジレンマは非常に根本的な問題です。しかし、私は、それだけでは現在の状況を十分に説明できないと考えています。
なぜなら、囚人のジレンマが存在することと、そのジレンマがなぜこれほど長期間にわたって解消されず、しかも「強い対策は経済に悪影響を与える」という認識が繰り返し政策判断を拘束してきたのかは、別の問題だからです。

もし問題が単純に国家間の利害対立だけであるなら、各国が協力して共通ルールを作り、競争条件を揃えることによって、囚人のジレンマを緩和する方向へ進むことも考えられます。実際、国際的な環境協定や貿易ルールなどには、そのための制度的試みが存在します。
ところが気候変動をめぐっては、強い排出規制、化石燃料への課税、補助金の削減、需要抑制など、既存の経済構造に大きな影響を与える政策ほど、しばしば「非現実的」「経済成長を阻害する」「産業競争力を失わせる」として退けられてきました。

ここで重要になるのが、国家間の利害対立だけではなく、各国の国内政治と、その背後にある経済的な権力関係です。
どの政策を選択肢として認めるのか。どこまでの規制を「現実的」とみなすのか。何を経済的損失と考え、何を社会的利益と考えるのか。こうした前提そのものが、企業、産業団体、資本、政府、専門家、シンクタンク、メディアなどの相互作用によって形成されます。

つまり、気候政策の停滞は、単に「各国が自国の利益を優先している」という問題だけではありません。そもそも各国が「自国の利益とは何か」を判断する際の政策的な枠組みそのものが、既存の経済構造から強い影響を受けている可能性があります。

私は、気候変動問題を理解するためには、国家間の囚人のジレンマを出発点としながらも、その背後で、誰が政策の選択肢を定義し、何が「現実的」とされ、どのような政策が政治的に可能なものとして残されるのかまで見る必要があると考えています。

パリ協定は重要だが、それだけでは足りない

パリ協定は歴史的な前進でした。しかし、その基本構造は各国が自主的に目標を提出する方式です。達成できなくても、本質的な制裁はありません。

つまり、世界共通の課題でありながら、解決は各国政府の善意と国内政治に委ねられています。これは、制度設計として明らかに限界があります。

世界市場はすでに一体化しています。巨大企業は国境を越えて活動しています。資本も瞬時に移動します。しかし、気候ルールだけは依然として国家単位です。

この非対称性は、偶然というよりも、現在の経済・政治構造の帰結として理解する方が自然ではないでしょうか。


【脚注】
【注3】
気候変動対策における国際協力の難しさについては、地球規模の公共財、フリーライダー問題、囚人のジレンマ等の観点から、環境経済学・国際政治学において広く研究されている。本稿では、各国が自国の短期的利益を優先すると、個々の国にとって合理的な行動の積み重ねが、全体として望ましくない結果を生むという問題を指している。



【第2部】:なぜ必要な制度改革は実現しないのか


第4章

世界政府のない世界では、気候問題は構造的に解決しにくい

気候変動は、一つの国だけでは解決できません。ある国が排出を減らしても、別の国が増やせば、大気中のCO₂濃度は上昇し続けます。つまり気候変動は、人類全体が共有する「グローバル公共財」の問題です。

ところが現在の国際社会には、この問題に対して強制力を持って介入できる世界政府は存在しません。国連も、加盟国の主権を超えて命令を出すことはできません。国際司法裁判所も、国家の同意なしに政策を変更させることはできません。パリ協定もまた、各国が自主的に削減目標を提出し、それを努力して達成するという枠組みです【注4】。これは外交的には大きな成果でしたが、制度として見ると、気候変動という世界規模の課題に対して十分な拘束力を持っているとは言えません。

もし世界全体に共通の炭素価格や、累積排出責任を考慮した資金移転制度、あるいは炭素リーケージを防ぐ統一ルールが存在すれば、各国が「自分だけ損をする」という状況は大きく緩和されます。しかし、そのような制度は現在も実現していません。

ここで考えるべきなのは、「なぜできないのか」ではなく、「なぜそのような制度を本気で作ろうという政治的な力が十分に形成されてこなかったのか」という点です。


【脚注】
【注4】
パリ協定は、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力を追求することを長期的な目標として掲げている。また、各国が自国の削減目標(NDC)を定め、一定期間ごとに目標を更新する仕組みを採用している。UNFCCC, Paris Agreement を参照。


第5章

政治はなぜ長期利益より短期利益を優先するのか

民主主義には大きな長所があります。権力を監視し、市民が政治を選択できることです。しかし同時に、短期的な政治判断が優先されやすいという弱点もあります。

炭素税を大幅に引き上げれば、ガソリン価格や電気料金は上昇します。その負担はすぐに有権者へ届きます。一方で、気候変動を防ぐ利益は数十年後に現れます。政治家は数年ごとに選挙を迎えます。そのため、「将来の利益」より「目先の負担」を避けるインセンティブが働きやすくなります。

しかし、それだけではありません。現代の政治では、資金、人材、情報、政策立案能力など、多くの面で企業や業界団体との関係が深くなっています。もちろん、企業が政策形成に参加すること自体は悪いことではありません。専門知識を提供し、現実的な制度設計に貢献する面もあります。

問題は、その影響力が極端に偏る場合です。資本規模の大きい産業ほど、ロビイング、シンクタンクへの資金提供、政策提言、広報活動などを通じて、自らに有利な制度設計を働きかける能力を持っています【注5】。これは特定の誰かが秘密裏に社会を支配しているという話ではありません。制度上、資金や情報を多く持つ主体ほど、政策形成への影響力を持ちやすいという、ごく一般的な政治経済の構造です。

