【今日は何の日】7月6日
7月6日、今日が歴史的にどんなことがあった日なのでしょうか?
何か行事のある日なのでしょうか?
小学生の家庭でのちょっとした会話のために、ぜひ使ってください。
※1872年までの日本の出来事は旧暦を使用しています。
行事・記念日
① ワクチンの日
1885年7月6日、フランスの細菌学者ルイ・パスツールが、人類で初めて狂犬病ワクチンの接種に成功したことにちなみ、「ワクチンの日」とされています。
それまで狂犬病は発症するとほぼ100%死亡すると考えられていました。しかし、パスツールは弱毒化した病原体を利用して免疫をつくる方法を研究し、少年の命を救いました。この成功は世界の医学史を大きく変えました。その後、天然痘、ポリオ、麻疹など、多くの感染症でワクチンが開発され、人類の平均寿命を大きく延ばすことになります。
日本にワクチンの技術を紹介したのはシーボルトです。
1823年、ジェンナーの種痘法をもたらしたのですが、船旅で腐敗してしまい、ワクチンは役に立ちませんでした。

正しく作用するワクチンが上陸したのは1849年、オランダ人によって天然痘のワクチンがもたらされました。適塾の緒方洪庵が、大阪で種痘を行ったことで知られています。
近年、新型コロナいうルスの流行に対してワクチン接種が増進されました。海外からの、医薬品としてのワクチンの輸入が増えています。
② ピアノの日
1823年7月6日、ドイツ人医師シーボルトが日本へ初めてピアノを持ち込んだとされることから制定されました。
シーボルトは長崎・出島に滞在し、鳴滝塾を開いて西洋医学や自然科学を日本へ伝えた人物です。その際、医学書だけではなく、多くの西洋文化も日本へ紹介しました。その中の一つがピアノでした。

現在では日本は世界有数のピアノ大国となっています。静岡県浜松市でヤマハがオルガンを作ったのを皮切りに、ヤマハやカワイといった日本メーカーは世界でも高い評価を受け、国際コンクールでも日本人ピアニストが活躍しています。
③ サラダ記念日
1987年、歌人・俵万智の歌集『サラダ記念日』がベストセラーになったことから制定されました。
有名な短歌はこちらです。
「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日
何があった日
① 825年7月6日 桓武天皇の孫が「平」姓を賜る
825年、桓武天皇の孫の高望王が皇族の身分を離れ、「平(たいら)」という姓を与えられました。
当時の天皇家は子どもや孫が増え続け、すべての皇族を養うことが財政上の大きな負担となっていました。そこで皇族の一部を臣下として独立させ、姓を与える政策が進められました。これを「臣籍降下」といいます。
こうして生まれたのが桓武平氏です。その後、平将門や平清盛らが現れ、平氏は武士として大きな勢力を持つようになります。
一方、天皇家から臣籍降下した一族には「源」姓もありました。源頼朝や源義経は清和源氏、平清盛は桓武平氏です。源氏と平氏はどちらも天皇家から分かれた武士団で、地方の武士たちを従えて軍事力を擁するようになっていったのです。
② 1563年7月6日 松平元康が「松平家康」を名乗る
1563年、松平元康は今川義元と決別したことを示し、「松平家康」を名乗りました。
もともと家康は三河国の小大名・松平氏の出身でした。幼いころは織田氏、次に今川氏の人質として育ちます。近年の研究では、家康は客分として今川義元のもとで養育され、一族並みの待遇だったようです。

