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こういう人は教師になると苦労するよ、というポイント4つ

もうそろそろ新年度ですね。新しく学校の先生になる、という人もいらっしゃるでしょうか。
あるいは、大学で教職課程をとるかどうか検討中の方もいらっしゃるでしょうか。
今日はそんな方を思い浮かべながら書きます。
 
※様々なネガティブさを含有する文章です(5400字)
※目次を見てピンとこない方はもっと前向きで有益な他の先生方の記事をご覧ください
 
私は私立の中高一貫校で11年間、英語の先生やってましたが転職しました。
転職の経緯はコチラ↓

あなたは苦労する、という予言

大学院でお世話になった先生には
「あなたはきっと苦労するだろうけど」と言われて、
「十年後にいい先生になるつもりでやりなさい。2~3年じゃ何もわからないから」
と送り出されたのでした。
 
「苦労する」って、どういうことだろう??
先生、なぜ私が苦労すると思われるんですか。
 
そう質問できていたら、またその後の展開は違っていたんでしょうか。
 
私の経験から、「こういうことに身に覚えのある人は教師になって苦労する」項目を以下に挙げます。

学校にはいろんな先生がいた方がいい(苦労するタイプ含め)

その前に、
「こういう人は教師になると苦労するから、ならない方がいいですよ」という話ではない
ということは強調しておきます。
 
学校で他の先生に言われたことですが、
いろんなタイプの先生がいていいし、いた方が子どもたちにとっていいんです。
多くの子どもに慕われる先生もいますが、
そういう先生の手が届かないごく少数の子どもたちがいて、その子たちの心の支えになる先生は別にいる。
子どもが多様であるように、先生も多様である方がいい。
 
私も、自分が学校で無意味だったり、ただただ有害だったわけではない、と思っています。
先生が担任でよかった、と言ってくれた子も少ないながらいました。お世辞ばかりではなかったはずです。
 
それでも、私は苦しかったから、続けられないと思ったから、やめました。
その経験に基づいて書くわけですが、
「苦労するからやめときなよ」ではなく、
「少しでも心構えができるといいね」というつもりで書きます。

 
※主に中学・高校教員を想定しています
 

①勉強で苦労した経験が少ない

学校の先生になる人の多くは、勤勉で、特に自分の担当教科は熱心に勉強してきたでしょう。中には、周りの子ほど努力しなくても、自然と、優秀な成績をおさめてきてしまった人もいるでしょう。
 
私は英語が中学校のときから好きで得意でした。(もともと読書や言葉が好き)
英語の勉強は「受験のために仕方なく」ではなく、やりたいから、やりたいようにやっていました。
大学受験のときは単語帳の余白に、自分で調べたアレコレをメモするのが習慣で、「手間をかけるほど英単語とは仲良くなれる」「余計な情報が多い方が覚えやすい」なんて持論も持って、自分の「創意工夫」に誇りを感じながら、楽しく勉強していました。
 
私の場合、周囲の成績優秀な子がみな私立に行ったあとの公立中学校で、いきなり5教科成績トップになったことも大きかったです。思い出せる限り、人生最初の「勲章」でした。
私、もしかして、頭いいの……??
井の中の蛙、というヤツですが、勘違いでもなんでも、人はどんどん自信がついた方向に向かいます。
中学校生活そのものは私にとっては地獄だったので、余計、勉強に傾きました。 
 
高校ではさすがに理数系が壊滅的になりましたが、英語はやはり得意でした。
色々ありつつ、そのままのノリで、英語科教員になったわけです。
 
こういう人間に決定的に欠けているのは、「できない子」への思いやりです。
 
どこでつまずいているのかがわからない。
自分はすらっと通ってきてしまったから。
 
なぜ、授業中に私語をしたり規律を乱すようなことをするのかがわからない。
できない子にとって、わからない授業がどれほど苦痛であるかを想像できないから。
「できない」ことが、その子の自尊心をどれほど傷つけているかを想像できないから。
 
なぜ、できないならできないでがんばらないかがわからない。
「がんばってもできない」ということが現実にあることを、肌でわかっていないから。
 
そして、「こんなにできないなら教える意味がないのでは」
「この子にとっても、英語ではなくもっと別のことをした方が利益になるのでは」
と思ってしまう。(←これは今でも思う)
 