その結果、短期的に大きな負担を求める政策は実現しにくくなります。


【脚注】
【注5】
企業・利益団体・業界団体等が、ロビー活動、政策提言、専門家ネットワーク等を通じて政策形成に影響を与えることについては、政治学・公共政策研究で広く研究されている。こうした活動そのものは民主主義社会における正当な政治参加の一形態でもあるが、影響力が特定の主体に過度に集中する場合には、政策形成の公平性や透明性が問題となる。OECDのロビー活動・政治的影響に関する研究等を参照。


第6章

現在の制度は、累積CO₂排出の責任を十分に反映していない

現在の気候政策のもう一つの特徴は、「これから排出する人」に負担を求めることです。しかし、気候変動は累積排出量によって進行します。現在の大気中にあるCO₂の多くは、産業革命以降、長年にわたって排出され続けた結果です。今日の先進国の豊かさや、多くの巨大企業の資本蓄積は、その歴史の上に成り立っています。

もちろん、現在の人々が過去のすべての責任を負うべきだと言いたいわけではありません。しかし、制度として見た場合、過去の排出によって形成された利益と、現在求められる負担との間には、大きな非対称性があります。

その結果、炭素税だけを導入すると、「生活者ばかりが負担する」「地方ほど負担が大きい」といった反発が生まれやすくなります。黄色いベスト運動などは、その一例としてしばしば挙げられます。つまり、現在の制度は環境面だけでなく、公平性の面でも政治的支持を得にくい構造になっています。

もし累積排出や過去の利益の蓄積も考慮した制度設計ができれば、同じ炭素価格でも社会的な受容性は変わる可能性があります。【注6】


【脚注】
【注6】
気候変動における「公平性」については、各国の歴史的排出量、現在の排出量、人口当たり排出量、経済力、開発段階等をどのように考慮するかという観点から、気候正義および国際環境政策の分野で議論されている。パリ協定も「共通だが差異ある責任と各国の能力(CBDR-RC)」の原則を踏まえている。


第7章

研究はなぜ偏るのか

ここから先は、私自身の考えを含みます。
(※注:本章および次章における学問・研究環境や政治構造への洞察は、既存の政治経済学や科学社会学の理論的関心を背景にしつつも、現時点では検証途上の「ひとつの仮説」として提示するものです)

市場経済を維持しながら、公平性を高め、気候変動にも対応する制度は、本当に存在しないのでしょうか。私はそうは思いません。累積排出責任を反映した炭素配当、世界的な炭素基金、超過利潤への課税、国際的な炭素調整制度など、部分的な提案はすでに存在しています。

しかし、それらを統合し、「市場ルールそのものを更新する」という議論は主流にはなっていません。なぜでしょうか。

一つの理由は、研究や政策形成のインセンティブ構造にあるのではないかと私は考えています。研究者は自由に研究できます。しかし、現実には研究資金、大学評価、学術誌、シンクタンク、政策委員会など、多くの制度の中で活動しています。

どの研究に予算が付きやすいか。どのテーマが政策に採用されやすいか。どのようなテーマが評価されやすいか。こうした積み重ねが、学問全体の方向性にも影響を与えます 【注7】

これは経済学だけではありません。あらゆる学問で起こり得ることです。したがって、「研究者が資本に支配されている」という単純な話ではなく、「制度全体として、既存の市場を前提とした研究の方が進みやすい傾向があるのではないか」という仮説として考えるべきでしょう。

「選別は命令ではなく、インセンティブによって起こる」

例えば、企業や政府が「この研究をしてはいけない」と直接命令することは、現代ではそれほど多くありません。
しかし、研究費の配分、助成制度、大学評価、産学連携、企業との共同研究などを通じて、「どのような研究が進みやすいか」は大きく左右されます。

研究者自身が強制されていると感じていなくても、

・研究費が獲得しやすいテーマ
・社会的評価を受けやすいテーマ
・企業との協力が得やすいテーマ

へと、研究の重心が少しずつ移っていくことがあります。
これは個人の善悪ではなく、制度が生み出すインセンティブの問題です。

だからこそ問題なのは、誰か一人が科学を支配していることではありません。制度全体として、どの研究が支援され、どの研究が周辺化されるかを決める力が偏ることです。


【脚注】
【注7】

本章では、研究資金、大学評価、助成制度、産学連携、政策委員会等の制度的インセンティブが、研究テーマの選択や知識生産の方向性に影響を与え得るという観点から論じている。この問題は科学社会学(STS)、知識社会学、科学研究の政治経済学等において研究されている。本稿の具体的な制度間の因果関係については分野・国・制度ごとの実証研究によって検証する必要があり、本章ではこれを一つの分析仮説として提示している。


第8章

制度を動かしたのは誰か ーー 新自由主義とは何だったのか

ここでも、私は一つの視点を提示したいと思います。

新自由主義は、しばしば「市場を重視する思想」と説明されます。しかし、実際に進んだのは、単純な市場化だけではありませんでした。金融の自由化、資本移動の自由化、規制緩和、民営化、国際企業の巨大化などによって、資本は国境を越えて活動しやすくなりました。

ここで言う新自由主義とは、単に「市場を重視する考え方」という意味ではありません。
1970年代以降、各国で進められた規制緩和、民営化、金融自由化などの政策を通じて、市場競争を制度の中心に据えようとした政治・経済の潮流を指しています。
こうした変化は自然発生的に起こったわけではなく、政府、企業、経済団体、シンクタンクなど、多くの主体が相互に影響を与えながら形成されてきました【注8】

一方で、民主主義の仕組みは依然として国民国家単位です。つまり、資本はグローバル化したのに、民主主義はローカルなままです。この非対称性は、巨大資本が各国政府よりも強い交渉力を持ちやすい環境を生み出しました。

