揺らぎの系譜 ー久遠の波紋ー 第一章(起)④保健室
弥生は保健室のベットから下りて、鈴木の前に座っていた。
「大丈夫?」
と小首を傾げ、弥生の目を真っすぐに見ながら優しく、鈴木が聞いた。
「はい。ご迷惑を、おかけしました。」
弥生が頭を下げた。
その姿を見て鈴木が苦笑する。
「やっぱり武道をしてる子ね~。固いこと、固いこと。」
と言うと東を見た。
東は、なぜか自分が言われたみたいに、デヘヘと照れ笑いをした。
「あんたじゃ、ないから。」
と鈴木は思わず笑った。
弥生がそんなやり取りを聞いて、気恥ずかしそうに頬を染めると、横に立っている東の足を(もう!)という感じで小さく小突いた。
「いててて!なんやぁ~、乱暴な子ぉ~やなぁ~~!」
足を庇う仕草をし唇を尖らせ、泣きそうな顔をして東が変なイントネーションの関西弁で言った。
それを見た二人が、一瞬の間をおいて、今度は爆笑した。
笑いが一先ず収まると、弥生がどうして保健室で寝ているのかを、東が話し出した。
「東京から帰省したその足でさ、弥生の家に挨拶に行ったんだ。そこで俊さんから「まだ部活をしてるよ。」と聞いたので「そうですか、じゃあ久しぶりに、我が愛する母校にでも迎えがてら行ってみます。」と言ってここ(学院)に来たんだ。」
と話すと弥生が、それで?と言う感じで東を見た。
鈴木は面白そうに東の話をニヤニヤしながら聞いていた。
そんな鈴木をチラリと見て咳ばらいを一つすると、東は続きを話し出した。
「でさ弥生が中学の時の事を思い出してさ、ほら学院の文化祭に友達と遊びに来たじゃん。」
と弥生を見るとうんうん「覚えてる。」と少し怒り気味に言った。
(あれこの話ヤバかったかな…)
とちょっとドキマギしながら
「弥生たちが近道の体育館裏を通った時にさ、ダァ~~~て突然俺飛び出して驚かせたじゃん。」
と頭を掻きながら言った。
その話が終わると弥生が少し怒気をはらんだ目で東を見て言った。
「良く覚えてるよ。だってあの時さ、驚きすぎてミーチャン(弥生の友達)泣いちゃったじゃん。」
「そうだったけ?」え?ていう顔をして頭を掻いた。
「だってあの時 龍兄、何かの出し物で本物みたいな狼の被り物してたじゃん。本当にびっくりしたんだから。」
と横目でじろりとにらんだ。
そんな様子を見ていた鈴木が、呆れた…て感じで東を見て「それで。」と先を促した。
「で、それを思い出してさ、そうだ!先回りをして隠れて、また驚かせてやろ!て急ぎ足で来たんだよ。でもさちょうど弥生が体育館裏に来たところだったんだよね。 (あらら、出会っちまったか。残念!)と思った時、急に倒れたんだ。」
話を一度切ってチラッと鈴木を見ると、口を左手で抑えクククと笑いを押し殺し、で?て感じで頷いた。
そんな鈴木を見て少し上唇を噛むと、東は再び話し出した。
「すげ~びっくりしたんだぞ!今もまだ心臓がバックンバックンしてる。触ってみる?」
とヨレヨレのTシャツをめくろうとした。
その動きを見咎めて「おい、やめ!」
それはやりすぎ!と言う厳しい顔を作り、鈴木が短く言うと、東は思わず直立不動になり、「はい!」と返事をした。
その様子を見ていた弥生と鈴木は、また爆笑した。
東は罰が悪そうに、眉を八の字にして力無く笑うと、デヘヘヘと頭を掻いた。
*****
弥生は鈴木に、しばらく悪夢に悩まされていたと言葉を選びながら話し(内容は酷すぎて流石に話せなかった)、でも最近そんな夢を見なくなったけど今度は、妙な視線を感じる事を、訥々と話した。
「その為、ここ最近…眠りが浅いんです。」
と少し青ざめた顔で話した。
その話を黙って聞いていた鈴木が、ペンを器用にクルクルと暫く指先で弄んでいたが、軈てその動きを止め、東を見てから弥生に優しい目を向け落ち着いた声で
「なるほどね。」
と小さく呟くと弥生の顔に近付いて、片方ずつ目に指を押し当て広げるとペンライトを上下左右から当てウンウンと頷き、やがてペンライトをしまうと机の上のパソコンを開きながら
「疲れがだいぶ溜まってるみたいね。確か今、二年生だったわよね。勉強やクラブ活動が忙しくなる時期だけど、休むときはきちんと休まないと駄目よ。」
開いたパソコンの画面を見ながら鈴木が言った。
学院全員のカルテ(病歴やクラブ活動歴に受賞歴。また家族構成など多岐にわたる項目とグラフが書かれていた)の中から弥生の分を広げて言った。
それを聞いた弥生は、驚いた顔で
「それ、翠先輩からも言われました。」
と大きな目をしばたたかせて驚いていた。
鈴木がパソコンから目を離し、弥生を見て
「みどり…先輩?」
「それ誰?」と言う感じで小首を傾げた。
すると弥生は目を輝かせて
「はい、インターハイ三位の弓道部部長、|
高橋翠《たかはしみどり》、翠先輩です。」
声が明るくなった。
「ああ、3年B組の翠ちゃんね。うんうん。」
懐かしそうに目を細め小さく頷くと、
