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ま 丸山健二「バス停」感想

1977年3月「文学界」。
ネタバレあり。
講談社文芸文庫「戦後短編小説再発見①」収録。

 小檜山博の小説だったと思うが、違うかもしれないが。都会に出る青年が父親と一緒に食堂に入る話があった。父親は田舎を離れる息子に何もしてやれない。それで自分のしていた腕時計を外して、これからいるっぺ、持ってけ、みたいなことを言って渡す。息子は黙ってそれを受け取る。
 あー、泣けたあ! 分かりますかね。新幹線じゃなく、息子は鈍行に乗ってくんですよね。親も子も、なんかすまない、みたいな気持ちがあって、でもそれを素直に口にはできず、んで腕時計。あー、ええなあ。この感覚、泣けるわ。

 さて、本作ですが、「あたし」は久々に田舎に帰って三日といられず、都会に戻る。それで母親と二人、バスを待つという話。
 「あたし」は都会で水商売してて、顔もいじってはぶりがいい。親や近所の人に金を配って、嘘混じりの都会話をべらべら喋る。父親と母親が都会で暮らしたいと言ってもキッパリ断り、虚栄を満たして、それで田舎を離れる。病気の弟の見舞いにも行かない。
 でも、気になって当然なのに、両親は何故か「あたし」の仕事を訊かない。金をもらって愚かな様でただ喜ぶだけである。
「あたし」も、田舎でいいカッコしたいのか、酒も煙草もそこではやらない。ただ、虚飾にまみれた都会の暮らしを自慢する。
 帰る時、見送りにバス停まで母がくる。ダム工事の兄ちゃんが「あたし」を引っ掛けに車を止めるが、「あたし」はのらない。鼻も引っ掛けない。
 「あたし」は母よりも父よりも田舎の誰よりも、生きてると思う。その自負がある。あるはずなのに、ともにバスを待つ母親に苛立ってくる。たぶん彼女は言いたいのだ。
 何してるのか、何で訊かない!
 顔いじってるのに、何で訊かない!
 べらべら話すのが、本当のことか、なぜ訊かない!
 煙草を吸うなってなぜ言わない!(彼女はダムの男を拒絶するのに、わざと煙草を吸って蓮っ葉なとこを見せた)
 なぜ弟に会っていけって言わない!
 お前の暮らしはそれでいいのか。お前は本当に幸せか。なぜ訊かない!

 母親をバス停から追い返した後、「あたし」はハンドバッグを振り回し、中身をぶちまける。財布の中身もぶちまけて、あとで慌てて拾って札の枚数を数える。ベタな描写だけど、ベタ故に刺さる。
「あたし」はいつの間にか泣いている。いつの間にか戻ってきた母親は、小さい子にするように「あたし」の顔をタオルで拭こうとする。
「あたし」はそれに抗う。整形した鼻に触れてほしくないのだ。
 バスがくる。「あたし」はバスからお札を一枚、母親に投げ、もう後ろは見ないで都会に向かう。もう、もう後ろは見ない。

 全編、なんというか、切なさ満点の文章であった。ああ、丸山健二ってこういうの書いてたんだ、と改めて思った。丸山は、中上健次が出るまで、最年少の芥川賞作家だった。
「ときめきに死す」
よかった。テロリストの話で、ジュリーが主演した。テロリストなのに、お腹のお肉がちょっとふくよかで、そこがリアリィティあってよかった、ってお杉が言ってた。私は小説も映画も好きだった。
好きだったのに、いつからか、どんどん小説がわからなくなった。
ーー私は杉だ。
ーー私は風だ。
ーー私はタイヤだ。
みたいなことを書き始めて、流石にどうかと思った。
著者近影は、なんか怖い。小説道場みたいなのをやってるらしい。今はしらない。
なんか長渕剛を連想してまう。

長渕は、「とんぼ」の前が好きだった。おいちゃん(南こうせつ)のオールナイトニッポンで、ギター一本で唄歌ってた頃。なんかフォーク・ジャンボリーみたいのに出て、拓郎の真似すんなー! 帰れー! とか罵声浴びせられながら歌った長渕は、ひょろひょろだったけど、まじ、カッコえかった。
今は、知らん。
丸山健二さんも、今は知らん。
でも、この時の丸山さんは、確かに私の側にいた。

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