重要なのは、資本主義そのものが問題だったというより、巨大な経済主体が政治や制度形成に強い影響力を持てる状態に対し、民主的なガバナンスやチェック機能が十分ではなかったことです。
市場は本来、競争を通じて効率性を高める優れた仕組みですが、市場参加者が制度そのものを左右できるほどの政治的影響力を持つようになると、競争そのものより、制度設計を有利にすることの方が利益を生みやすくなる場合があります。

その影響は、必ずしも露骨な汚職や違法行為として現れるわけではありません。

ロビー活動、
政治献金、
業界団体による政策提言、
シンクタンクへの資金提供、
専門家委員会への参加、
メディア広告、
大学研究への資金提供など、

合法的で民主主義社会でも認められた制度を通じて、少しずつ政策や世論の方向性が形成されていきます。

その結果、社会全体として「何が現実的な政策か」「何が経済的に正しいと考えられるか」という政策判断の前提そのものが、特定の経済的利益と整合する方向へ形成されることがあります【注9】。

これは、誰かが直接命令して政策を決めるという意味ではありません。むしろ、企業や業界団体、資本、シンクタンク、専門家、メディアなどが、それぞれの立場から継続的に情報を発信し、政策提言を行い、研究を支援し、人材を送り出し、政治家や行政との関係を築くことによって、「何が現実的で、何が非現実的なのか」という政策の境界そのものを形作っていくということです。

その結果、特定の政策が法律によって禁止されているわけではないにもかかわらず、「それは現実的ではない」「経済を壊す」「市場に任せるべきだ」とされ、最初から政策の選択肢から外れていくことがあります。
逆に、既存の経済構造と親和性の高い政策は、「現実的」「成長と両立できる」「市場に適合している」として選択されやすくなります。

私は、ここに現代の権力の重要な特徴があると考えています。権力は、政策を直接命令によって決めるだけではありません。何を政策として考えることができるのか、その「選択可能な範囲」そのものを狭めたり広げたりすることによって、政策の方向を間接的に決定することがあります。

この意味で、現在の政策が特定の方向へ繰り返し誘導されてきたことを、単純に「市場が自然にそうした」「経済合理性の結果だ」と捉えることには注意が必要です。そこには、どの利益が政治的に強く代表され、どの知識や専門性が重視され、どの政策が「現実的」と認められるのかをめぐる、継続的な権力関係が存在しているからです。

私は、新自由主義を「資本主義そのもの」と考えるべきではないと思います。むしろ、市場経済の中で資本の自由度が大きく拡大し、それを民主主義が十分に統制できなくなった一つの歴史的段階として理解すべきではないでしょうか。

したがって、「資本主義だから問題なのだ」という議論だけでは、本質を捉えきれません。仮に社会主義体制へ移行したとしても、権力を監視し、透明性を確保する仕組みが不十分であれば、権力の集中や利益誘導は別の形で生じる可能性があります。重要なのは体制の名称ではなく、どのような体制であっても権力が過度に集中しないガバナンスを構築できるかどうかです。


【脚注】
【注8】
1970年代以降の規制緩和、民営化、金融自由化、市場競争の拡大などを含む「新自由主義的」な政策転換については、政治経済学・社会学等において広く研究されている。本稿では、これらを単純に「自然な市場の進化」と捉えるのではなく、政府、企業、経済団体、シンクタンク、専門家等の複数の主体が相互に作用する政治的・制度的過程として捉えている。
【注9】
ロビー活動、政治献金、シンクタンク、専門家ネットワーク、メディア、研究資金等を通じて、特定の経済的・政治的主体が政策形成や世論形成に影響を与える可能性については、政治学・公共政策研究で広く研究されている。本稿では、違法な汚職だけを「権力」とみなすのではなく、合法的な制度的経路を含む、政策形成に対する継続的な影響力を「間接的な権力」として捉えている。なお、こうした影響力の存在は、必ずしも個々の政策が特定企業の意思によって決定されたことを意味するものではなく、制度的インセンティブや政策ネットワークを通じた選別・誘導の可能性を指している。



【第3部】:本当に必要なのは「資本主義か社会主義か」ではない


第9章

「資本主義か社会主義か」という対立は、本質的な問いではない

気候変動の議論では、「資本主義そのものが問題である」という主張を目にすることがあります。確かに、利益の最大化を追求する市場経済は、環境コストを十分に価格へ反映できない場合、過剰な資源消費を招くことがあります。その意味で、現在の資本主義が気候危機の一因となっているという指摘には、一理あります。

しかし、ここで重要なのは、「現在の資本主義」と「資本主義という経済システム」を区別することです。

市場経済は、本来、資源配分の効率性を高めるための仕組みです。その仕組みが適切に機能するためには、価格が社会全体のコストと利益を反映し、競争が公正に行われ、権力が過度に集中しないことが前提になります。ところが現実には、環境コストは価格に十分反映されず、市場支配力の強い主体ほど制度形成への影響力を持ちやすくなっています。つまり問題は、市場そのものではなく、市場を支えるルールとガバナンスが現代の課題に適応できていないことにあります。

同じことは、社会主義にも当てはまります。仮に市場を廃止し、生産手段を国家が管理したとしても、権力を監視する仕組みが弱ければ、資源配分はより不透明になり、特定の権力者や官僚機構への集中が起こり得ます。歴史は、その危険性も示してきました。

したがって、本当に問うべきなのは「資本主義か社会主義か」ではありません。どのような経済体制であっても、権力が社会全体の利益から逸脱したとき、それを是正できる制度が存在するかどうかです。


第10章

なぜ体制転換の議論は広がる一方で、制度改革の議論は広がらないのか

ここからは、私自身の仮説になります。
(※注:本章で述べる対立構図の要因分析は、思想史的・社会学的な関心に基づく私見・仮説です)

