【つながる旅行記#402】綾部にて「グンゼって日本企業だったの!?」という気付きを得る 【グンゼ博物苑】
前回は福知山市動物園にて動物たちに癒やされつつ、ちょっとだけ知識も得た。

そして現在は福知山市から綾部市へのサイクリングを敢行することにしたわけだが、馴染みがある景色で実に良い。
しかし「日本の都会はみんな同じ景色だ」なんて意見をよく聞くが、正直なところ田舎の景色も大概そんなもんだよな……。
とはいえ、もちろん多少は違いもあるのだ。
例えば我が家でも過去に米作りはしていたわけだが、稲架掛け(はさがけ)のスタイルは地域によって違う。


ふむ……!
なにやらこの農家は細い木やら竹を使っているようだ。
うちの地元では全体的なスタイルは同じだが、そこそこ太めな木だけで組んでいく形式だったので少し違う。
思えばこういう稲架掛け一つとっても、自分に知識があるかないかで違いに気付かないまま通り過ぎる可能性がある要素なのかもしれない。
ああ、思い出す。
稲刈りや稲架掛けの作業と、仕事終わりに襲ってくる稲のチクチク感……!

自分は地元愛がさほどない人間な自覚はあるが、ちゃんと受け取ってきた知識はあったんだな……と思いつつ、自転車をこぐ。
そしてたどり着いたのが……!?

まさかのGUNZEである。
(なお福知山城の天守からもグンゼは見えていたが、あれはグンゼの物流センターとのこと)

そう、GUNZE発祥の地は、現在いる京都府 綾部市なのである。
(恥ずかしながら、どこぞの海外メーカーだと思ってました……!)


そしてここにはグンゼ博物苑という施設があるらしい。
「今回の旅は博物館要素は無さそうかな…」と思っていたのだが、まさかそれまで楽しめるとは。
やっぱサイクリングって最高!!

ではさっそくグンゼ博物苑に入っていくとしよう。
個人的には男性用下着のCMをしているイメージしかないGUNZEだが、果たして……!?

さて、中に入るとグンゼの創業者である波多野鶴吉の紹介コーナーが始まった。
なになに……?
綾部(旧何鹿郡)の羽室家に生まれ、8歳で波多野家の養子となった鶴吉。
学生時代は京都で学問の道を志すも事業に次々と失敗。
何鹿(いかるが)郡に帰郷します。
家族の勧めで小学校教諭を勤めた際、養蚕農家の子どもが劣悪な環境に暮らす姿を目の当たりにして一念発起。
一度は周囲の信頼を失った若き過ちを悔いる思いもあり、何鹿郡の地域産業である養蚕業の立て直しこそ天命と悟ります。
なるほど、これはなんというか……色々と伏せられている事情が多そうな記述である。
なので少しばかり調べてみると……
なんか思った以上に凄いことしてるぞ!?
それでは『学生時代は京都で学問の道を志すも事業に次々と失敗』という部分について詳細に語っていこう。
1875年、17歳の波多野鶴吉は数学を学ぶために京都へと上京した。
だがしかし、どうもその頃の京都は遊郭だらけの誘惑MAXエリアだったらしく、鶴吉は盛大に遊び呆けてしまう。
翌年には波多野家を継ぐために波多野はなと結婚するも、鶴吉の放蕩は依然として止まず、ついには波多野家の財産を食いつぶすまでに及んだ。
更には遊郭遊びでうつされた梅毒によって鶴吉の鼻は一部が欠けてしまい、自費出版した数学本も売れないわ、塾や貸本屋などの事業も上手くいかないわで散々な結果に。
1881年には失意の中、綾部へと帰ることになったのである……。
……なるほど。
「一度は周囲の信頼を失った若き過ち」というのはこのエピソードのことのようだ。
たしかにこれは会社としてはあまり詳細に記したくはない部分かもしれない。
しかしここで「おいおい酷い創業者だなァ!!」という感想で済ませるのは早計なんじゃないかと思うのだ。
いや正直昔の自分だったらそういう感想を抱いて終わりだっただろうなとは思うのだが、自分もそこそこの長さを生きて、どうやら少し考え方が変わってきたようなのである。
そう、『失敗したからこそ得られるもの』はあるのだ。
いやもちろん「過去にやらかした人が何かを成し遂げたからといって、それをチャラにされてたまるか」という感情も理解できるし、失敗もなく上手くいった人はすごいとも思う。
だが、その失敗のおかげで見えてくる景色や、捨て去れるようになったあれこれは確実に存在する。
そしてそれがあるからこそ、人はまっすぐ進めるようになったりもするのだ。
もちろん失敗しようが何も学ばない、変われない人だって世の中にはいるわけだが、おそらく波多野鶴吉は変われた人だったのだろう。
(それはこのあとの行動でしっかり示される)
しかしそんな鶴吉の話をする前に、妻の波多野はなさんが聖人すぎやしないだろうか……!?
なにせ波多野はなさんの立場に立って考えてみると、結婚した相手が家を放り出して京都で遊び呆けた挙げ句、家の財産を使い果たして(話では借金も背負って)、鼻まで欠けて帰ってきたのである。
もう普通に離縁待ったなしの状況以外の何物でもないだろう。(実際周りの人たちはそう進言した)
だが波多野はなさんは、そんな鶴吉をその後も支え続けたのである。
鶴吉が波多野家に養子に来たのは8歳の頃で、はなさんは当時6歳だったというから、家族という意識は他よりも強かったのかもしれないが、それにしたってなかなかできることではない気がする。
もしかしたら鶴吉が自暴自棄にならずに済んだのも、はなさんの存在があったからなのかもしれないな……。
そんなわけで、俄然興味が湧いてきたグンゼの歴史。
なにせ自分は日本企業だとすら思っていなかったので、思った以上に古い歴史だけでもう驚きである。
果たして反省した鶴吉は今後どう動くのか、そして『グンゼ』とは何なのか……!?
次回へ続く!!
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