もしあなたが学校の勉強で苦労した覚えがあまりなかった場合。
そして特に自分の担当教科を愛して、楽しんで勉強してきた場合、この落とし穴は相当大きいと覚悟してください。
 
あなたが担当する生徒たちのほとんどは、あなたが愛する科目を仕方なく・嫌々勉強させられているのだ、と思った方がいいです。
あなたが楽しんできた、あなたにとって非常に有効だった勉強方法は、その子たちには魅力的ではなく、有効でもない可能性が高いと思った方がいいです。
もちろん、それらを提示すれば、食いつく子もいるでしょう。でも、同じ教室に、それが全く響かない子たちもいるのだ、ということを肝に銘じておかなければならないのです。
 

②塾・家庭教師での成功体験を持っている

学生時代に塾講師・家庭教師のアルバイトをして、それが楽しくて教員になる人も多いと思います。
しかしこれもまた落とし穴です。

塾のクラスはたいてい、学校のクラスより少人数です。家庭教師なんて1対1。
そして、相手もお金を払って、わざわざ塾に来たり、家庭教師を呼んだりしているという意識があります。本人でなく親の意向だとしても。
つまり、学校の教室に座っている生徒たちよりも、概してモチベーションは高いということです。
モチベーションが高い少人数を相手にうまくいった方法を学校に持ち込んでも、うまくいかないことが多々あります。
 
学校教員として勤めはじめればすぐわかりますが、学年ごと・クラスごとに生徒の特色は全く違っていて、ある年度にうまくいった方法が次年度は全く通じない、なんてことはざらです。
それなのに、「塾(カテキョ)楽しかったなあ、私は教えるの好きだし得意なんだ」と思ってしまうと、壁にぶち当たることになります。
 
私も家庭教師は4人経験し、塾で小中学生も教えました。塾はたいへんなところもありましたが、家庭教師ではおおむね楽しい経験をしました。お子さんやご家庭が良かったから。
 
でも学校教員は、塾や家庭教師とは全く違う集団を相手にしなければならないんです。全然、勝手が違う。
塾でうまくいった方法を試したら、余計悪い事態を招いたこともありました。
目の前にいる子どもたちが違えば、やり方も変えなければならないのです。私はそのことに気づいていなかった。
 
塾・家庭教師アルバイトでの成功体験をもって、自分が教員に向いていると安易に考えないことです。
「教える」楽しさに目覚めるのは素晴らしいことですが、同じだとは思わないでください。
 
(もちろん、「科目を教える」以外の膨大な仕事も学校教員にはあります。ここでは取り上げませんが、教師を目指す人ならニュースなどでご存じでしょう……)

③人づきあいに苦手意識がある

教員になって自分に一番欠けていると思ったのが、子どもたちとの関係づくりの能力です。
教員にとって必要なことが「十」あるとしたら、「その一」がこれです。
私は11年つとめる間に、二、三、四、とできることは増えましたが、「一」がなかった。それがわかって、やめました。
 
私は小さいころから人見知りで引っ込み思案、人間関係に消極的で、常に友達は片手の指で数えられるほどしかいませんでした。誰かに話しかけるのが本当に苦手でした。友達の肩に手をおく、という当たり前のスキンシップすらできないタイプでした。
中学校は大っ嫌いでした。不登校にギリギリならなかったくらい。
高校に入ってようやく、「人づきあい」デビューしたかな、くらいの感覚でした。
 
人間関係を小・中学校で学んでこず、すっかり大人びて子どものイザコザを過去に置いてきたような賢い高校生たちの間でようやく「人づきあい」を始めたような人間には、中学・高校教員というのは極めて難しい職業でした。
 
子どもたちの気持ちがわからない。
わかろうとしていない自分に気づけない。
信頼関係の築き方がわからない。
何はなくとも、信頼関係を築くことが第一だ、と考えられない。
 
「求めて来る生徒には応えるが、去る者は追わず」の気持ちで私は教員になった。
今思えばありえない話です。
背中を見せて去っていくのはなぜなのか?
それはお前が、お前がその子をわかろうとしないからだ、受け入れようとしないからだ。
去っていく子は、傷ついているんだ。