現在の社会では、資本主義を全面的に否定する議論は一定の存在感を持っています。一方で、「市場経済を維持したまま、そのルールだけを抜本的に更新する」という議論は、驚くほど少ないように感じます。

もちろん、そのような研究や提案がまったく存在しないわけではありません。しかし、社会的な注目度や政策論争の中心にはなっていません。その結果、私たちはしばしば次のような二項対立で考えてしまいます。

  • 現在の資本主義を維持する。

  • あるいは、社会主義など別の経済体制へ転換する。

しかし、この二択は、本当に現実を表しているのでしょうか。私はそうは思いません。市場経済を残しながら、炭素価格の仕組み、累積排出責任の反映、超過利潤の再配分、国際的なルール形成などを抜本的に見直すという第三の選択肢も存在するはずです。

にもかかわらず、その選択肢は十分に議論されていません。ここには、研究資金、政策形成、政治的関心、メディア報道など、さまざまな制度的要因が重なっている可能性があります。

また、体制転換を前面に出す議論は、現実の政策としては実現可能性が低いことが多く、結果として「現状維持しかない」という結論を補強してしまう場合もあります。これは誰かが意図的にそうしているというよりも、制度や政治のインセンティブの結果として、そのような構図が生まれている可能性があると私は考えています。


第11章

私たちに残された時間は、一般に考えられているより少ない

制度改革の必要性は、気候変動の時間軸を考えるとさらに大きくなります。

現在、多くの国は2050年カーボンニュートラルを掲げています。しかし、近年の研究では、気候変動は単純に直線的に進むだけではなく、一定の閾値を超えることで急激な変化が起こる可能性が指摘されています【注10】

これがティッピングポイントです。例えば、

  • グリーンランド氷床の融解

  • 西南極氷床の不安定化

  • 永久凍土からのメタン放出

  • アマゾン熱帯雨林の衰退

などは、一度進行すると、人為的な対策だけでは容易に元へ戻せない性質を持っています。

さらに懸念されているのは、これらのティッピングポイントが、それぞれ独立して存在しているわけではなく、相互に作用し得ることです。一つの変化が別の変化を促進し、それがさらに別の変化を引き起こすことで、ドミノ倒しのように複数のティッピングポイントを連鎖的に超えていく可能性があります。

そうなれば、問題は単に「人間が排出を続けている限り気候変動が進行する」という段階を超えます。人間が排出を大幅に削減した後であっても、すでに引き起こされた地球システムの変化が別の変化を誘発し、結果として温暖化や環境変化が自律的に進行してしまう状態に至ることが懸念されます。

これは、気候変動を単なる「排出量を減らせば解決できる問題」として扱うことの危険性を示しています。排出削減が遅れれば遅れるほど、私たちは将来の排出量だけでなく、地球システムそのものが持つ不可逆的な変化のリスクを背負うことになるからです。

この意味で、ティッピングポイントの連鎖は、人類がこれまで経験したことのない規模のリスクになり得ます。ひとたび地球システムの変化が連鎖的に進行すれば、人間の意思だけでは容易に止めることのできない変化が、世代を超えて続く可能性があるからです。

人間の活動によって今世紀中に起こりうる気候変動の転換要素(Lenton et. al., 2019, Natureより)

Image: Future Earth --- Remote sensing of tipping points in the climate system
© Future Earth
URL: https://futureearth.org/2021/02/22/remote-sensing-of-tipping-points-in-the-climate-system/

こうしたリスクを考慮するなら、「平均気温だけ」を見て時間的余裕を判断することは危険です。気候政策は、最悪の事態を避けるためのリスク管理でもあります。

現在広く用いられている排出削減シナリオや政策目標は、主として一定の気温上昇幅を抑えることを中心に設計されています。そのため、個々のティッピングポイントがどの温度水準で発生するのかという不確実性や、それらが相互作用して連鎖的な変化を引き起こすリスクまでを、十分に織り込んでいるとは言えません【注11】

ここで重要なのは、科学的知見が固定されたものではないということです。ティッピングポイントについては近年研究が急速に進み、従来考えられていたよりも低い温度上昇でも重大な変化が起こり得ることや、複数の地球システムが相互に作用することで、単独の変化からは予想できない規模のリスクが生じ得ることが指摘されています。
つまり、研究が進むほど、「どこまで温暖化しても大丈夫なのか」という安全域を楽観的に考えることは難しくなっています。これは、過去に設定された排出削減目標を、その前提となった科学的知見が変化した後もそのまま維持してよいのか、という問題を突きつけています。

不確実性が大きいから対策を遅らせるのではなく、不確実性が大きく、しかも一度発生すれば取り返しのつかない損失につながる可能性があるからこそ、安全側に立って対策を強化する必要があります。

したがって、現在想定されている排出削減ペースを「十分な対策」とみなすのではなく、ティッピングポイントの連鎖や不可逆的な変化まで含めたリスクを前提として、より速い排出削減を目指すべきです。

「目標の不足」と「達成の不足」が同時に起きている

ここで、もう一つ見落としてはならない問題があります。
現在、各国が掲げている気候目標そのものが、気候変動のリスクを十分に抑えるためには不十分である可能性があるうえ、その不十分な目標ですら、現実には達成できる見込みが立っていません。

つまり、私たちは二重の不足を抱えています。
一つは、そもそも掲げている目標の水準が足りないこと
そしてもう一つは、その目標に対してさえ、実際の政策や排出削減が追いついていないことです。

目標が必要量を下回っているだけなら、その目標を引き上げる必要があります。目標は十分でも達成できていないのであれば、政策を強化する必要があります。しかし現在起きているのは、その両方です。