「あなたなら、話しても大丈夫みたいね。…いい、ここだけの話よ。」
弥生は、え!と言う表情に戸惑いが隠せない。
大好きで憧れの凄い先輩の どんな話だろう……。
もし、嫌な話だったら……。でも、知りたい。
そんな戸惑いを隠せない弥生の表情を見て、16歳の思い悩んでる子に対して、もう少し慎重であるべきだったわね…。
弥生の目をしっかりと見て、落ち着いた声で「変な話じゃないから、安心して。」と言うと柔らかく優しい笑みで頷いた。
「翠ちゃん、小柄だけど、今では立派な成績と、部長と言う重責を果たしているみたいね。」
練習中のあのピーンと張りつめた横顔に練習後の優しい顔。そんな事を思い出しながら「ハイ。」としっかりと答えた。
「彼女、1年生の時すごく悩んでてね、お昼休みになると、ここ(保健室)に来てたのよ。ほぼ毎日。」
「え、先輩が……。」
今のあの、自信に満ちた美しい所作に、サバサバした性格からは、考えられなかった。
「すごく努力をしてたの。毎日の朝練に休み時間を利用した基礎体力作り。日曜などの休みの日でも願い出て、道場での練習。手の豆が何度もつぶれて……。見ていて…いや見ていられないほどだったのよ。でもそれでも成績が付いてこない……。ある日、休み時間の基礎体力作りの最中に階段から、転がり落ちたの…。」
鈴木がそこで軽く頷くと少し間をおいた。
「彼女、怪我は軽い捻挫で済んだの…。でも心が潰れちゃったのね。自分から、わざと…。転がり落ちたの…。」
「…。…。…。」
弥生は言葉が出なかった。
あの大きな大会で 自信たっぷりに静かに弓を引く姿は信じられないほど 大きく見えた……。
あの先輩が…。
「彼女、真面目すぎたの。あまりにも真剣すぎたのよ。」
少し間を置き、
「遊びの無い、張りつめた糸は……切れやすい……。」
鈴木がふ~と深い溜息をついた。
弥生はもちろん 東すら言葉がでない。
まだ高橋翠は当時16歳になったばかりの、中学を卒業して一年も経たない、幼さを顔に宿す少女だったのだ…。
「怪我をすれば、休める。レギュラー争いから離れられる。理由がほしかった。そう、泣きじゃくったのよ。」
弥生を見た。
いや違う、私の後ろ、あの時の先輩を見てる。
目を細め遠くを見ていた。
「あの時の彼女に言ってたのが 休むときはキチンと休まないと駄目よ。練習は練習。休みは休み。メリハリをつけなさい。てね。」
深く椅子に座りなおし 長い足を組んだ上に手を置き、弥生を見た。
そうだ、あの時の私は、彼女(翠)のSOSを受け取っていたのに気が付かなかった。
いや、気が付いていた。
が、まだ子供…。たかが人間…。
と高を括っていた。
大事にはなるまい、と。
「でもね それからよ、彼女が変わったのは。本当に変わったわ。休み時間は級友たちと楽しいおしゃべりをし、休日には確か映画が好きで、B組の…て、危ない危ない!これは トップシークレットだったわ。」
と可愛いウインクをした。
「え、え~、B組のて三年のですか?いや、翠先輩、年下はやっぱりかわいいね。て言ってたから……二年ですか?」
と身を乗り出して鈴木に詰め寄った。
二人が頭を下げて保健室を出る前に
「二人とも気を付けて帰るのよ。東君、しっかりね!御子さん、夜は温かいミルクに、少しだけ蜂蜜を入れて飲むといいわ。落ち着くから。そうすればゆっくり眠れると思うわよ。それにお肌にも良いしね。」
と鈴木がやんわりと微笑んだ。
保健室を出て、正門へ向けて歩きながら
「……っていうか、その格好、先生になる人の格好じゃないよ!」
と弥生があきれ顔でTシャツの脇を引っ張ると、デロ~ンと伸びた。
「デへへへ。」
と笑い、頭をぼりぼり掻いて苦笑いをした。
「大都会東京に行ってるのに…。そんな恰好じゃ、彼女出来てないでしょ!」
と東の顔を覗き込んだ。
そんな二人の後姿を保健室の窓から見ていた鈴木の目は、まるで風穴のツララのような冷たい瞳をしていた。
「石走る 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも……。」
*『万葉集』志貴皇子
「激しい流れが岩を打った後、何が生み出されるのか……。私には、まだ、見えない……。」
無機質な声で呟くと、見る者がゾッとするような愉悦の笑みを浮かべた。
5月。
夏でもない春でもない、影だけが異常に長く伸びる逢魔が時。
フォーレの『イン・パラディズム』が厳かに流れる校舎を、琥珀色の澱みが染め上げていく。
その光景は残酷で……美しい。
まるで血に染まりゆく戦場のように。
*「この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のもの歴史上のものとは関係ありません」
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