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離島の暮らし【いつの時代?文化の話】前編


私が物心ついた頃にはすでにテレビがあったが
白黒でカラーテレビがうちに来たのは
小学3年生くらい

世代的に元祖三種の神器と呼ばれた
白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の時代に
生まれた訳ではないので
それらはすでにあった

電話もあったが
黒電話、横にレバーが付いていて
グルグル回して受話器を取り
交換手が出たら「28番お願いします」
と言うとその番号の家に繋いでくれる

〇〇-〇〇〇〇なんて番号では無かった

若い番号ほど島の名士だ
ちなみに1番は漁協
2番は漁協の組合長(当時)w


その頃は郵便局が電話交換の業務をやっていて
たぶんたまに勝手に会話を聞かれていたんじゃないかと疑っていた

マセた会話をしていると
次の日には地区のおばさん達が
変な顔してヒソヒソ
こっち見ながら話していたから
そう思ったのかな

ま、これはあくまで噂で推測ですがw


電話がダイヤル式になったのも3年生くらい
電話工事が一大イベントのように
子供が走り回って
「今〇〇のとこ付いた」とか
「もうすぐお前のとこに来るぞ」などと
はしゃぎ回ってたからよく覚えている

まあ、その子供の中には私もいたがw

そう書いてみると小学3年生の時に
うちの隠居屋も建て替えたな

なんかあったんか?バブル的な何かが
豊漁だったとか、まあそれはわからないが

島の学校は小中学校合同の学舎で二階建ての木造
一階の廊下、図書室の前には
四角いロボットの顔見たいな昔の電話があった

ベルが2個、これが目
話すとこが1個これが口
(タコみたいな、ちゅ〜ってしてるみたいな)

耳に当てるペッパーミルの小さいやつみたいな
ロボットの顔と線で繋がっている物が1個

もちろん使えないが
言われて見ればなるほど電話だな

その横には2メートルくらいの
ガラスの陳列棚があり
島の各地から出てきた
勾玉や鏃(やじり)が展示してあった

全校生徒は小中合わせて300人くらいいたが
今は10人未満くらいらしい


島の施設は当時は
小中学校、郵便局、農協に漁協
駐在所、診療所、駄菓子屋が3軒
民宿が2軒くらい

私が知る限り現在、民宿は1軒
駄菓子屋も1軒

今はもう変わっているだろう

駐在所には警官が1人
診療所には医者と看護師が
それぞれ1人づついたが
それも私が中学に上がる前には居なくなった

先生は(先生)
警官は(警察さん)
医者は(医者様)
と呼ばれていた
医者が1番偉いのだw

と言う訳ではないと思うが
たぶん語呂の問題だろう

ここまで話すと奥さんが
疑わしい目を向けて来て
「うそ〜!私と同世代がそんな訳ないでしょ」と
ネタ扱いする

だが本当でそれが普通で
そこで暮らしていた

郵便局や農協の造りは
愛知県の明治村にあるような造りだったが
そのうち建て替えられた

その建て替えられた郵便局の前に
公衆電話があったが誰も使わんやろw

たまに子供が時報とか聞いて遊んでいたくらい
ま、その子供は私だがw


明治村に遊びに行った時は
「へーこんなんだったんだ」とはならず
懐かしい〜  の感覚

うちの島にこんな建物あったよと言うと
奥さんは「またまたぁ」
奥さんが島に初めて来た時は
もう変わっていたから

たぶんもう釣りくらいでしか
行くこともないだろう

いつまでたっても疑いは晴れないのだw

書いてみたら意外に長くなったので
前編と後編に分けます

ではまた後編で
ここまでお読みいただき
ありがとうございました。

ねこターボ🐈

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