必要な削減量より低い目標を掲げ、その目標にさえ届かない排出削減しか進んでいない。

この二つが重なれば、現在の政策をそのまま延長した先にあるのは、目標達成ではありません。目標そのものが不十分であるうえ、その不十分な目標すら達成できないという、二重の意味での失敗です。
これは、日常生活や個人の人生に置き換えて考えれば、極めて異常な状況です。

たとえば、重大な事故を避けるために必要な安全基準を自ら低く設定したうえで、その低い基準さえ満たせていない状態を、「まだ努力しているから大丈夫」として放置するでしょうか。
しかし、人類は現在、これに近いことを地球規模で行っています。

本来なら到底許容しないはずの失敗確率を、人類全体に関わる問題についてだけは、なぜか「仕方のないこと」として受け入れてしまっているのです。

気候変動は、一度起きた損失を後から金銭で取り戻せる通常の政策失敗とは異なります。ティッピングポイントのように、一度進行すれば容易に元へ戻せない変化が存在する以上、失敗してから対策を強化するという発想そのものに限界があります。
だからこそ、現在必要なのは、「目標を掲げているから大丈夫」と考えることではありません。

掲げている目標そのものが十分なのか。そして、その目標を本当に達成できる政策が実施されているのか。

この二つを同時に問い直す必要があります。
私は、ここに現在の気候政策をめぐる最も大きな問題の一つがあると考えています。

人類は、自分自身の日常生活や個々の人生では決して許容しないほどの重大なリスクを、人類全体に関わる問題については、あまりにも容易に黙認しているのです。

この異常な構図を、一刻も早く認識する必要があります。残された時間は、私たちが一般に想定しているほど長くありません。

私は、ティッピングポイントの不確実性や残されたカーボンバジェット 【注12】 を考慮すると、世界全体として少なくとも年率8%程度の排出削減を継続する規模を目指すべきだと考えています 【注13】

年率8%という数字そのものは、将来の排出経路や技術進歩、政策の実効性などによって検討の余地があります。しかし、ここで重要なのは数字の一点に固執することではありません。現在の削減ペースでは不十分であり、より急速な排出削減を前提として政策を設計する必要があるということです。

気候変動政策は、未来を正確に予測するための政策ではありません。不確実性を含む将来リスクに対して、取り返しのつかない損失を避けるための政策です。
したがって、「確実に危機が起こると証明されていない」ことを、対策を遅らせる理由にしてはならないのです。むしろ、不可逆的なリスクが存在する以上、そのリスクを許容できる水準まで下げることを政策目標とすべきなのです。


【脚注】
【注10】
気候システムのティッピングポイント(ティッピングエレメント)については、Lenton et al. (2019), “Climate tipping points — too risky to bet against,” Nature, 575, 592–595、およびArmstrong McKay et al. (2022), “Exceeding 1.5°C global warming could trigger multiple climate tipping points,” Science, 377, eabn7950等を参照。近年の研究では、複数のティッピングエレメントが相互作用し得ること、また1.5~2℃程度の温暖化でも複数のティッピングポイントが作動する可能性が指摘されている。
【注11】
本稿で「現在の排出削減シナリオがティッピングポイント等のリスクを十分に織り込んでいない」としているのは、IPCC等の気候評価がこれらのリスクを全く扱っていないという意味ではない。IPCCの評価でも、不可逆的変化や低確率・高影響のリスクは扱われている。一方で、個々のティッピングポイントが発生する温度閾値の不確実性や、複数の地球システム間の相互作用・連鎖を、排出削減経路に定量的かつ十分に組み込むことには大きな不確実性が残る。本稿では、このようなリスクを政策上より重く評価し、安全側に立った排出削減を行うべきだと考えている。
【注12】
残存カーボンバジェット(remaining carbon budget)とは、一定の温暖化目標を一定の確率で達成するために、今後排出できるCO₂の累積量を指す。IPCC AR6 WG1では、目標とする温度上昇だけでなく、その温度以下に収まる確率を設定して推計する必要があるとされている。推計値は基準年、温度目標、達成確率等によって変動するため、本稿では単一の確定値ではなく、排出削減の時間的制約を示す概念として用いている。

【注13】
本稿で示す「世界全体で年率8%程度」という排出削減率は、国際的に合意された一律の削減目標ではなく、現在の気候状況と残存カーボンバジェットを踏まえた、本稿における政策上の目安である。

この数字については、気候政策研究者Kevin Anderson教授が近年繰り返し示している議論を参考としている。
Anderson教授は、2026年2月のインタビューにおいて、パリ協定の「1.5℃」目標についてはすでに実質的に達成困難な状況にある一方、「well below 2℃」を維持することは理論上なお可能だが、そのためには世界全体で平均して年間約8%の排出削減を直ちに開始し、継続する必要があるとの趣旨を述べている。また、2025年12月のスコットランド議会における証言でも、2℃にとどめるためには世界全体で毎年8%の排出削減が必要との見解を示している。(⁠Climate Uncensored)

重要なのは、年率8%という数字を「正確に8%でなければならない」という意味で捉えることではない。排出削減を1年先送りすれば、その分だけ残されたカーボンバジェットを消費し、その後に必要となる年間削減率はさらに大きくなる。したがって、この数字はむしろ、「現在の政策が想定している数%程度の緩やかな削減では、2℃目標さえ維持することが極めて困難なところまで時間的余裕が失われている」ことを示す指標として理解すべきである。

本稿では、この最新の議論を踏まえ、さらにティッピングポイント等の不可逆的リスクを考慮して、安全側に立つために「少なくとも年率8%程度」という目標を設定している。これは科学的に確定した唯一の正解を提示するものではなく、現在の状況の厳しさを過小評価しないための政策上の基準である。

なお、Anderson教授の過去の研究・講演における削減率の数値は、対象とする温度目標、起点となる年、カーボンバジェットの推計、公平性の配分方法等によって異なる。本稿では、それらを区別したうえで、2026年時点の世界全体に関する最新の議論を主たる根拠としている。

