「夢見る」加瀬台古墳群
古代人も太田道灌も夢を見た。氾濫平野にそそり立つ台地
加瀬台の成り立ち

多摩川、鶴見川支流の矢上川に挟まれた地に孤立する加瀬台。矢上川対岸の日吉台(下末吉面)とつながっていたが、海や川に浸食によって形成された。写真は矢上川方面の断崖面。なかなかエグい角度だ。
標高35m、長さ750m、幅150mの細長い丘で、古くは加瀬山と呼ばれていた。現在は夢見ケ崎動物公園として整備されている。

悲しくなるくらいのアローン感!これより先に高い所がない。
最寄りは横須賀線・新川崎駅または南武線・鹿島田駅。駐車場はあるが、週末は家族連れが多いので、すぐに満車となる。
太田道灌の夢の言い伝え
東方はづれを夢見崎と云。其ゆゑんを尋るに昔太田道灌この地へ城を築んと思ひしに、其夜道灌己がかぶとを鷲の来て抓み郡内駒岡村と云所に飛去りしと夢見しかば、此事不吉なりとて其企をやめけりと、其跡を夢見ヶ崎とは唱るよし土人伝ふれども、外により所なし
「新編武蔵風土記稿 加瀬山の条」より
太田道灌が、築城場所選定のためこの地を訪れたが、不吉な夢を見たので諦めたという言い伝え。キラキラネームと思いきや、意外としっかりとした由緒のあるお名前。
有名な娘と山吹の逸話もこの近辺の話と伝えられているが、実は各地で同じ話がある。
加瀬台古墳群


現存するのは、第2・3・4・6・7・8・9号墳の7基。川崎市最大の前方後円墳だった白山古墳は滅失している。(現地は林が残っているが、民家が接しているので跡地を見ることができなかった)

現在では、公園入口の広場に白山古墳の大きさを示す案内板があるのみ。
以下、見学ルート順なので古墳番号順とは異なります。
9号墳

入り口広場の奥にあり、直径26mの円墳。手前には太田道灌の碑がある。

墳頂には祠。
2号墳

戦没者慰霊塔の左奥の道を進むと、塚になっている。

下を見ると落差がある。前方が滅失した1号墳のある方向。

下からの図。直径15mなので、くびれた所までが円墳か?
3号墳

公園入口から広場に登らず、通路をまっすぐ進むと表示板が出てくる。フェンスの切れ目から坂道を下ると、矢印表示が出てくるので、その方向へ更に下る。

直径20mの円墳で、石室が開口している。

ビニール袋の土嚢で補強してあった。ここまでひどくなったら表面をコンクリートで覆わないと、石室がいずれ露出しそう。
4号墳(了源寺古墳)

了源寺本堂裏の墓地の奥にある古墳。

直径21mの円墳で、出土品から5世紀前半の築造とみられている。フェンスの先は崖。
6号墳


直径24mの円墳で、墳丘上には浅間神社。
7号墳

直径27mの円墳で、天照皇太神の社殿となっている。

正面からの図

後方を振り返ると、かなりの高低差!
8号墳

直径24mの円墳ということだが、実際には単なる植え込み状態。

8号墳近くから、日吉方面を望む。
大昔は、左手前の林に白山古墳、右奥のあたり林に矢上・観音松古墳が見えていたことだろう。
夢見ケ崎動物公園
そもそも、ここは古墳メインな公園ではない。古墳の表示は3・9号墳しかないし、墳丘にはいろいろな神様が鎮座されているし。
動物公園だから動物がメインだものね。この園では、傷病鳥獣を保護し回復後に自然に戻す活動もしていて、小さいながらも重要な施設。



かつて5号墳があった辺りにいるおサルさんたち。レッサーパンダやタヌキや愛嬌のある動物も多く、市民の憩いの場。
昔の加瀬台
(12/17に写真と記事の追加)
「今昔マップ」というサイトを見つけました。ここでは、明治時代(1900年ごろ)の地図と現在の地図を比較することができます。
加瀬台周辺の地図を比べてみたら…

夢見が崎公園が青い円、白山古墳があったあたり赤い円で示します。
このころは、まだしっかり古墳が残っていたようですね。
【加瀬白山古墳に関する資料】(2022/8/27追加)
柿生文化169号 矢上川流域に築かれた古墳時代前期の前方後円墳
http://web-asao.jp/hp2/k-kyoudo/wp-content/uploads/sites/22/2022/05/e2e9bfb9931f64f97c7cef35279aa0af.pdf