 
そのことを、何年もわからないまま、たくさんの子どもたちを傷つけてきたことを思います。
 
(中学時代、クラスは静かに陰険に荒れていて、学校生活は楽しいどころか、精神的に常に危険な場所でした。私は直接いじめられはしなかったけど、いじめられている子のサイドにおり、大きな顔をして人を傷つける一群を憎んでいた。彼女たちは授業中も私語(陰湿な悪口を含む)をしていて、なぜこの子たちに先生はもっと厳しく当たらないのだろうか、と私は怒りを覚えていました。彼女たちへの憎しみは私の中に残り、教員になってから、私語をする子たちへの視線・言葉は相当冷たいものになっていたと思います。私怨があった。罰したいという思いがあった。それを無意識でも、関係がない別の子たちに向けた自分を、心から恥じています。)

④子どもがあまり好きではない

私は自分自身が子どものころから、自分より年下の子どもが嫌いでした。うるさい。わけがわからない。
なんなら、自分と同年代の子どもたちも苦手でした。だから高校入学まで周囲とほぼ没交渉、なんてことになるわけです。
大人の方がずっといい。私の話を聞いて、「ぶどうちゃんは賢いのねえ」と褒めてくれる……
 
こういう精神に覚えのある人は、教員になると必ず苦労します。断言します。
学校はあなたの苦手な、カン高い声で騒ぎまくる子どもたちの巣窟です。
授業中ならおとなしいかというと、そんなことはない。あなたの話を聞いてはくれません。
聞いていないかと思ったら、あなたが何の気なしにポロっと発した言葉にものすごく傷ついていたりします。
 
私は自分が子ども苦手なのはわかっていました。だから、「高校生なら大丈夫だろう」と思った。
ところが、自分が体験した「高校生」と、自分が担当する「高校生」は全然違いました。
これは学校ごとのカラーもある。私が就職した学校は「甘えん坊さんが多い」とは先生方もおっしゃっていました。
しかし、「高校生、思っていたよりも子どもっぽい」現象は普遍的なものではないかと思います。
つとめていた間でさえ、「なんだか年々、幼くなっているような……」と感じていました。
 
2018年のポカリスエットの調査によると、
  「大人になった」と実感した年齢の平均は 「約 30 歳」 
なのだそう。
たとえば1988年に同じ調査をしていたら、25歳くらいかもしれないですね。20歳だったりして。
 
それはさておき。話を戻しまして。
 
子どもは、自分のことを大人がいつも見ていてくれている、と思っています。
見ていて、何も言わなくても、助けてほしいときは「どうしたの?」と声をかけてくれる、と思っています。
 
子どもが好きでない私は、「必要ならそちらから声をかけるように」と思っていた。実際そう言った。まあ高校3年生のクラスだったし、そういう指導もありではあった。
でも。それって、子どもにとっては「冷たい」言葉なのですね。
 
いつも見ていて、困っていそうなときは先生から声をかけてほしい。
それは甘えといえば甘えです。
でも、子どもたちを甘えさせる度量がない教員は、無意識のうちに生徒たちを傷つけます。
特別子ども好きでなくてもいいですが、苦手意識がある場合、要注意です。
 

終わりに

子どもが好きでなくても、教員はできます。
人間関係に苦手意識があっても、教員はできます。
社交的で広く生徒に好かれる先生も必要ですが、一歩引いた感じのドライな先生を必要とする生徒もいるからです。
いずれ社会に出るときのことを考えれば、様々なタイプの先生が学校にいた方が子どもにとってはいいのです。

でも、以上4点をあわせもっている人が教員になると、苦労します。精神的に疲弊します。
 
子どもを全く傷つけない先生はいません。どんなに素晴らしい先生であっても。
でも、上記4点に身に覚えのある人は、生徒を傷つけてしまうことが多いと、あらかじめ覚悟した方がよいと思います。
 
 
今もし20代の自分に何か言えるとしたら……と考えて書きました。
ハッシュタグがあるから使いますが、「この経験に学べ」なんて偉そうな言い方はできません。
私の愚かさ、足りなさが、どなたかのご参考になれば幸いです。
 
無残な失敗続きでしたが、教員として生きた11年間は私の人生の華です。
傷つけ、失望させてしまったかもしれないけど、子どもたち一人ひとりが私の誇りです。
今もこれからも、元気で暮らしてくれることを心から願ってやみません。
 
これほど向いていない人間にとっても、教員はやりがいのある仕事でした。
学校教員を取りまく環境は厳しいものですが、志のある方々が働きやすい場所になるよう願っています。
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
 

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