Climate - Prof Kevin Anderson | National Emergency Briefing


第12章

グリーン成長だけで間に合うのか

こうした議論に対しては、「技術革新によるグリーン成長で解決できる」という意見があります。確かに、再生可能エネルギー、省エネルギー技術、電動化、AIによる効率化などは極めて重要です。これらなしに脱炭素は実現できません。しかし、それだけで十分かどうかは別の問題です。

グリーン成長論の根拠として挙げられるのが、デカップリングです。デカップリングとは、GDPが成長しても資源消費やCO₂排出が増えない、あるいは減少する現象を指します【注14】

一部の国では、確かに国内排出量が減少しながら経済成長を維持した例があります。
これは重要な成果です。しかし、慎重に評価する必要があります。

第一に、多くの改善は、エネルギー効率の改善や石炭から天然ガスへの転換、再生可能エネルギー導入など、比較的取り組みやすい分野で達成された可能性があります。いわゆる「手の届く果実」を収穫した段階とも考えられます。効率改善は初期ほど効果が大きく、その後は改善余地が小さくなる傾向があります。

第二に、国内排出量だけを見ると、製造業を海外へ移転した効果を見落とす場合があります。ある国が国内の工場を減らしても、その製品を海外から輸入していれば、世界全体の排出は減っていないかもしれません。このため、消費ベースで排出量を評価すると、デカップリングの程度は生産ベースより限定的であるという研究もあります【注15】

つまり、デカップリングは重要な進展であり、グリーン成長の可能性を示す現象でもあります。しかし、問題は、その速度と規模です。現在確認されているデカップリングの速度と規模は、気候変動を抑制するために必要な世界全体の排出削減量には到底届いていません。
したがって、「経済成長と排出削減を両立できる国が存在する」という事実から、「世界全体でも経済成長を維持したまま必要な速度で脱炭素できる」と結論づけることはできません。

また、この点を評価する際には、もう一つ重要な視点があります。
世界全体で見ると、再生可能エネルギーは急速に普及してきました。
それにもかかわらず、化石燃料の消費量は依然として高い水準を維持し、国際的には増加している地域も少なくありません。

つまり、多くの場合、再生可能エネルギーは既存の化石燃料を大規模に置き換えたというより、経済成長や人口増加に伴う新たなエネルギー需要を補う「追加電源」として機能してきました。
その結果、再生可能エネルギーは増えていても、世界全体のCO₂排出量は期待されたほど減少していないのです。
この点は、「再生可能エネルギーが増えれば、自動的に脱炭素が進む」と考えることの難しさを示しています【注16】

世界の一次エネルギー消費量(エネルギー源別)

(出典:Our World in Data – Global energy substitution

さらに重要なのは、世界全体のエネルギー構造です。
私たちが日常的に目にするのは発電の話題が中心ですが、電力は世界の最終エネルギー消費の一部(約2割)に過ぎません。
産業用の高温熱、鉄鋼・化学・セメント製造、航空、海運、長距離輸送など、多くの分野では依然として化石燃料への依存が大きく残っています。
したがって、仮に電力部門で再生可能エネルギーが急速に普及したとしても、それだけでエネルギーシステム全体が脱炭素化されるわけではありません。

世界の一次エネルギー供給では、化石燃料が依然として約8割を占めており、再生可能エネルギーは急速に拡大しているものの、エネルギー全体に占める割合はなお限定的です。特に、太陽光・風力が急増している一方で、それらはまず電力部門(最終エネルギー消費の約2割)を中心に普及しており、エネルギーシステム全体を置き換える段階にはまだ至っていません。

▼ イメージ(エネルギー構成)

化石燃料 ████████████████████████ 80%
再エネ  ███████       約15%
その他  ██         約5%

さらに、エネルギー効率の改善が必ずしも資源消費全体の削減につながるとは限らないことも知られています。
経済学では、この現象は「ジェボンズ・パラドックス」あるいはリバウンド効果として議論されてきました【注17】

技術革新によってエネルギー利用が効率化すると、利用コストが下がり、新たな需要や消費を生み出すことで、結果としてエネルギー消費全体があまり減らない、あるいは増加する場合があります。
もちろん、この効果の大きさについては研究によって評価が分かれます。
しかし少なくとも、「技術効率の改善だけで、世界全体の資源消費やCO₂排出が自動的に減少する」と考えることには慎重であるべきでしょう。

つまり、技術革新による効率改善は脱炭素の重要な手段ではあっても、それ自体が脱炭素を保証するものではありません。需要が増え続ける限り、効率改善だけでは化石燃料消費を減らせないからです。脱炭素を実現するには、「より効率よく使う」ことだけでなく、「何をどれだけ使うのか」を社会全体として変えていく必要があります。

排出ギャップ。あるべき状態と現状には大きな開きがあります。
赤やオレンジがNDC(パリ協定約束の合計)に基づくものですが、現在はその上、濃い青のラインを進んでいます。削減目標(2°C、1.5°C)ラインは公式的な見積もりなので甘めとなっています。

Image: UNEP, Emissions Gap Report 2025
© United Nations Environment Programme (UNEP)
URL: https://unepccc.org/emissions-gap-reports