しかし、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、それをきっかけに今川氏から独立し岡崎城に入りました。そして、今川義元からもらった「元」の字を捨てることで、今川家からの決別を示したのです。
この3年後、1566年ごろには「徳川家康」を名乗るようになります。源氏の血を引く新田系の苗字である「徳川」を名乗ることで家柄の高さをアピールする意図があったのでしょう。
③ 1785年7月6日 ドルがアメリカの通貨単位になる
1785年、アメリカ合衆国議会は「ドル(Dollar)」を正式な通貨単位として採用しました。
独立したばかりのアメリカでは、イギリスやスペインなど様々な国の貨幣が流通していました。そのため、国家として統一した通貨を持つ必要がありました。
「ドル」という名前は、ヨーロッパで広く流通していた「ターラー銀貨」が語源とされています。その後、アメリカ経済の発展とともにドルは世界を代表する基軸通貨となり、現在でも石油や金など、多くの国際取引はドル建てで行われています。
④ 1912年7月6日 ストックホルム五輪が開幕、日本が初参加
1912年7月6日、スウェーデンの首都ストックホルムで第5回近代オリンピックが開幕しました。この大会は、日本が初めてオリンピックへ参加した記念すべき大会でもあります。
当時の日本は明治維新からまだ40年あまり。欧米列強に肩を並べる近代国家を目指していた時代でした。その中で、「スポーツでも世界へ挑戦しよう」という機運が高まり、嘉納治五郎が中心となって日本選手団の派遣が実現します。嘉納治五郎は講道館柔道の創始者であり、日本の体育教育を築いた人物としても知られています。

日本から出場したのは、マラソンの金栗四三選手と、短距離走の三島弥彦選手のわずか2人でした。
特に金栗四三は、暑さと疲労のため途中で倒れ、地元の農家で介抱されたまま棄権してしまいます。本人は帰国後も申し訳ない気持ちから大会へ正式な報告をしなかったため、「行方不明になった日本人ランナー」として長く語り継がれました。
その後、1967年にスウェーデンから「ゴールしてほしい」と招待され、実に54年8か月6日5時間32分20秒3という世界一長いマラソンを完走したことでも有名です。
⑤ 1925年7月6日 東京大学安田講堂が完成
1925年、東京大学本郷キャンパスのシンボルである安田講堂が完成しました。
安田講堂という名前は、安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付によって建設されたことに由来しています。正式名称は「東京大学大講堂」で、卒業式や入学式、重要な式典などが行われる東大の象徴的な建物です。

1968年から1969年にかけて起こった東大紛争では、学生たちは大学改革を求めて安田講堂を占拠し、1969年1月には機動隊が突入。その様子は全国へテレビ中継され、日本中に衝撃を与えました。
⑥ 1939年7月6日 零式艦上戦闘機(零戦)が初飛行
1939年7月6日、日本海軍の新型戦闘機「零式艦上戦闘機」、通称「零戦」が初飛行しました。皇紀2600年に完成したころから「ゼロ」という言葉が使われました。
零戦は三菱重工業の堀越二郎らが設計した戦闘機で、軽量化を徹底したことで高い航続距離と優れた運動性能を実現しました。堀をテーマにつくられたスタジオジブリの映画「風立ちぬ」が有名ですね。

太平洋戦争初期には世界最強ともいわれ、軽量で長時間・長距離飛行できるとして、日本軍は真珠湾攻撃や南方作戦などで圧倒的な航空戦力を見せます。
しかし、戦争が長期化すると、防弾装備や燃料タンクの保護を優先したアメリカ軍の新型戦闘機に次第に性能で劣るようになります。日本は最後まで大規模な改良を行えることができず、やがて特攻機としても使用されるようになりました。
⑦ 2019年7月6日 百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録
大阪府の百舌鳥・古市古墳群がユネスコ世界文化遺産へ登録されました。
この古墳群には、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳(大仙古墳あるいは大山古墳)をはじめ、4世紀から5世紀ごろに築かれた大型古墳が数多く残されています。
大山古墳は全長約486メートル。エジプトのピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界最大級の墳墓として知られています。

大きすぎて横からだと全体像がよくわからない
古墳時代はヤマト政権が全国へ勢力を広げた時代でもあり、大型古墳は当時の権力の大きさを示しています。大山古墳は特に堺市の海沿いにあるため、港からよく見えたと考えられています。難波の港に出入りする外国船にも、朝廷の権力を示す目的があったようです。
天皇陵とされるため、宮内庁が管理し、大規模な発掘がほとんど行われていないのも特徴です。

