【つながる旅行記#367】十年に一度行われる『ホーランエンヤ』とは!?【松江ホーランエンヤ伝承館】
前回は松江城に到着したと思ったら、なぜか脱出して松江歴史館に向かっていた。

そして外に出たら見つけてしまったのが『松江ホーランエンヤ伝承館』だ。
果たして『ホーランエンヤ』とはなんなのだろうか?
さっそく向かおう……!


中に入ると、なんだかとっても傾いた格好の人形たちが展示されていた。
こ、これがホーランエンヤの衣装ってこと……!?


いやはや歌舞伎以外でこんな姿を見ることになるとは思いもしなかったが、果たしてホーランエンヤがどんなものなのか気になるぞこれは……!!

ホーランエンヤは10年に一度行われる100隻もの船が参加する神幸祭で、『城山稲荷神社から御神輿を阿太加夜神社に運んで、7日間の大祈祷を行ったのち、また城山稲荷神社へと御神輿を戻す祭礼』だそうだ。
つまりは『神様の引っ越し』……
いや、『ちょっと別荘行ってくる』みたいな感じだろうか?
(正式には「松江城山稲荷神社式年神幸祭」という)
そして2つの神社を繋ぐのは海路&陸路で、中海と宍道湖を股にかけた凄いルートを通っていくらしい。

おぉ……!
松江城を目指して歩いていたときに見た大橋川は、このお祭りのときに使われる川だったのか。

そしてこの『ホーランエンヤ』だが、『日本三大船神事』の一つらしい。
前回の日本三大和菓子どころに引き続き、また日本三大が松江に……!?
(なお残りの2つは大阪府の天神祭りと、広島県の厳島神社の管弦祭)
そして自分の中ではこういう神様を船で運ぶ神事としては、福岡の宗像大社の『みあれ祭』が思い出されるのだが、どうやらみあれ祭は毎年やるらしいので、ホーランエンヤとは希少度合いがだいぶ違うようだ。
『ホーランエンヤ』の10年に1回&歌舞伎のような奇抜な衣装は、やはり他にはない特徴と言えるだろう。
ホーランエンヤは5つの地域(五大地)がそれぞれ船団を率いて、神様を守りつつ川を進んでいく盛大な祭りだ。
だが資料を見た感じだと最初の頃はこんな盛大な感じじゃなかったらしく、1808年の神事で風雨が激しくなって神様を乗せた船が危険な状態になり、それを馬潟村の漁師が救ったことをきっかけに神様を船が護衛するという形式に変化したようだ。
そして最初は馬潟村の船だけが神様を護衛していたのだが、次第に他の地区も「うちも護衛するぜ!!」ということでどんどん参加するようになり、歌ったり踊ったりという要素も追加され、今の形になったという。
神事の危機を助けた漁師をきっかけに他の多くの地区も巻き込み、地域の気持ちを一つにする盛大な行事になったというわけだ。
なんか……良いね!!

とはいえ、そもそもの神事の始まりはなんだったのだろう?
わざわざ距離がある2つの神社を行き来するなんて大変なことをするようになった理由が、なにかあるはずだ。
調べてみると、どうやらこの神事が始まったきっかけは1648年の出雲の大凶作だったようだ。
そのとき藩主だった松平直政は、大凶作をなんとかするために『城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社に船で運んで豊作を祈らせた』という。
(当時の神主は城山稲荷神社と阿太加夜神社を兼務している凄い能力者として有名だったので、松平直政はその力に頼ったのだろう)
でも個人的には、なぜ御神霊をわざわざ別の神社に運んで祈らせたのかは謎だなぁと思う。
神主を松江城にある城山稲荷神社に呼んで、そこで祈らせるとかでは駄目だったのだろうか……?
あるいは阿太加夜神社でガッツリ祈らせるとかでも別にいいような。(そっちの方が楽だし)
……いや、だがそれだとホーランエンヤの神事は生まれていなかったのだ。
結果的に松平直政が行ったことは素晴らしかったと言えるだろう。
なんというか、なんでもかんでもコスパだけを考えていると新しいものを生む機会を失うことになるのかもしれないな……。
無駄に思えることをあえてやることで、大きな価値が生じることもあるのだろう。
※(18万人を集めた2019年のホーランエンヤの様子は以下よりどうぞ)

というわけで色々と松江の文化を学べたので、また松江城に戻ろう。
いや〜これは良い寄り道だったな!



そして国宝の松江城天守に到着。
現存12天守なので、きっと中に入ればかなりの歴史を感じられることだろう……!
「絶対急な階段なんだろうな」と思いつつ、次回へ続く!!
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