【脚注】
【注14】

デカップリングには、GDPが増加する一方で排出量が減少する「絶対的デカップリング」と、排出量は増加するもののGDPより低い速度で増加する「相対的デカップリング」がある。IPCC AR6 WGIII等でもこの区別が用いられている。本稿では、経済成長と環境負荷の分離が実際に確認される場合があることを認めつつ、その速度・規模・持続性が、世界全体で必要となる排出削減量を満たすかどうかを問題としている。
【注15】
消費ベース排出量(consumption-based emissions)は、国内で実際に排出された量ではなく、輸入品等の生産過程で生じた排出を最終消費地側に帰属させて算出する考え方である。これにより、製造業の海外移転などによって国内排出量が減少した場合でも、消費に伴う排出を含めた実質的な排出負荷を評価できる。一方、炭素リーケージは、ある国・地域の気候政策によって生産や排出が他地域へ移転する現象を指し、両者は関連するものの同一の概念ではない。
【注16】
再生可能エネルギーの導入量が増加することと、世界全体の化石燃料消費が同じ規模で減少することは同義ではない。IEAの近年のエネルギー需給分析でも、太陽光発電等が世界のエネルギー需要増加を大きく支える一方、石油・天然ガス・石炭の需要が同時に増加する状況が確認されている。本稿では、再生可能エネルギーの拡大を否定するのではなく、「再エネが増えた」という事実だけから「化石燃料が置き換えられた」と結論することはできない、という意味でこの点を指摘している。
【注17】
エネルギー効率の改善が、エネルギー需要の減少をそのまま意味しない現象は、ジェボンズ・パラドックスおよびリバウンド効果として研究されている。効率改善によって利用コストが低下すると、利用量や生産量が増加し、削減効果の一部が相殺される場合がある。ただし、その効果の大きさや、効率改善が最終的に総エネルギー消費を増加させるかどうかは、対象となる技術、市場、時間軸等によって異なる。本稿では、「効率改善だけでは排出削減を保証しない」という意味でこの問題を扱っている。



【第4部】:私たちは何を変えるべきなのか


第13章

「脱成長」は経済を止めることではない

ここまでの議論から、私は一つの結論に至ります。

現在想定されているグリーン成長だけに依存して、必要な速度と規模の排出削減を実現することは困難です。

だからといって、経済成長そのものを否定する必要はありません。むしろ目指すべきなのは、経済成長の中身を変え、資源とエネルギーを大量に消費し続けなければ成立しない成長から、少ない資源投入でより大きな社会的価値を生み出す経済へ移行することです。

ここで重要なのは、「成長」という言葉の意味を整理することです。GDPは経済活動の規模を示す指標ですが、人々の幸福や社会の持続可能性そのものを測る指標ではありません。医療、教育、文化、福祉、デジタルサービスなど、人々の生活を豊かにする活動は、必ずしも大量の資源やエネルギーを必要としません。

一方で、大量の資源採掘、使い捨て消費、過剰な物流、過度な広告による需要喚起などは、GDPを押し上げても環境負荷を大きくします。したがって、本当に必要なのは「経済を縮小すること」ではなく、物質・エネルギー集約型の成長から、人間の福祉や知識、文化を中心とした発展へ軸足を移すことです。

その意味では、私は「脱成長」という言葉が誤解を招きやすいとも感じています。目指すべきなのは「反成長」ではなく、「資源消費への依存からの成長の脱却」です。
ただし、現実には、技術革新や効率化だけでは排出削減が間に合わず、短期的に資源やエネルギー消費そのものを抑制しなければならない局面があります。

その場合、一定期間、GDPの量的拡大を抑制する政策、すなわち脱成長的な政策を選択肢から外すべきではありません。

重要なのは、脱成長を「社会を貧しくすること」と同一視しないことです。削減すべきなのは、社会の豊かさそのものではなく、環境負荷の大きい消費や、必ずしも人々の生活の質を高めない資源・エネルギー利用です。

したがって、必要なのは「成長か脱成長か」という二者択一ではありません。短期的には環境負荷の大きい経済活動を縮小しながら、同時に、医療、教育、公共交通、住宅、文化、情報、再生可能エネルギーなど、資源投入に対して大きな社会的価値を生み出す分野へ経済活動を移していくことです。

その意味で、脱成長は最終的な社会モデルというよりも、持続可能な豊かさへ移行するための一つの政策手段として位置付けるべきだと考えます。


第14章

本当に足りないのは「お金」なのか

脱炭素政策に反対する議論では、「そんな財源はない」という言葉が繰り返されます。しかし、本当にそうでしょうか。

世界全体を見れば、金融資産は数百兆ドル規模に達し、超富裕層が保有する資産も過去最大級となっています【注18】。世界のGDPも依然として拡大を続けています。つまり、人類社会には膨大な資本が存在しています。

そして、もう一つ重要なのは、その資本とともに、温室効果ガスの排出もまた大きく偏っているということです。

Oxfamの2023年の報告書 Climate Equality: A Planet for the 99% によれば、世界の最富裕層1%は、2019年の消費ベースの排出量の16%を占めており、これは世界人口の下位66%、約50億人が排出した量とほぼ同じです。また、最富裕層10%で見ると、世界の消費ベース排出の約半分を占めています 【注19】

消費ベースのCO2排出量の割合、2019年

出典:Oxfam, Climate Equality: A Planet For The 99%, 2023年

この数字が示しているのは、気候変動が単純に「人類全体が等しく排出している結果」ではないということです。排出には極めて大きな偏りがあり、その偏りは所得や資産の偏在とも重なっています。

もちろん、これは「富裕層だけが排出削減をすればよい」という単純な話ではありません。しかし、少なくとも、脱炭素に必要な資金を考える際に、「社会全体に財源が存在するか」だけを問題にするのは適切ではありません。

誰が資本を保有しているのか。誰が大きな排出を生み出しているのか。そして、脱炭素への移行に必要な費用を誰が負担するのか。

これらは、切り離して考えることのできない問題です。

つまり、問題は資本の総量そのものではありません。資本がどこに集中しているのか、排出がどこに集中しているのか、そしてその構造を変えるための負担を誰が担うのかという、分配の問題なのです。