誕生日
① 1935年7月6日 ダライ・ラマ14世
ダライ・ラマ14世は、チベット仏教の最高指導者です。
幼くして「ダライ・ラマ」に認定されましたが、中国がチベットへ進軍すると、1959年にインドへ亡命しました。以来、インド北部のダラムサラを拠点として、チベット文化や宗教を守る活動を続けています。

1989年には、非暴力による平和的な活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。チベットの民族は、漢民族が主体の中国で弾圧・迫害を受けているといわれますが、その実態は明らかではありません。
② 1946年7月6日 ジョージ・W・ブッシュ
共和党の政治家で、アメリカ第43代大統領です。
2001年に発生したアメリカ同時多発テロ(9・11)の際に大統領を務めていました。その後、報復としてアフガニスタンを空爆し、タリバン政権を崩壊させています。

2003年には、イラク戦争では大量破壊兵器の存在を理由に攻撃を開始しましたが、その後、大量破壊兵器は発見されず、世界中で大きな議論となりました。
父ジョージ・ブッシュもアメリカ大統領だったことで知られます。
亡くなった日
① 723年7月6日 太安万侶(おおのやすまろ)
奈良時代の貴族・学者で、日本最古の歴史書『古事記』を編さんした人物です。
『古事記』は712年、命令を受けた稗田阿礼が暗記していた神話や歴史を、太安万侶が文章としてまとめたものです。天地創造から神武天皇の即位、ヤマト政権の成立まで、日本神話と初期の歴史が記されています。天皇による支配の正当性を示したものです。
一方、その8年後に完成した『日本書紀』は、中国の歴史書を意識して漢文で書かれた正式な国史です。『古事記』が国内向け、『日本書紀』が国外向けという性格の違いがあると考えられています。
② 1858年7月6日 徳川家定
徳川家定は江戸幕府第13代将軍です。
ペリー来航の最中、1853年に父で12代将軍の徳川家慶が病没しました。それをうけて将軍に就任しましたが、体が弱く病気がちだったため、自ら政治を行うことは少なく、実際には老中・阿部正弘や堀田正睦らが幕政を支えていました。

1854年、日米和親条約を結んで開国し、さらに1858年には日米修好通商条約が締結され貿易がはじまります。約220年間続いた鎖国が終わり、日本は世界との本格的な交流を始めることになりました。
家定は、妻に薩摩藩出身の篤姫を迎えていました。しかし、夫妻には子どもがいなかったため、次の将軍を誰にするかをめぐって、一橋慶喜(水戸藩出身、のちの徳川慶喜)を推す「一橋派」と、紀伊藩主の徳川慶福(のちの徳川家茂)を推す「南紀派」が激しく対立しました。
この将軍継嗣問題は、南紀派の井伊直弼が大老に就任し、徳川慶福を後継ぎに決定したことで決着します。その後、井伊直弼は開国の反対派や、一橋派を処罰・投獄する安政の大獄を断行しました。
③ 1944年7月6日 南雲忠一
太平洋戦争前半の連合艦隊機動部隊を率いた司令官、海軍中将です。

1941年12月の真珠湾攻撃では、空母機動部隊を指揮し、アメリカ太平洋艦隊へ大きな打撃を与えました。この作戦は航空機が一方的に空襲して戦艦を沈没させた大規模作戦として世界に衝撃を与えました。

しかし、その半年後のミッドウェー海戦では、日本海軍はアメリカ軍の反撃を受け、主力空母4隻を失うという壊滅的な敗北を喫しました。真珠湾で圧勝した南雲は、一転ミッドウェーの責任をを問われる立場となりました。

その後、南雲はサイパン島防衛の指揮を執りましたが、1944年7月6日、アメリカ軍との激戦の中で自決しました。サイパン島は7月9日に玉砕、日本軍は事実上全滅し、島は日本本土空襲の拠点として米軍に利用されることとなりました。
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