現在も多くの国で、化石燃料産業には巨額の補助金や税制上の優遇措置が残っています 【注20】。短期的な利益を追求する金融資本へ資金が流れやすい一方で、長期的な脱炭素インフラや気候適応には十分な投資が行われているとは言えません。

もし、累積CO₂排出によって得られた利益や、独占的・寡占的地位から生まれる超過利潤の一部を適切に社会へ還元し、それを世界規模の脱炭素投資へ振り向ける制度が構築できれば、生活者へ過度な負担を集中させずに移行を進める余地は十分にあります。

これは、「富を没収する」という話ではありません。市場経済を維持しながら、市場が十分に反映できていない社会的コストと利益を制度によって調整するということです。経済学で言えば、外部性の内部化と、適切な再分配の組み合わせです。

重要なのは、「弱者が犠牲にならなければ脱炭素は実現できない」という前提を疑うことです。社会に必要な資源は存在します。不足しているのは、それを公正かつ効率的に配分する制度です。


【脚注】
【注18】
世界の所得・資産分配については、World Inequality Database / World Inequality Report等が、所得・資産の上位層への集中度を継続的に推計している。本稿では、富裕層の所得・資産集中が単に格差の問題にとどまらず、消費、投資、政治的影響力、政策形成等を通じて環境負荷や社会制度にも関係する可能性があるという観点から扱っている。
【注19】
Oxfam International, Climate Equality: A Planet for the 99% (2023). 本報告書は、Stockholm Environment Institute(SEI)の分析に基づき、2019年の所得階層別の消費ベース温室効果ガス排出量を推計している。報告書によれば、世界の最富裕層1%(約7,700万人)は2019年の世界の消費ベース排出量の16%を占め、これは世界人口の下位66%(約50億人)による排出量とほぼ同規模である。また、最富裕層10%は世界の排出量の約50%を占めるとされる。
ここでいう「消費ベース排出量」は、国内で直接排出された量だけでなく、最終的な消費に伴うサプライチェーン上の排出等を消費側に帰属させたものである。そのため、国別の生産ベース排出量とは異なる。なお、これらの数値は2019年を対象としており、現在の排出分布をそのまま示すものではないが、世界の排出が所得階層によって大きく偏っていることを示す資料として参照している。
【注20】
化石燃料への補助金については、IEA、IMF等が、明示的な財政支援だけでなく、価格補助、税制上の優遇、環境外部性を十分に価格へ反映しないことによる暗黙的な補助等を含めて推計している。したがって、「化石燃料補助金」という数字を比較する際には、どの範囲の補助を含めているかを確認する必要がある。


第15章

「資本主義を更新する」という選択肢

私は、気候危機を前にして必要なのは体制革命ではないと考えています。必要なのは、資本主義を現代に合わせて更新することです。

その更新には、少なくとも次のような要素が含まれるでしょう。

第一に、CO₂排出の社会的コストを価格へ十分に反映することです。これは炭素税や排出量取引だけでなく、国際的な炭素価格制度や炭素国境調整措置なども含みます。

第二に、累積排出責任を制度へ組み込むことです。気候変動は長期にわたる累積排出の結果であり、その恩恵を受けてきた主体と、これから負担を求められる主体との公平性を考える必要があります。

第三に、脱炭素への移行コストを生活者だけへ集中させないことです。市場の中で蓄積された超過利潤や、外部性によって生まれた利益の一部を活用し、社会全体で移行を支える仕組みが必要です。

第四に、民主主義が資本に対して十分なガバナンスを発揮できるようにすることです。企業活動は社会に不可欠です。しかし、企業も市場も、社会全体のルールの中で機能する存在です。そのルール形成が、一部の主体に過度に左右される状態では、市場本来の競争や効率性も損なわれます。

最後に、気候変動のようなグローバル課題に対して、国家単位を超えた協調の仕組みを強化することです。世界政府を直ちに構築することは現実的ではありません。しかし、炭素価格、国際基金、技術移転、炭素リーケージ対策など、国家間で実効性を持つ制度を段階的に整備していくことは可能です。


おわりに

私たちが本当に議論すべきこと

脱炭素が進まない理由は、「技術が足りないから」ではありません。「国民の意識が低いから」でもありません。もちろん、「資本主義だから」という単純な話でもありません。

問題は、現在の経済ルールと政治制度が、気候変動という新しい現実に適応できていないことです。

市場は、本来優れた仕組みです。しかし、それは適切なルールがあって初めて機能します。現在の市場は、CO₂排出という巨大な外部性を十分に価格へ反映できていません。さらに、グローバル化した資本に対して、民主主義のガバナンスが十分追いついていないという構造的課題も抱えています。

だから必要なのは、市場を捨てることではなく、市場を支えるルールを更新することです。そして、その更新は、気候変動対策だけではありません。経済の効率性と公平性を両立し、民主主義をより実質的なものへ近づける改革でもあります。

本稿では、学問、政治、資本、国際制度の関係について、一つの仮説を提示しました。すべての読者が同じ結論に至る必要はありません。しかし少なくとも、私たちはこれまで、「技術をどう開発するか」や「個人が何を我慢するか」については数多く議論してきました。その一方で、「市場を支えるルールをどう設計し直すか」という議論は、十分とは言えません。

気候危機は、エネルギー問題であると同時に、経済制度の問題でもあります。だからこそ、これから最も重要になるのは、新しい技術だけではありません。

新しい経済ルールを設計すること。

そして、そのルールが民主主義の下で継続的に見直され、権力や資本が過度に集中しないよう監視されるガバナンスを育てることです。

私たちに残された時間は決して多くありません。しかし、技術も、資金も、知識も、すでに人類は持っています。足りないのは、それらを結び付ける制度と、その制度を本気で議論する社会的意思です。



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